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靖国神社をどう見るか
                             ヨハネ・皆 川 尚 一
プロローグ
靖国神社に対しては色々な見方があるが、わたしは次の三つの見方を取りあげて見たいと思う。(1)宗教的な見方、(2)政治的な見方、(3)心情的な見方である。

(1)宗教的な見方
キリスト者の宗教的な見方からいうと、靖国神社は日本神道であり、神道は多神教であるから、死者を神として祀るということは偶像礼拝であると考えるのが普通である。しかし、多神教と言っても神道の場合は沢山の偶像を作って拝むわけではない。

  神道はいわば大自然崇拝教であって、大自然に秘められている「神秘性」と「法則性」への深い洞察、そこに感じられる「奇(くす)しきもの」への畏敬と感謝、それらをわれわれの祖先は、神話や祭祀によってさまざまに表して来た。それが神道の根本であった(山蔭基央著「神道の神秘」参照)。

  去年の「とりなし2月号」所載の「人の神性」と題するレポートでわたしが述べた通り、日本神道、すなわち「かんながらのみち」では、天地万物は唯一の太源霊(天御中主神)から、すべてが生まれ出ていて、人はその子孫であるから当然神性を持っている。その神性を直日霊(なおひのみたま)と言う。従って、明治天皇も、乃木大将も東郷元帥も、国家のために戦って死んだ将兵たちも、神として明治神宮、乃木神社、東郷神社、靖国神社等に祀られているのである。この神は唯一絶対神ではなく、その分霊であり、子孫であって、太源霊から連綿としてつながって現在に至るのである。また、森羅万象ことごとく神性をもっていると考えられているので、八百万(やおよろず)の神々がおり、色々な神社に祀られている。この神々も系図があって太源霊から連綿としてつながって現在に至るのである。だから、数の上では多であっても、その本質は万神一元に帰一する唯一神と信じているのである。

聖書の神観念
 この点は聖書の内容とも相通じるものがある。例えば、旧約聖書の創世記には、

はじめに神は天と地とを創造された(創世記1:1)とあるが、この「神」はヘブライ語で「エロヒーム」と言う。それは文法的に言うと単数形「エル」の複数形である。従って「エロヒーム」は「神々」と訳すのが順当である。その場合「神々」には色々な解釈がある。
 (A)唯一の創造神(太源霊)や天使たちが含まれているという解釈、
 (B)三位一体の神を意味するという解釈、
 (C)唯一の創造神に対する尊敬から出た「威厳の複数形」である。なぜなら、「創造した(バーラー)」というヘブライ語は単数形であるからだという解釈、この場合は「エロヒーム」の中に、天使や人間は含まれないことになる。
 
 では、新約聖書でイエス・キリストは何と言っておいでになるのか。《ヨハネによる福音書10:33〜36》を引用する。
 「ユダヤ人たちは答えた、『あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしているからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである』。イエスは彼らに答えて言われた、『あなたがたの律法に【わたしは言う、あなたがたは神々(エロヒーム)である】(詩篇82:6)と書いてあるではないか。神の言葉を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言葉は、すたることはあり得ない)父が聖別して、世に遣わされた者が、【わたしは神の子である】と言ったからとて、どうして【神を汚す者だ】というのか』。
 これによれば、イエス・キリストだけでなく、神から遣わされた人間たちをも、「神々」エロヒームと言っておいでになることがわかる。従って、聖書には日本神道の思想と通じるものがあるのだ。

神道は偶像礼拝ではない
 神と呼んで崇めても無教祖・無教義・無戒律・無偶像・無組織が、「かんながらのみち」の特色である。「神社は偶像ではないか」という誤解があるが、本来は神社という建物はなかった。「神奈備(かんなび)」という神霊を迎える場を設け、その中心を「厳の磐境(いつのいわさか」と言い、神霊の依り代(よりしろ)としての榊(さかき)を植える。つまり、神道の神はそこに鎮座するのではなく、神主の招きに応えて天下る臨在の神なのである。依り代としての榊や鏡(かがみ)は偶像ではない。従って、神道は宗教ではなく、宗教的祭儀を持つ習俗であると思う。 

  靖国神社にしても似たようなものである。神道は古来、「清明なる人格」を磨き上げ、「神のごとくなる」ことを人生の目標だと説いてきたが、その鍛錬の場は死後も続くのである。死後の世界には、高く清らかな世界もあれば、低く濁った世界もある。霊魂は現世で作り上げた性質に応じて振り分けられるが、いずれにせよ自己の浄化、進歩、向上を目指して修行を続けなければならない。

招魂の思想と習俗
 ところで、神社は墓所ではないから、そこに死者の遺体や骨を埋葬してはいない。従って神社に参って死者の霊を弔うわけではない。国家のために戦って死んだ人の遺徳をしのび、その偉業を顕彰し、感謝をささげる場なのである。そこで死者の霊を招く必要があるから、最初は「東京招魂社(しょうこんしゃ)」と呼ばれたのである。これについては、次項の「政治的な見方」を参照
  ここでは、招魂の思想と習俗について述べる。そもそも神霊を呼ぶことは、聖書的な祈りの根本であって、旧約聖書では、「ヤーウェよ」とか、「アドナイ主よ」と呼びかける。新約聖書では、「父よ」とか、「アバよ」とか、「主イエスよ」とか呼びかけている。その呼び声を聞いて神様は、その場にご臨在下さるのである。 

