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聖なる祭司:とりなし者
                                    ヨハネ 皆川尚一
 主イエス・キリスト様は最初に召された「神の民」(ヘブライ語で「カーハール」、ギリシヤ語で「エクレシア」)の中に使徒の職務を立てられましたが、「祭司」の職務は立てられませんでした(マタイ10:1〜4、16:15〜19、ヨハネ15:1〜17、20:19〜23、21:15〜19、使徒1:15〜26参照)。又、聖霊降臨後の原始キリスト教会においては、使徒・預言者・伝道者・牧師・教師・監督・長老・執事等の職務が立てられましたが、未だ「祭司」の職務は立てられていませんでした(エペソ4:11、Tテモテ3:1〜3、4:14、5:15等参照)。 今わたしは上記の役職について論じるつもりはないのです。ここで取り上げたいのは、使徒ペテロが《Tペテロ2:5〜10》で教えている「祭司」の務めのことです。
  「この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。聖書にこう書いてある、
  『見よ、わたしはシオンに、
  選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く
  それにより頼む者は、
  決して、失望に終ることがない』。
  この石はより頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には『家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの』、また『つまずきの石、妨げの岩』である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。
  しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さった方のみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったがいまは神の民であり、以前はあわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている」。


1. 全てのキリスト者は祭司
 先ず第5節を見ると、全てのキリスト者に「それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい」と勧めています。ですか
ら、本来どのキリスト者にも、イエス・キリストに在って「聖なる祭司の身分と務め」が与えられていることがわかるでしょう。このペテロの教えはイエス・キリストの十字架の死と復活と昇天と聖霊の降臨とを目撃した後において、教会の中に生まれたユニークな教えであると考えられます。

  それは、かってモーセの律法による祭司が石造りの神殿に仕えたのとは違います。新約の祭司であるキリスト者は、新約の大祭司イエス・キリストと霊的に一体となって聖霊の宮である教会を形成し、そして同時に、その中にあって聖なる祭司として仕えるのです。第9節の「祭司の国」(ギリシャ語で「バシレイオン・ヒエラテウマ」)というのは「キリストの祭司職に与った祭司たちの王国」という意味です。  
  ところでこの「祭司の国」という語は旧約聖書・出エジプト記に「あなたがたは、わたしに対して「祭司の国」(ヘブライ語で「マムレカー・コーヘン」)となり,また、聖なる民となるであろう」というモーセに対する主の預言として語られたものです。  
  しかし、この預言は旧約時代には成就していませんでした。すなわち、その時代には、アブラハム、イサク、ヤコブなどの族長たちが、王・預言者・祭司の務めを一括して担っており、又、律法(トーラー)を与えられてからは、アロン系とレビ系の祭司が神の宮に仕えていました。ですから、イスラエルの民全部が祭司となったのではなく、限られた、選ばれた人たちだけが祭司となりました。
  従って、モーセに対するこの預言は、新約時代になって成就しつつあると言えます。すなわち、イエス・キリストの血潮で罪から贖われた上、聖霊で満たされたキリスト者は、身分としては神の子であり、職務としては王・預言者・祭司であります。そしてこの職務を遂行する力は聖霊であります。それゆえ、とりなし者は聖霊のカリスマによってその任務を遂行するのです。

2.祭司の務め
 祭司は神と人との間に立って、とりなす務めを担います。

(1)旧約の祭司と犠牲  
  旧約の祭司は、律法に従って動物や植物のいけにえを献げて、民族全体のために罪の赦しを祈り、感謝と献身の誓いをささげたのでした。それは民に代わって行う仲保者の役割を果たしたのです。しかし、動物犠牲は不完全であって完全な犠牲の雛形でしかなく、祭司もまた、罪と汚れを持つ不完全な者でしかありませんでしたから、日ごとに儀式を行い、たびたび先ず自分自身のために罪の赦しのいけにえを献げなければなりませんでした。

(2)新約の祭司と犠牲
   これに対して、新約の大祭司は「永遠に全うされた神の御子」(ヘブル7:28)であり、永遠の聖霊によってご自身を傷なき者として神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を清めて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者として下さいます(ヘブル9:14)。

(3)聖なる祭司:とりなし者
   従って、聖なる主から選び召された「とりなし者」は、大祭司イエス・
キリストに在って聖なる祭司の務めを行います。それは神と人との間に立って、仲立ちとなり、執り成して祈るということです。その場合神の喜ばれる「いけにえ」を献げます。その「いけにえ」とは次のようなものです。
  * 自分の「からだ」です。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、
    生きた、聖なる供え物としてささげなさい」(ローマ12:1)とあるよう
    に、自分の体を神の臨在される宮として献げるのです。
  * 祈り、讃美、善行、施し、服従(ヘブル13:15〜18)。こうした行為
    は形式的にではなく、霊と真実をもって、神への献げものとしてなさ
    れる必要があります。
  * 他の人々をささげる。パウロは異邦人をささげると言っています
    (ローマ15:16)。
  * キリストの苦難に与る(ピリピ3:10,コロサイ1:19)。
  私たち「とりなし者」は、この意味で聖なる祭司の役を担いたいと思います。

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