トップページ >> 日本のためのとりなし >> 2013年度 >> 6月号レポート
国家とは何か(第2回)
                             ヨハネ・皆 川 尚 一
ゾマホン伝道の失敗
 日本占領軍の日本共産化政策がいかに日本人の中に浸透して行ったかを経験させられたのは、2000年5月28日(日)午後に相模大野教会が開催した「ゾマホン特別講演会」においてであった。当時ゾマホン氏はフジテレビの人気番組「ここが変だよ日本人」にレギュラーとして出演する人気者であったのと、カトリック信者であることから、言葉は悪いが「人寄せパンダ」として招くことにしたのである。この狙いは成功して、約50人の中年男女の新来者が集まった。
 彼らは、いわゆる団塊の世代及びポスト団塊の世代の人たちであった。学校では日教組教師の左翼的教育を受け、天皇制軍国主義への反発、既存社会体制への反発から、大学改革、60年安保闘争、ベトナム戦争反対闘争、70年安保闘争に走った人が多かったが、闘争が不調に終り政治活動から距離をおくようになる。ベビーブーム、核家族化、バブル崩壊、ソ連共産主義崩壊等を経験して、ゴルバチョフのグローバリズムや新左翼運動に親近感を持つようになった人々が多かった。
 ゾマホン氏の講演は面白かったし、有意義であったが、彼は得意になって勇み足をした。それは、「天皇陛下は贅沢をやめて、自分の財産を半分くらい国民にわけてやったらいいと思う」としゃべったのである。
 それで、講演が終わって質疑応答が途切れたとき、わたしは感謝の言葉を述べると同時に、「天皇陛下は贅沢をしておられません。国民のことをわが子のおうに思いやって、質素に暮らしておいでになるので誤解のないようにお願いします」と語った。すると、集まった男女から猛反発が起って、主婦のひとが坐ったまま、「あんたの話なんか聞きに来たんじゃない。引っ込んでいろ」と叫ぶと、「そうだ、そうだ、われわれが聞きに来たのはゾマホンさんの話なんだ。そんな話はわれわれが帰った後、自分たちだけでしろ」と口々に主張した。わたしは手短かに教会案内をして、「皆様のおいでをお待ちしています。本日はこれで終ります」と挨拶して引き取ってもらったのである。結局、その中から相模大野教会に来る人はだれもいなかったし、反って、教会員の中から別の教会に転会した人も出たのであった。
 ゾマホン氏は日本に来て、国民の中にあるそういう感情を感じとったから、あのようにしゃべったのだと思う。彼の祖国ベナン共和国はかって17世紀にはダホメ王国であったが、フランスの侵略を受けて敗北し、フランスの植民地となった。1960年に大統領を元首とするダホメ共和国として独立、1990年に社会主義体制から市場経済体制に移行してから経済も政治も安定した。

進化論的世界史観
 アフリカと言えば、人類は約400万年前アフリカ中部に誕生し、世界に広がって行ったという進化論的世界観がある。わたしは進化論的人類発達史を採らない者であるが、国家・文明の形成やその流れを知るのには便利であるから、一部借用することにしたい。
 人間は狩猟・漁労・採集を中心の生活から→農業を中心とする生活に移行→都市の建設→国家の建設→文明の形成が始まった。英語の「文明」(civilization)の語源は「都市で暮らすこと」である。そして世界四大文明(エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明)が形成された。

【メソポタミア→ヨーロッパ文明】
 メソポタミア文明の担い手として、シュメール、アッカド・アッシリア・バビロニア・ペルシアが興亡を繰り返し、エジプトと戦ったが、ヨーロッパ文明がうまれて、マケドニアのアレキサンドロスがギリシアを統一し、ペルシア、エジプトを征服した。ギリシアはペルシアに勝ったが、ローマに征服され、地中海を囲んで、南欧・東欧・中東・北アフリカを巡る大ローマ帝国が建設された。しかし、第4世紀になると、北欧からゲルマン諸民族が南下してローマ帝国に侵入した。フランク族、ブルグンド族、バンダル族、ロンバルド族が南下。アングロサクソン族はイギリスに侵入して7王国を建てた。また、東から遊牧民のフン族が侵入、フン族に押されてゴート族が侵入し、東ゴート王国、西ゴート王国を建てた。それにより大ローマ帝国は大分裂した。いわゆる民族大移動である。しかし、カール大帝の即位ご縮小、ビザンツ帝国として約1000年続いた。

【日本文明の起源】
 一方東アジアでは、竹内文書によると、超古代に日本を中心に世界を支配していた日本文明があり、宇宙の天日球国(あめのひだまのくに)から超古代に宇宙船に乗って飛来した「スメラミコト(天皇)」一族が地球大陸の東端に降り立ち、そこを日本と名づけ、世界を16州に分け民王を置き、天皇が宇宙船に乗って世界を巡幸して統治した。この文明は宇宙(太陽)からもたらされた高度の霊的・精神的・物質的文化を花咲かせたものであった。しかし、長年にわたり相次ぐ地球大変動と諸王の離反によって衰亡し、日本列島が主たる支配地域となった。西暦紀元前600年の神武天皇は宇宙船で巡幸した最後の天皇であり、現「神日本朝(かんやまとちょう)」を建てた最初の天皇である。
 日本文化が地球上の色々な他の文化とは異なる特異な文化であるのは、宇宙起源であり、宇宙万物の生みの親である神の意思に従って生きる人間と全ての生物・無生物との霊的調和を尊重する文明・文化を継承してきたところにあると思う。

