トップページ >> 日本のためのとりなし >> 2007年度 >> 8月号レポート
悔い改めは個人の罪に限られる
                                    ヨハネ 皆川尚一
イエス様とのハネムーン
 前回述べたように、1966年11月12日 強烈な聖霊のバプテスマを受けた後の一ヶ月間は、まさにイエス様と私との個人的なハネムーンでした。それは未だかって味わい知らなかったイエス様との神秘な密接な交わりと、主の現臨の力が日々あらわれる経験の連続でありました。  
  皆さん、イエス様は本当に生きておいでになりますよ。イエス様と会話しながら生きるのが、私の日課となったのです。イエス様は私に対して
たびたび、「尚一、お前を愛しているよ!」と心のとろけるような愛の呼びかけをして下さり、私も、「ああ、うれしい!イエス様、私もあなたを愛しています。お慕いしています」 とお応えするのです。それ以上に何も言う
必要のない満足感、充足感に満たされて時間の過ぎていくのも知りませんでした。主は我が上に、我がかたわらに、そして、我がうちにおられました。心の耳が開けると同時に、心の目も開かれました。天上の歌や
音楽を聞き、天上の世界を見せられることもしばしばありました。時には地獄をも見せられました。これまでは、説教の準備として一週間かけて原語の意味を調べ、注解書を学び、何とか説教をまとめるのが日課でしたが、夜、寝床に仰臥していると、上の方に大きな聖書が開かれて、
聖書の御言葉の意味が解き明かされます、「ああ、そこはそういう意味だったのですか、わかりました」 と驚き喜ぶという具合に、説教は聖霊が
準備してくださるのでした。もはや四苦八苦して、ねじり鉢巻で説教を
作る必要は無くなりました。家内や子供たちも、土曜日には息を殺して
説教の原稿が出来上がるまで待つということも不要となりました。
自由が来たのです。
  それだけではありませんでした。私はそのころ自給伝道でしたから、
自宅で学習塾を開いて小学一年から高校三年までの生徒を毎日教えていました。科目も英、数、国、社、理と広範囲に亘っていましたから、なかなか大変だったのです。私は<聖霊のバプテスマのお陰で四次元まで
挙げられてしまったから、この世のことはうまく処理できないのではないか>と、恐れていました。しかし、それは杞憂(きゆう)に過ぎなかったのです。反って、ますます頭が冴えて左脳のほうも良く働くようになり、生徒たちに喜ばれました。  
  イエス様のご存在が明確になったら、悪魔の存在もハッキリして来ました。霊を見分ける力が与えられたのです。サタンが立ち向かうべき敵として明確になったら、戦う力が与えられました。神の言に従って、又、神の言をにぎって勝つ知恵も与えられてきました。

教会に対する影響
  私が聖霊体験したのちに、第一にしたことは、これを公衆の面前で発表することではなく、伝道所の委員(長老格の信徒)から初めて、一対一で懇切に語って行くことでありました。彼らは主に対する純真な愛と信仰の持主でありましたから、ボロボロ涙をこぼして喜んで聞いてくれました。  「先生がそんな素晴らしい恵みをいただいたのでしたら、そばにいる私たちにも、きっと、ひしゃく一杯くらいの分け前が与えられるでしょう。
先生、どうか反対や誤解を恐れずに立って下さい。私たちはついて行きますから」と言うのです。  
  しかし、離反者も出てきました。四十年配のある女性は、「まあ、先生って純真ねえ。とってもついていけないわ」という捨てぜりふを残してさっさと去って行きました。有難いことにそういう人は三人にとどまりました。
  一人一人に丁寧に話し、受洗者や転入者に語っていって、一般に
公表したのは一年半後でした。内部さえしっかり一致結合していれば、
外からの反対には必ず勝つことが出来ます。又、内部の一致といって
も、全部受け入れてくれるとは限りません。疑ったり、反対したりして出て行く人が起こることも必ずあるのです。この場合に必要なことは、事なかれ主義で聖霊の働きを制限して内部の一致のみをひたすら求めて行くことではありません。教会は主のものでありますから、人間の知恵をこえた神の知恵によって人事移動がなされます。そして、神の言に従う人々が残され、主に従順な教会が形成されるのです。  
  私が聖霊のバプテスマを受けたことから、長老格の信徒を初め多くの人々が聖霊を求めて満たされて行きました。礼拝には主のご臨在が初めから感じられ、特に聖餐式の時には恵みに圧倒されて陪餐するので
ありました。悔改めて救われる人々が加速度的に増加して行きました。
  1972年までの6年間に礼拝は20名から59名と約三倍に増え、時には70名を越しましたし、クリスマスには100名以上となりました。こうして最初の会堂は傾いて危険になったので、第二回の会堂建設が計画されました。  
  こうした盛んな教会成長の中で、伝道献身者が3名起こされました。

