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「執り成し」の祈りを始めてみたら
                                            釘宮 義人
  皆川先生から「執り成し」の祈りを教わって数年になるが、少しづつ私の理解も成長してきている感じがする。皆川先生に感謝申し上げます。

祈りの時間
  今朝も教会の礼拝室に行って祈った。4時25分から9時まで4時間35分、祈ることができた。弱い祈りだが、祈らないよりは良いですよね。特に「執り成し」の祈りを始めると、この「執り成し」の祈りというのは、私に取って祈りやすい感じがする。しかも、この祈りは強力な祈りに成長する可能性があると感じつつある。  
  と言うのも、自分のための祈りは案外エネルギーが出せないものである。それが一旦、兄弟姉妹のため、先生方のためというように執り成しの祈りを始めると、大げさにいえば時間も課題も無限大に広がる。まして、日本のため、世界のためなどとテーマが大きくなると、やはり力がはいる。そして祈りの視野も広まるのである。  
  私は今、88歳の牧師ではあるが、世間的に言えば、無職の耄碌爺さん、時間はいっぱいある。だから、一日中祈っていても (まだまだ今、そうしている訳ではないが) 同居している娘からはともかく、だれからも文句は出ないだろうと思う。

祈りの範囲  
  そこで日本国天皇陛下のため。クリスチャンの国会議員のため等々、祈りの範囲、方向を広げ世界の平和のため、更に一転して中国の辺地の少数民族のため、大阪の西成の家無き人々のため、わが家の近くの孤独な老婆のため、あちこちと祈りは隈なく拡大する。  
  宇宙大のことも(然り、宇宙空間の各惑星に棲むかもしれない知的存在者のために)、今朝うっかり足元に踏み殺した可哀想な羽虫のためにも祈ろうとすると、一日中でも祈れるはずが、そうは簡単に行かない。88歳の老体では残念ながら体力不足だ。自然、大きな声ではもちろん、普通の声でも長くは続かない。声は自然に小さくなって、心の中だけで祈る「思いの祈り」になるのである。

思いの祈り  
  「思いの祈り」は一見弱々しく見える。しかし良いことに長時間の祈りが可能である。やってみれば分かるが、しまいには一日中祈っているような、眠っている間にも祈って居るような無類の祈りが生れくる。だからと言って、さして聖人のような祈りになる訳でもない。私は凡々たる老爺。でも、この私が執り成しの祈りをしていると、自然に表れてくるのが、この平凡な「思いの祈り」である。  
  イエス様ご自身のことを想起すると、イエス様の祈りこそ、その祈りは凡て父なる神様との対話であったと言えようが、そしてその凡てはもろもろの執り成しの祈りではなかったろうか。イエス様は地上、霊界すべての世界のことにつき、見聞きするすべてのことを父なる神様に申し上げ、それは執り成しの祈りになっていたであろうと私は想像する。

無私の祈り  
  さて我々のこと、実は自分のためだけに祈るとき、その祈りは案外そう長くは続かないのが普通である。自分のためだけに祈っていると、しまいには情けなくなる。「ああしてください。こうしてください」と頼みこむばかりで祈りのエネルギが続かない。そこで、一転して他者のために執り成しの祈りに切り替えると、俄然、祈りに勢力がついてくる。執り成しの祈りは、その性質上、当然無私の祈りであることが多い。そして馬力がはいる。喜びが起こる。愛が起こる。  
  強い、粘り強い祈りをするコツは執り成しの祈りをする事である。そして少しでもその祈りが聞かれたということが分かった時、まして信仰の初歩の時は、本当に嬉しいし、祈って居ること自体に満足する。いわば鬼の首を取ったように思う。実はそれからが、まだまだ道は遠いのだが、忍耐深い神様に導かれて祈りの訓練が更に更に続くのである。