【黄河文明】
 シナ大陸は日本の「支那(えだくに)」と呼ばれたが、黄河流域を中心にメソポタミアから侵入してきたアーリア人により最初の統一王国「夏」が建てられ、これを「殷」が滅ぼして「殷王国」を建て、これを「周」が滅ぼして「周王国」を建てた。その後異民族によって「周」が滅ぼされ、550年も戦国時代が続いて、「秦帝国」が建てられた。秦の始皇帝はペルシア人だったといわれる。この秦が英語のChinaの語源だという。秦の支配は15年で終り、漢民族が起って440年間支配する。前漢、後漢である。

【中華思想の開祖陳寿】
 後漢の滅亡後、「魏」・「蜀」・「呉」の三国が起って抗争し、「魏」が「蜀」を滅ぼし、「魏」の権臣司馬炎が「晋」を起こして「呉」を滅ぼす。この時魏の役人だった陳寿が「晋」の司書係となって有名な「三国志」を著した。
陳寿は三国志の中に「支那」が世界の中心「中華」であり、周辺諸国は卑しい未開人だという思想を鼓吹したのである。しかし、彼は日本が世界の中心であったこと、後漢の光武帝が日本の垂仁天皇の代に日本に来て、正式に「支那王」としての任命を受けて帰国したこと(竹内文書に記載された事実)を知り、三国志の発表を隠したので、陳寿の死後132年経ってから「北宋」の「ハイ松之」という人物が三国志を発掘して世に発表したのである。三国志の中に「魏志倭人伝」が含まれているが、「倭人」とは日本国を指したものではなく、当時鴨緑江の北にあった大韓国を指したものである。
 【註】この項は竹田日恵著「『竹内文書』世界史の超革命」に拠る。

華夷秩序の独善性
 支那大陸では、その後「隋」、「唐」、「宋」、「元」、「明」、「清」、「中華人民共和国」という順序で支配権力が交替してきたが、同一民族が政権交代したのではなく、異民族が侵略して政権交代したのである。そのつど新権力は何百万、何千万人の反対勢力を抹殺してきた。にもかかわらず「中華思想」だけは受け継がれて、独善的な華夷秩序を誇ってきたのである。
 華夷(かい)秩序とは何か。中国を「華」(文明)と勝手に認めて、その中心から遠くなるにつれて「夷」(野蛮)になると認める国際秩序である。
 この思想が独善的なのは、中国王朝が直接支配する領域とそれ以外の地域が国境のような確固たる分断線によって区切られず、連続したものとして捉えられている事である。具体的には世界を次の三つに区分、
 1.天命を受けた中国皇帝が直接支配する地域(行政区が置かれる本   国)
 2.間接統治地域(辺境や離島の有力者を支配者として任命し、自治    を認め、朝貢させる)
 3.版図外(「夷荻」のいる地域、皇帝の感化が及ばない土地、いわゆ   る「化外の地」。しかし、本来中国皇帝に支配されるべき地である)   この諸国は中国になびく国となびかない国に大別される。まず、中    国に使節を送り、臣従する諸国、これには「冊封」(国王承認)や、
   「朝貢」(貢ぎ物と引き換えに賞賜が与えられ、交易が許される)が    ある。朝貢使節を送る国は中国を宗主国とする属国と見なされる。   しかし、同時に中国以外の国にも朝貢してもかまわない。琉球王国   などはその一例で、中国と日本とに朝貢した。  
   このように華夷秩序は中華思想に基く礼制によって律せられてい    たのである。われわれは、この思想が現代の「中華人民共和国」    にも受け継がれていることをしっかりと認識する必要がある。彼ら    は沖縄をも、日本をも、アジアや全世界をも彼らの版図外の地域    と見なしているからである。中国人には国境は便宜的・流動的な     ものなのだ。

近代西欧文明の発展
  わたしは限られた紙面では、ビザンツ帝国以後の西欧文明の発展について充分に述べることが出来ない。イスラム教のアラブ人による世界征服大運動、チンギスハンによるモンゴル人の世界征服大運動等を省略して、一足跳びに、17世紀の近代主権国家の誕生まで跳ばなければならない。近代主権国家の三要素は、
  (1)国民:言語や歴史などの文化の同一性による共同体。
  (2)主権:絶対的な政治権力。王権神授説。国民主権思想。
  (3)領土:一定の国境で区画された領土。
とされている。これが国民国家である。
 しかし、大航海時代、産業革命時代を経て、強力な武器と軍艦とを持つ西欧諸国が世界中を植民地化した。スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ等が世界を制覇したのである。これを帝国主義というが、それを正当化する世界秩序の思想が文書化された。それが「万国公法」、又の名を「国際法」といわれるものである。