カリスマの働き
 病気のいやしは1967年に差出人不明で送られて来たオズボーン著
「キリストによるいやし」を読みまして、実行に移した結果、牧師も信徒も生けるみ言を宣言して病霊を追い出すという方式での奇跡的いやしを
行いはじめました。按手によるものだけでなく、一緒に集まって祈るだけで顕著ないやしが現れるようになり、祈祷会はテーマに従って祈るだけでなく、しばしばいやしの集会となりました。  
  また、聖霊に導かれて祈るのにふさわしい祈祷会の在り方を求め、
ロザリンド・リンカーの「祈り」を参考にして「会話」方式をとりいれました。これによって、詩と賛美と霊の歌とが祈りの中に織りまぜられ、御言の
宣言やあかしがなされ、テーマごとに色々な角度から各人が短い祈りを集中していく多彩な豊かさを持った祈祷会が生まれて、今日まで続いて来ました。  
  悪霊の追放も行われるようになりました。スエーデンボルグや復活のキリスト教団の影響を受けるなどの試行錯誤もありましたが、聖霊は
私たちの教会の中に霊を見分ける力を与えて正しい方向に導いて下さいました。

教会堂建設と分裂の危機
  1973年から74年にかけて第二回会堂建設をめぐって、教会内部に
混乱が起こり、教会員は殆ど半分に減って、礼拝出席も20名台まで落ちてしまいました。しかし、神の恵みはこの教会を離れることなく、奇跡的に会堂建設は成しとげられ、借金の返済も着実に行われて予定通り完済できたのは、言い尽くせない感謝であります。主は十字架の血によって私たちの全てをゆるし、傷をいやして下さり、恵みに代えて新しい恵みを与えて下さったのです。

聖霊カリスマ刷新運動への参加
  1974年2月のカトリック初台教会で開かれた超教派のカリスマ集会に青年たちが参加し、聖霊のバプテスマを受けて帰って来てから、牧師も聖霊カリスマ運動の中に入るようになりました。超教派的な聖霊刷新運動に参加することによって、私たちの上に降った聖霊とその働きが、多くの異なった教派の諸教会にも現われていることを知りました。世界的な視野が開けたのです。  
  これは皆川個人の聖霊体験にとどまらず、又、相模大野教会という
一教会のリバイバルにとどまらず、終末の時代においてサタンとの一大闘争に全き勝利を得させるため、主が全世界のキリスト教会を偉大な
聖霊の力によって武装させる、世界的なリバイバルであることがわかり
ました。  

「最後に言う。主に在って、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ち得るために、神の武具で身を固めなさい。」
(エペソ6:10〜11)                  

  これは人間がとどめることの出来ない聖霊の秩序ある不可抗的な
恵みの働きなのです。  
  カリスマ運動に参加することにより、世界各国から神が遣わされた
人物に出会って、恵みを分かち合うことが出来ました。我が教会の中に第二のリバイバルが起こりはじめました。聖霊を受ける人は急速にふえて来ましたし、力ある業も一層盛んに行われるようになりました。霊修会によって霊の賜物の吟味が行われ、学びも発展して来ているのは素晴らしいことです。  
  1974年の教会霊修会には東京中央伝道所の佐藤實牧師が参加されて聖霊のバプテスマに与り、異言をもって主をあがめる人となりました。日基教会の教職の中で私についでこの恵みに与り、カリスマによって共に教会に仕える同労者となった事も感謝であります。  
  又、1976年にはヨーロッパ各国を訪問し、そこに現われている聖霊の著しい働きを見て、各国の偉大な働き人たちと交わりをむすびました。
この年から三年間に世界各国から当教会に霊の器が相次いで来訪し、教派の壁をこえたキリスト公会の交わりが聖霊によって造りだされ、育てられて来たのです。
  そうして聖霊は私たちの信仰に鷲の翼と鷲の眼とを与えて下さったと言うことが出来るでしょう。低い世俗的次元からではなく、高い霊的次元から、即ち天上のキリストの眼で全世界を見渡し、何を為すべきかを
知る方向へ導かれました。かくて、世界宣教へのビジョンが次第に明瞭に私たちの心のスクリーンに映し出されるようになったのです。  
  私はあれから40年後の今日まで、聖霊の中に在って神と共に歩み、主イエス様との親密な霊交を楽しんで来ました。今もイエス様は語って
おいでになります。  
  「わたしを見た者は、父を見たのである」 (ヨハネ14:9)と。

日本のとりなし運動の発足
  先に1975年八王子大学セミナーハウスで開催された聖霊カリスマ刷新協議会(プロテスタント・カトリック合同)の中で、イギリスのとりなし運動の代表デニス・クラーク牧師が講演しました。それは、それぞれ自分の国のために神と人との間に立ってとりなしの祈りをする必要についての訴えでした。これを聞いて感動した人々が、1976年9月にお茶の水学生キリスト教会館に集い、「日本のためのとりなし委員会」を結成しました。委員長は皆川尚一牧師、委員は横瀬猪之春牧師、L・トムソン宣教師、W・ライマー宣教師でした。こうして今日まで30年に及ぶ日本のためのとりなしの運動が発足しました。祈りの課題の中で特筆すべきことは「天皇のために祈ること」です。戦中は「天皇とキリストとどちらが偉いか?」など問われて、キリスト教への迫害が強かったので、天皇のために祈ることは
考えませんでした。しかし、宣教師からの強い要望があって、祈りの課題としました。そして、わたしたちは日本歴史と天皇との関係を学びつつ
祈るうちに、天皇と日本の伝統・文化とを尊重する方向へと導かれて
来ました。
                                        以 上

トップ>> 日本のためのとりなし >> 2007年度 >> 8月号レポート >> 祈りの焦点へ