緊急の祈りが聞かれた  
  ある時、まだ私の若い時だが、当時学校の教員をしていた。同僚の先生が下宿先の旦那さんが家族間の不和で家出をしたという。私の所に来て言う。「先生、この旦那、今どこに居るだろうか。」下宿屋のおかみさんが私を宗教家だと聞いて、占い宗教の先生かと思って出奔先の方角を聞いているわけだ。私は吹き出しかけたが、「ははあ、これが世間の人の宗教観だな。」と始めて気がついた。そこで私が答えた、「おかみさん、旦那さんがどこにいるかは分からなくてもいい、ただ、帰って来てくれさえすれば良いのでしょ。」「ええ、もちろんですとも。」そこで、私は祈った。「キリストの神様。この方の旦那さんを家に帰してください」。ふと、時計を見たら、夕刻の7時だった。翌日だった。そのおかみさんが駆けつけてきた。
  「先生、先生、主人が帰ってきました。ありがとうございます。」  
  よく聞くと、そのご主人、小倉まで行っていたそうだ、小倉駅の待合室の椅子に寝ころがっていたが、フト「もう帰ろうかなあ」と思ったそうだ。そしてちょうどダイヤに間に合った列車に乗って帰ってきた、という。お金もちょうど大分までの運賃分だけあった。「間に合った」と本人ご機嫌である。  
  僕が聞いた。「何時の汽車に乗ったの」「うん。7時13分。日豊線下り」と言う。分かった、私が「キリストの神様。この方の旦那さんを家に帰してください」と祈った時、7時だった。ちょうどその頃、この旦那「もう帰ろうかなあ」と思ったわけである。私は心の底で、「神様感謝です」とひそかに泣いた。  
  こうした咄嗟の祈りに聞いてくださる神様の御手の速さに驚くが、また長い時間をかけて祈ってきた執り成しの祈りに答えをくださる神様の恵みも再々である。

母親の祈りの有難さ  
  こうした緊急の際の祈りもあるが、また長丁場の祈りもある。子供の成長を祈る母親の場合など、まさにそう言うにふさわしいことが多い。たとえば、私の信仰の遍歴を見守る私の母など、そうだった。私の母は大分県宇佐郡の田舎の出身、小学校卒業の後、その出身校の特別学級で1年か2年ほど補習を受けたことを自慢にしていたくらいのことだから、その教育のほどは知れている。しかし、結婚した相手がよかった。それは無学の醜男の釘宮太重なる人物であるが、私の父である。  
  無学と言っても中学校の3年生までは行ったらしい、当時は五年制である。親は金はあったはずなので、授業料を払えなかったのではない。頭もそう悪いほうではあるまいし、悪さをして退校になるタイプでもないし、そういうことを聞いてもいない。多分、学校が嫌になったのであろう。私も多少似ていて、大分商業学校を卒業するとき、どうしても次の高等学校に進学する気になれなかった。特に軍事訓練を退役軍人から受けねばならない当時の学校制度に反発があった。  
  この父について是非書いて置きたいことは彼が明確なキリスト体験をしていたことである。これは他に何の指導する人もいなかったのに、父は今私がよく語っている「回心」をしていたのである。  
  父は母によく言ったそうである。「あんたは良い妻である。器量も良いし、料理は上手だし、私に良くして良くしてくれるし、何もいうことはない。しかし、たった一つ困るのは、あんたはイエス様のことが分かっていないことだ。」  
  母は、この父の言い分には全く理解できなかった。私だって教会に毎日曜行っているし、出来るだけ祈祷会にも行っている。それに毎朝聖書を拝読し、毎夜寝る前に祈っている。勿論、時おり人を羨み、嫉妬もし、人のかげ口を言わないでもない。しかし。これ以上、どうしたら良いのだろう。夫の言うことは分からぬでないが、凡人の私には不可能なことだし、そこまで言うのは夫も理想主義者すぎるのよ。もっと凡人になって欲しいわね。尤も、この主人は良い人だ。こんな人の妻になった私は幸福です。やっぱり夫のいうようにもっとイエス様のこと知りたいね。」と思ったものらしい。  
  「私は、教会の礼拝に毎週行っているし、献金もちゃんとしているから、私はクリスチャンとして大丈夫だと思っています。もちろん、時に人のうわさしたり、心で嫌に思ったりすることもあるけれど、それはイエス様にお祈りしてお詫びしています。そんな私をイエス様は赦して下さると思うし、こういう私で勿体ないと思うけれど、天国には大丈夫行けると信じてました」  
  こういう気持ちだった。しかし、父が死んだ後、ある時、母はある人の信仰指導書を読んだ。その薄っぺらな冊子を私は今も持っているが。母が何辺も読んだらしく、その文章に読んだ後の傍線が一杯ある。  
  その冊子では、如何に礼拝出席を守ろうと、什一献金を忠実に守ろうと、信仰の生活を敬虔な態度で日夜を過ごそうと、イエス・キリストを信じる信仰が無ければ救われませんよ、と言うのである。「これは余りに杓子定規ではないか。いや、しかし私はイエス様を信じているよ。これでいいんだろう」と答えると、「あなたはイエス・キリスト様を本当にあなたの罪の赦し主として信じて居ますか?」。

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