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悔い改めは個人の罪に限られる
                                    ヨハネ 皆川尚一
  主の言葉がわたしに臨んだ、「あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。主なる神は言われる、わたしは生きて
いる、あなたがたは再びイスラエルの地でこのことわざを用いることはない。見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂はかならず死ぬ。 〜中略〜
  しかし、あなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない、父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。 (エゼキエル書第18章1〜20節)


個人責任論の根拠
 先日わたしは日本のとりなし者のひとりT大学名誉教授S先生と電話でお話していた時、S先生が言われました、「わたしは日本人、特に日本のクリスチャンの中に大きな考え違いがあると思います。それは、日本国の犯した罪を個人のクリスチャンが悔い改めるということです。本来、悔い改めとは個人の罪の悔い改めであって、国家の犯した罪は悔い改めの対象とはならないはずです。それなのに日本国の犯した罪を個人や
教会が悔い改めたり、謝罪発表をしたりしているのは大きな考え違いであると思います」と。これに対して「わたしも先生と全く同じ考えです。エゼキエル書第18章を読めばそう書いてあります」と同意しました。

エゼキエル書だけでなく、創世記のエデンの園における神の裁きも同様でした。 罪を犯したアダムはエバに責任を転嫁し、エバは蛇に責任を転嫁しました。けれども神様は責任を転嫁せず、蛇とエバとアダムの各々の罪を問われたのです。
「主なる神はへびに言われた、
   『おまえは、この事を、したので、
   すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。
   お前は腹で、這いあるき、
   一生、ちりを食べるであろう。
   わたしは恨みをおく、
   おまえと女とのあいだに、
   おまえのすえと女のすえとの間に。
   彼はおまえのかしらを砕き、
   おまえは彼のかかとを砕くであろう』。
つぎに女に言われた、
   『わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
   あなたは苦しんで子を産む。
   それでもなお、あなたは夫を慕い、
   彼はあなたを治めるであろう』。
更に人に言われた、
   『あなたが妻の言葉を聞いて、
   食べるなとわたしが命じた木から取って食べたので、
   地はあなたのためにのろわれ、
   あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
   地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
   あなたは野の草を食べるであろう。
   あなたは顔に汗してパンを食べ、
   ついに土に帰る。
   あなたは土から取られたのだから、
   あなたは、ちりだから、ちりに帰る』
   (創世記3:14〜19)。
 
  このように、主なる神様の罪の取り扱い方は、個人責任論であって、責任転嫁論、又は連帯責任論ではありません。

責任転嫁論&連帯責任論の横行
 しかしながら、世間一般には、責任転嫁論や連帯責任論が横行して
きました。以下に実例を挙げて見ましょう。

(1)例えば、ある家庭で息子が罪を犯した時に、父親がその子を罰しようとします。すると母親がその息子をかばって、「この子が罪を犯したのは私の責任です。だからこの子を罰しないで、私を罰して下さい」 と言う。このような論理を責任転嫁論というわけです。

(2)ある学校の野球部の一員が規則を破ったならば、部員全部に連帯責任があるとして全員が監督から殴られる。これは軍隊でも頻繁に行われたことです。

(3)大東亜戦争終了後の東京裁判で日本は侵略戦争を行ったとして断罪されました。 すると、有名な大衆伝道者賀川豊彦が出て来て、「一億総懺悔(いちおくそうざんげ)」 を唱えてラジオや巡回講演を通して全国民にアッピールを繰り返しました。これも、連帯責任論です。

(4)ここから日本の首相や外相が戦争中の交戦国や日本に併合された国に対して、謝罪外交を行うようになりました。

(5)そして、日本のキリスト教会は、戦争中「天皇制軍国主義」に協力
し、侵略戦争を阻止できなかった罪を、「教会」の名において告白し、神の前に悔い改めることを声明しました。日本キリスト教団が初めであり、日本リバイバル同盟が最後に声明を出しました。  
  但し、日本キリスト教会だけは、会議の席上ある老牧師から「罪を犯したのは人間であって、キリストではない。キリストは常に全き義であり聖であられる。キリスト教会が悔い改めるというのは、キリストが悔い改めるということになるから、謝罪声明などは出すべきでない」という強い反対意見が出たので、声明は出しませんでした。 これは聖書に基いた高い見識であると思います。  

  この世の中には、その時代により、場所により、色々な利害打算により、責任転嫁論や連帯責任論が正義の仮面を被って登場して来ました。そして、教会の中ですらも通用して来ました。  
  わたしも戦争中にクリスチャンとなり、様々の苦難を経験しつつ、クリスチャンであって、同時に日本国民であるに相応しく生きる道を祈り求めて来ました。あの戦争の中で、日本国民総人口の1%にも満たない数のクリスチャンが、「大東亜戦争」を阻止することなど出来るはずがなかったのです。「阻止し得なかった罪」などというのは、ちょっと格好をつけた空論に過ぎません。真面目なクリスチャンたちは戦争など願わなかったし、個人的には色々な反対や意見を述べて抵抗もしました。しかし、マッカーサーの議会証言の通り、日本は列強諸国の経済封鎖により、自衛のために戦わざるをえない窮地に立たされたのです。私たちは天地創造の神様の御前で、自分の罪を悔い改めたいと思います。     アーメン

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