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宣戦の大詔と終戦の詔書
                              ヨハネ・皆 川 尚 一
プロローグ
  わたしたちは2011年12月8日で、米英両国に対する宣戦布告が行われてから満70年を迎えます。その宣戦の大詔や終戦の詔書の内容を果たしてどれだけの日本人が記憶しているでしょうか。戦後の東京軍事裁判で、日本は大東亜共栄圏建設の美名に隠れて侵略戦争を行ったと断罪され 、占領軍司令部と左翼政治家・思想家・教育者たちがそれを日本国民の意識に刷りこんできましたが、それは真実であったのかどうか、この二つの詔書をじっくりと読み比べるならば、はっきり分かってくると思います。最近、とりなし者の仲間からぜひ読み直したいという要望がありましたので、原文と現代語訳とをここに提示したいと思います。尚、現代語訳の文責は皆川尚一にあります。

米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔 (原文)
  天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)ニ示ス  
  朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡(つく)シ億兆一心国家ノ總力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ  

  抑々(そもそも)東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々措(お)カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ豈(あに)朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱(かくらん)シ遂ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(せめ)クヲ悛(あらた)メス米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(たくまし)ウセムトス剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ隠忍(いんにん)久シキニ弥(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕スルノ外ナキナリ  

  皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

御 名 御 璽

昭和十六年十二月八日

米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔 (現代語訳)   
  天の神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を受け継ぐ大日本帝国天皇は、明らかに忠誠にして武勇あるなんじら国民に示す。  

  朕はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。朕の陸海軍将兵は全力を奮って交戦に従事し、朕の政府関係者・官僚・役人の全ては努め励んで職務に身をささげ、朕の国民はおのおのその本分を尽くし、億兆人が一心となり、国家の総力を挙げて戦争の目的を達成するのに手違いのないようにせよ。

  そもそも、東アジアの安定を確保し、それをもって世界平和に寄与することは、偉大なる明治天皇とその後継者たる大正天皇とが構想された遠大なるご計画であって、朕が常々ひたすら心掛けているところである。そして、各国との交流を篤くし、万国共栄の楽しみを共にすることは、わが帝国の重要なる外交方針である。しかるに、今や不幸にして米英両国と戦争を開始するに至ったことは、まことにやむを得ない事態である。どうしてこれが朕の本意であろうか。

  (蒋介石の)中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和をかく乱し、ついに帝国が武力を行使せざるを得ない事態に至らしめ(ろ溝橋事件)、ここに4年余り経った。幸いにして、(汪精衛の)国民政府が新しく樹立されたので、帝国はこれと善隣外交を結び、互に助け合うことになったが、重慶に残存する蒋介石政権は米英の庇護を頼みとして、南京の国民政府との兄弟喧嘩を続けて悔い改めようとはしない。

  米英両国は残存政権を支援して東アジアの争乱を助長し、平和の美名に隠れて東洋征服の野望を達成しようとしている。その上、仲間の国々を誘って、帝国の周りを囲んで軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を加えて、遂に経済的断行を行い、帝国の生存に重大なる脅威を与えたのである。

  朕は政府をして、このような事態を平和のうちに解決させようと努め、長い間耐え忍んだのであるが、米英は寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を先延ばしにし、その間ますます経済的、軍事的脅威を加えてわが国を屈服させようとしている。このような事態がそのまま推移したならば、東アジアの安定に関する帝国の長年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立も文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や自存自衛のため決然として立ち上がって、一切の障害を破砕するほかに道はなくなったのである。

  皇祖皇宗の神霊は天から我らを見守っておいでになる。朕は汝ら国民の忠誠と武勇に信頼し、祖先の偉業を押し広め、速かに禍の根を断ち切って東アジア永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄を保全しようと決意するものである。

御 名 御 璽

昭和16年12月8日

終戦の詔書(原文)  
  朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シソ ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ  

  抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措カサル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ  

  朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス    

  朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ   

御 名 御 璽   

昭和二十年八月十四日

終戦の詔書(現代語訳)
  朕は世界の大勢と帝国の現状を良く検討し、非常手段を用いて事態を収拾しようと決意し、ここに、忠良なるなんじ臣民に告げる。朕は政府に命じ、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、先に彼らの発表した共同宣言を受諾する旨通告させた。

  そもそも、帝国臣民が健康で安心して暮らせるように、また世界がともに繁栄していけるようにするというのは、天皇家が皇祖皇宗の昔から受け継いできた模範であり、朕も日頃から大切に心掛けていたことである。先にアメリカ・イギリスに宣戦したのも、我が帝国の自存と、また東アジアの安定とを願ってのことであり、決して他国の主権を排除し、領土を侵略しようなどとはもともと朕の本意ではない。

  ところが、戦争はすでに4年目に入っている。その間朕の陸海軍の将兵は勇敢に戦い、朕の政府の官僚は懸命に働き、朕の国民は国のために力をつくし、各々最善を尽くしていたにも拘わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界の大勢も我が国側に不利である。さらに敵は新たに残虐な爆弾を使って罪もない人々を多数殺傷し、戦争の惨害はまさにはかりしれないものになってきている。  

  このまま戦争を継続すれば、しまいには我々日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明そのものを破壊し尽すことになるだろう。こうなっては、朕はどうやって日本国家の赤子たる国民を護ることにおいて、皇祖皇宗の神霊に赦しを乞うたら良いかわからない。これが朕の政府に対し米英等の共同宣言に応じるように命じるに至った理由である。

  朕は帝国と共に終始東アジアの解放に協力してきた同盟諸国に対して申し訳ないと思う。また、帝国臣民で、戦死したり職場で殉職して死んだ者、またその遺族のことを思うと身体が裂けるような思いである。さらに、戦争で傷つき、戦災を受け、家や職場を失った人々をどう助けていくかということも、朕は深く案じている。  

  思うに、今後帝国の受ける苦難は並みたいていのものではないだろう。汝臣民たちの心の内も朕にはよくわかっている。しかしながら、時の運には逆らえない。朕は耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、将来のために平和な世の中を開こうと思う。  

  朕はこうして国体を護ることが出来、忠良なる汝臣民の赤誠に信頼し、常に汝臣民と共にある。今後、感情にまかせてむやみに騒ぎを起こしたり、自国民同士で争いあったり、大道を誤り、世界の信用を失うようなことは、朕が最も戒めるところである。

  これからは日本という一大家族国家をあげて、子々孫々までも神の国日本は決して滅びないとの確信を伝えてほしい。その責任は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾け、道義を重んじ、志操を堅く保ち、誓って国体の精華を発揚し、世界の進歩に遅れないように決意せよ。そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう。汝臣民よ、どうか朕のこの志を身につけてほしい。

御 名 御 璽

昭和20年8月14日

エピローグ
  現代語訳をするに当ってわたしが守った原則は、宣戦の大詔も終戦の詔書も大日本帝国の元首たる昭和天皇が発したものであることを崩さないように訳すことです。なぜならば、戦後の翻訳者の多くは、「朕」を「わたし」とか、「余」とか訳していますし、「臣民」を「国民」とか、「諸君」とか訳しているからです。

  「朕」と「臣民」とは、天皇と国民との関係を明らかに示すものです。天皇が終戦の詔書において、「国体を護持し得た」と言っているのは、戦後日本においてもこの関係は変らないということです。従ってわたしは、天皇のみことのりでは、「朕」と「臣民」をそのまま訳しました。戦後の天皇は日本国の象徴であり、元首であられます。天皇は国内的にも対外的にも元首としての国事行為を担っておられますので、憲法を改正し、天皇が元首であると明示すべきだと思います。
                                       以 上

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