万国公法の出現
 「万国公法(ばんこくこうほう)」とは、国際法学者ヘンリー・ホイートンの著作「国際法原理」"Elements of International Law"1836の漢訳書である。ホイートンはアメリカ国際法学草創期の代表的法律家・外交官であった。この「国際法原理」は英語で出版されたが、英語圏だけでなくヨーロッパ各国でも好評を博し、ドイツ語、フランス語、その他各国語に翻訳された。華夷秩序との最も大きな相違点は、主権国家間の法的平等の原則であった。条約体制では、国家・国力の大小に関係なく、法的には平等・対等であるとされた。しかし、これは理念上のことで、実際は欧米文明国だけに限られたのである。
 世界の国々を3種類に区別する、
  (1)文明国(欧米キリスト教国)
  (2)半文明国(オスマン帝国、中国、日本)野蛮国ともいう。
  (3)未開国(アフリカ諸国等)無主の地ともいう。
この区分によれば、主権国家は欧米キリスト教国だけで、世界は欧米文明にどの程度近いかによって判断される。半文明国に分類されると、主権の存在は認められても、不平等条約を武力の恫喝の下に強いられる。さらに、未開国と認定されると、王がいても国家主権は一切認められず、無主の地として植民地化されるのである。 

【中国における受容】
 万国公法の漢語訳は中国の華夷秩序の観念を捨てさせ、欧米の国際法を受け入れさせるために行われたのである。清国がいくら華夷秩序を「天朝の定制」だと主張しても、列強の要求を拒絶できなかったので、一応受け入れ、万国公法を逆手にとって外交を有利に運ぼうとした。清国では「法」とは皇帝が制定かるものであったが、皇帝を介さない自然法という天与の法があることを学んだ。又、国家間で結ばれた条約は、それを遵守し続ける意思と能力がなければ「文明国」とは認められないことを学んだ。また、その周辺国も欧米の植民地になり、最後の朝貢国朝鮮の華夷秩序離脱により、華夷秩序は消滅した。

【日本における受容】
 日本は幕末の維新動乱の中で、新しい国造りの基本方針を建てるのに万国公法を受け入れ、不平等条約を解消して日本を「文明国」に格上げすることを目指した。万国公法は、当初、守るべき国際信義・自然法の規範として理解され、受容されたが、次第に国際社会における弱肉強食を正当化するものだという認識が広がって行った。それは国際法が存在してもなお、拡大し続ける植民地分割競争が激化する矛盾が背景にあったからである。
 列強諸国に肩を並べて対等に外交を維持するためには、富国強兵が絶対に必要だということを日本は自覚し、それを実行して来た。
 その結果、日清戦争、日露戦争は日本の勝利。大東亜戦争は日本の敗北となったが、国際社会の中での日本の地位は高く、貢献度も高く認められている。

悪の論理「地政学」 
 「悪の論理」の著者倉前盛通氏によれば、この「悪」とは「強靭で不死身な雑草」のようにあらゆる苦難をはねのけて生きて行く力を意味する。地政学とは、「地理政治学(ゲオポリティック)」であって、それぞれの国家が、その置かれた条件の中で如何に生きて行くかの学問である。日・米・英は海洋型世界戦略を必要とし、独・ロ・中は大陸型世界戦略を必要としている。
 19世紀のドイツの地理学者フリードリッヒ・ラッツェルは生存圏論を唱えた。
 (1)国家は生物と同様に成長する組織体であり、成長するための生存   圏が必要である。
 (2)国境は国家の同化力の境界線であり、成長力のある国家の国境   は拡大する。その拡大を防止する力に出合うと戦争になる。
 (3)領土を吸収合併しようとする傾向は国から国へと伝染し、増幅され   る。
 (4)地球という小惑星には、一つの大国しか存在する余地は無い。
 この生存圏という概念は、のちにナチス・ドイツの武器となった。
  これは中国の国境概念と似ているが、実は英・米・ロもまた同じであ る。かって国際共産主義組織コミンテルンは2017年に共産主義の世界政府を樹立することを宣言した。コミンテルンは解散し、ソビエト共産主義は崩壊しても、ゴルバチョフはク゜ローバリズムという形で国際的闇の権力の手先として、目指すワンワールドの建設に努力しているのである。世界新秩序(NWO)の建設によって地球は統一国家となるのであろうか?

神の国と地上の国
 新約聖書・ヨハネ黙示録には、地上の国が巨大な怪獣の姿で海の中から出てくる。それは反キリストの象徴であって聖徒たちを迫害し、人々を奴隷化するのである。しかし、他面には、バビロンやローマの国家としての役割は善を賞し、悪を罰する正当な警察権を行使するゆえに、彼らのために祝福を祈れと教えている。イエス様は「わたしの国はこの世のものではない」と言われる。次回は「神の国と地上の国」の問題をとりあげる予定である。(以下、8月号に続く)
 
 


トップ>> 日本のためのとりなし >> 2013年度 >> 6月号レポート >> 次へ