  それと同じく、死者の霊も呼べば来てくれると考えられているのである。高いところに行った英霊を呼んでその誉れを讃える。低いところで迷っている霊を慰め、荒ぶる霊を鎮めるという思想もあり、仏教思想が靖国には混在しているようである。いずれにしても、招魂社を作ったときから、個人的な絆や、家族的な絆によって新しい明治国家のために犠牲となって死んだ人の霊に会うための場所として、仏教的な墓ではなく、神社という形に発展したのは日本古来のかんながらの道に則ったものだと言えるであろう。だから、仏教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、ユダヤ教徒であろうと、自分の宗派に関係なく、靖国に祀られた家族や戦友に会うために訪れることが出来るのである。戦後、靖国神社はやむを得ず「宗教法人」となったが、本来は宗教でもなければ、宗教団体でもないのである。「アーリントン墓地と同じにすれば良い」という意見もあるが、靖国神社は墓地でも、墓苑でもない。日本独特の「神社」なのだ。

(2)政治的な見方
  靖国神社を政治的なイデオロギーをもって見る人々は、日本を侵略戦争に駆り立てた国家神道の象徴と見なしている。それはマルクス主義的唯物史観のイデオロギーに基いているのである。「日本共産党の八十年」(日本共産党中央委員会2003年刊)、及び「靖国神社」1869−1945−1985 村上重良著(岩波ブックレット)参照。

招魂祭と招魂場
  先に述べたように、日本では神道が死者の霊を神として祀り、その遺徳を顕彰する招魂の思想や、仏教・道教などの霊魂観に基き死者の怨霊を招いて慰霊する思想が歴史的に各地で受け継がれて来た。楠木正成の湊川神社、菅原道真の天満宮が代表的なものである。  

  だが、靖国神社は幕末の戊辰戦争(1868年)以前から、長州藩が王制復古を称えて倒幕に至るまでの4年間に藩内闘争や、対外戦争や、新撰組等の幕府勢力により殺害された勤皇の志士たちの霊を祀る下関桜山招魂場を1865年に設けたことに始まった。明治維新は薩長を中心とする官軍がこれに対抗する幕府軍を賊軍として討滅した正義の戦争によって成立したことになっているが、事実は謀略と不義の戦争であった。孝明天皇の下に公武合体の新国家を造るため徳川慶喜が大政奉還をしたにもかかわらず、北朝系の孝明天皇を急死させ、偽詔勅と偽錦旗を掲げた偽官軍が日本を制したことは教科書には載せられていないが、衆知の事実である。 

  そして、1869年(明治2年)南朝系の明治天皇の東京行幸と東京遷都が行われ、九段坂上の広大な敷地に「東京招魂社」が建てられた。そこには官軍に属して戦死した霊だけが祀られた。明治新政府はこれまで各地に設けられた招魂場に祀られた霊を、この1ヵ所に集めて祀ることにしたのである。

別格官幣社靖国神社
  社殿が整えられるにつれて、国のために戦死した人々の霊を祀るに相応しい社号が望まれるようになり、1870(明治12)年「別格官幣社靖国神社」と改称された。

  「靖国」とは「国を安(靖)らかにする」という意味で、シナの歴史書「春秋左氏伝」から採られ、明治天皇が裁可されたものである。明治時代から昭和20年の大東亜戦争終結まで、日本の神社には社挌制度があり、各神社は官社と諸社に区別された。官社は官幣社と国幣社に分けられ、官幣社は天皇、皇族、功臣等を祀る神社、別格官幣社は天皇と国家のために大きな功績のあった人物を祀る神社とされた。

  また、一般の神社は内務省が管理したが、靖国神社は初めから陸軍省と海軍省が共同管理し、祭式や神職の任免は内務省の管轄であった。以後、靖国神社は日本国家・天皇・皇族を守るための戦争で戦死した軍人・軍属を神道祭式で祀るための神社として存在し、いわゆる「国家神道」の象徴となった。

  なお、国家神道というと戦前の靖国神社の運営はすべて国家が行い、各種費用も国庫から支出されていたと考えるのは、誤解である。靖国神社の経常費の大部分は、奉納金(初穂料、玉串料、寄付金)。お賽銭、お守り授与料等の社頭収入によってまかなわれた。これに、国庫からの寄付金や社殿の新設・改修及び合祀祭のための特別寄付金が加わる。会計経理は東京招魂社当初から終戦まで陸軍省が管理した。

戦後の靖国神社
  戦後、日本占領軍司令部(GHQ)は靖国神社を破壊・焼却することを考えたが、駐日ローマ法王代理ブルノー・ビッテル神父の「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある」との反対意見を受け入れて、一宗教法人として存続することを許した。
  日本の戦争を満州事変から大東亜戦争終結までのアジア侵略15年戦争とする見方を取る人々にとって、靖国神社に祀られた英霊は侵略戦争美化のために利用された犠牲者だと見えるようだ。 

  しかし、日本の戦争をペリー来攻から大東亜戦争終結までの100年戦争と見る立場からは、列強の帝国主義や共産主義による侵略に対抗して大日本帝国の建設と確立及び、大東亜共栄圏建設のために殉じた英霊たちが靖国神社に祀られていると見えるのである。 

  一口に英霊というが、戦後の靖国に祀られた人々は戦死した将校や兵士たちばかりではない。沖縄戦で戦没した「ひめゆり」、「白梅」など7つの女学校生徒たち、米海軍潜水艦の魚雷攻撃で沈んだ学童疎開輸送船「対馬丸」の児童たち、戦後樺太に侵攻してきたソ連軍の情報を送信して自決した女性電話交換手、米軍の爆撃で戦没した民間人たち、また、日本国民として戦って死んだ台湾や朝鮮の人々も祀られている。

  このほかに、本殿に向かって左側回廊の外側に、1965(昭和40)年「鎮霊社」という神社が設けられた。これは、靖国神社に合祀されなかった日本人と世界中の戦死者、戦争犠牲者の霊を祀っているのである。

  こうした経過を見れば、侵略戦争美化のために靖国神社を利用したとする立場が如何に見当はずれの偏見であるが分かるであろう。

(3)心情的な見方
 最後に、もう一つ別の見方がある。それは「心情的な見方」である。

靖国で再会しよう
  戦争で戦った軍人たちの間に、「死んだら、また靖国で会おう」という合言葉があった。それが日本人の心の拠りどころとなった。戦死せずに生き残った多くの元軍人たちは、終戦記念日の8月15日の前後には靖国神社に参拝するのである。「あの人に会いたい」、「彼らに会いたい」という熱い気持をみな持っている。  

  大体、「死んだら神として祀られるぞ」と教えられて信じたから安んじて死んだ人などおりはしないとわたしは思う。みな、お国のため、家族や恋人を守るために死んだのである。「死んだら霊魂は日本に帰って靖国神社に鎮まって、またみんなに会うんだ」という熱い心情である。 

  わたしの戦死した兄皆川良治はキリスト者であったから、「靖国に祀られる」とは思っていなかった。彼の霊魂は先ず「お母さん」の夢枕に現れ、そして天国の「イエス様」のところに行った。
  ところが皆川良治の名は靖国神社の霊璽簿に載せられて合祀されたのである。もちろん、本人にも遺族にも何の相談もなかった。それでよいのだ。日本では祀りたい人が勝手に祀るのだ。
 また、わたしの級友の加茂良夫は零戦に乗って、本土防衛戦でグラマンと戦い、筑波山上空で戦死した。彼は靖国に祀られたと思うが、わたしは靖国に行かないで、わたしの牧会するキリスト公会相模大野教会での戦死者・戦没者慰霊祭で彼や兄の冥福を祈ることにしている。

英霊とは何か
 英霊とは「優れた霊」という美称であるが、これは藤田東湖の「神州正気の歌」の一節による。

    天地正大の気、
    粋然として神州に集まる。
    〜中略〜
    すなわち知る、人亡ぶといえども、
    英霊いまだかつて滅びず、
    とこしなえに天地の間にあり、
    〜中略〜
    生きてはわが主君の無実の罪を雪ぎ、
    天下に正道が行われるのを見、
    死んでは忠義の鬼となって、
    とこしなえに皇室の基を護りたい。  

  すなわち、英霊とは宇宙に満ち満ちている天地創造の神から神性を受けたすべての優れた霊魂を指しているのである。人は肉体が亡びても霊魂は亡びず、神の心に生きる英霊は天地の間に在ってとこしえに日本を護っているのだ。それは武士や軍人だけでなく、老若男女の区別なく、等しく英霊なのである。「忠義の鬼」とは悪鬼のことでなく、「強い忠義の人」を意味している。

靖国神社の歌
  1.日の本の光に映えて
    尽忠の雄魂まつる
    宮柱太く燦(さん)たり
    ああ大君(おおきみ)のぬかずきたもう
    栄光の宮靖国神社

  2.日の御旗断乎と守り
    その命国にささげし
    ますらおの御魂しずまる
    ああ国たみのおろがみ称う
    いさおしの宮靖国神社
 
  3.報国の血潮に燃えて
    散りませし大和おみなの
    清らけき御魂安ろう
    ああはらからの感謝は薫る
    桜咲く宮靖国神社
 
  4.幸魂(さきみたま)幸わいまして
    千木高く輝くところ
    皇国は永遠に燦たり
    ああ1億の畏(かしこ)み祈る
    国護る宮靖国神社

エピローグ 
  わたしがこれまで述べて来たことを読めば、結論は自ずと明らかであろう。三浦朱門・曽野綾子夫妻と同じく、どんな宗教の人でも靖国神社に参詣できると思う。そして、靖国神社の歌の通りに、陛下のご親拝を伏して乞い願うものである。靖国を政治の道具にしてはならない。
  真理を示す道は理論によってではなく、自己の心情に従って行動する
ことによるのである。                          アーメン


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