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裁かれるのは誰か
               −従軍慰安婦連行のウソ−    ヨハネ 皆川尚一
 「女たちはシオンで犯され、おとめたちはユダの町々で汚された」
                                  (哀歌5:11)
やめろ、トム

「ヘイ、ジョン、日本の女はすぐに泣き叫ぶんだ。
イッツァーイ! イッツアーイ!ってなぁ。」
「やめろ、トム。そんな話は聞きたくない。君はクリスチャンのくせに、
そんなことをしゃべって恥ずかしくないのか?」
「ガッデム(God damn)(くそっ!)!
サナバビッチ(Son of a bitch)(畜生)!」
と叫ぶと、トムはいきなりわたしの首をしめに来ました。
私は彼の両手首を握って防ぎながら祈りました。
「オー ジーザス! …プリーズ…フォーギブ(赦して)…ヒム」
「ガッデム! ジーザス・クライスト(クソ! いまいましい)」

 トムは私の首から手を離してどこかに行ってしまいました。
それは1946年、終戦の翌年、横須賀米軍基地の士官クラブのバーでの出来事でした。日本人の三分の一は飢えて死ぬだろうと言われていた
あの頃、私の一家も飢えに直面したのです。やむなく大学(カレッジ)を
休学して、家族四人を養うために私が米軍基地に飛び込み、士官クラブのバーのボーイになりました。トムはバーテンをつとめる海兵隊員で
カトリックのクリスチャンでした。当時は一般的にカトリックとプロテスタントは互いに異端呼ばわりして排斥しあっていましたが、トムと私は同じ
クリスチャン同士だというので直ぐに友達になりました。
しかし、このショッキングな事件のあと間もなく幸運にも私は七人の素晴らしい青年士官たちを世話するルームボーイとして配置転換されたので、トムとの関わりはそれきりになったのです。

マッカーサーの命令
 1945年8月15日、昭和天皇の終戦の詔勅によって戦争が終わりました。占領軍は、先ず先遣隊2300人が8月28日神奈川県厚木に到着。
次にマッカーサー元帥が8月30日に到着。更に半月の間に約12万人。
10月末には約30万人の将兵が進駐しています。 日本政府はどのようにして占領軍を迎えたらよいか全く予測のできない状況の中で、米軍から次々に出される命令に対応してきました。東京では8月28日に内務省や警視総監了解の下に売春業者たちによって「RAA」(特殊慰安施設協会)が設立され、最初の慰安所「小町園」が大森に開設されました。
そこに集められた慰安婦は約30人でした。
*RAA (Recreation and Amusement Association)
 慰安婦たちは、「お国のために日本女性を守る性の防波堤」になると
いう悲壮な決意の下に、RAA幹部たちが発する涙のバンザイの連呼に送られてトラックで小町園に到着しました。最初の「お客」(米兵)は早くも28日の夜現れたそうです。
 しかしながら、これは充分な性の防波堤にはなりませんでした。占領軍が進駐した地域では慰安所があっても米兵によるレイプ事件が8月30日から頻繁に起りはじめました。基地周辺の家々は軒並み米兵に踏み込まれて、男たちは縛られるかピストルを突きつけられる間に女たちがレイプされるのです。白昼公道において婦人牧師が押し倒されて公衆の前でレイプされましたが、だれも助けようとする人はなく、みな足早やに逃げ去ったこともあります。道を歩いている娘や人妻たちを後ろからジープが来て拉致して、淋しいところでレイプした例も少なからず発生しました。
昼も夜もそれは起りました。米軍基地に勤務する女性たちは基地の内部でも外部でも目をつけられて頻繁に辱しめられましたが、私の場合と同じように家族を餓死から救うために勤務を辞めることができず、耐え忍んでいました。
 こうしたレイプ事件の頻発に対してMP(Military Police)とかSP(Shore Patrol)とかいう米軍の憲兵たちは見て見ぬふりをしていたし、彼ら自身がレイプする有様なので、取り締まることが出来ませんでした。日本の
警察官は戦後全く無力な状態で全く頼りにならず、彼らの中には米兵の手引きをしてレイプの手伝いをする者もいました。そして、こうした事件の数々は9月はじめまではいくつか新聞記事として報じられましたが、間もなくプレスコードが発令されて報道禁止となりました。
だから、「米軍の日本進駐はきわめて紳士的に行われた」というのは
占領軍のご機嫌を伺う神話に過ぎません。
 このような状況下で、GHQ(連合国軍総司令部:General Head Quarters)は9月はじめに連合軍用慰安施設の設置を命令し、全国各地に慰安所が売春業者(RAA)によって開設されていきました。占領期間中は、「GHQの命により」とか「ジェネラル・マッカーサーの命により」とかいう文言は一種のマジックのような絶対的権威があって、絶対服従しなければならないものでした。
 しかし、この命令も半年で撤回されたのです。その原因は米軍将兵が南方の戦場から持って来た性病が慰安婦たちに感染し、手のつけられないほど蔓延したからです。
 GHQから「公娼廃止に関する覚書」が出され、第八軍司令部は
「一切の公娼、私娼の家々への立ち入り禁止令」を米軍将兵に向かって発しました。その結果、全国の慰安所は消滅していきました。

パンパンは増える
 慰安所は廃止されても私娼が廃止されたわけではありません。
慰安婦たちはパンパンと呼ばれる私娼の群れの中に入って行きました。パンパンとはインドネシア語で「女」を意味する「プロムパン」のなまった
ものではないかといわれています。パンパンにも二種類あって、特定の軍人を相手にするオンリーと不特定多数の軍人を相手にするバタフライとがありました。彼らはみな例外なく精神的にも肉体的にも病んで、
虐げられて、短期間で死を迎えるのですが、後から後から身をもちくずしてパンパンになる人たちが絶え間なく補充されていったのは、その大多数が占領軍兵士による暴行の結果だといわれています。
* (「日本の貞操」−外国兵に犯された女性たちの手記− 水野浩編 1953年 蒼樹社刊 参照)
この本は、1952年に対日講和条約が結ばれ、GHQが廃止され、
連合国軍の日本占領が終わった翌年に、やっと発行されたものです。

裁かれるのは誰か
 以上の説明でお分かりのように、GHQ自身が戦争の終わったあと日本において、日本政府に慰安所の設置を命令したのです。GHQの命令は絶対でした。従ってGHQは組織的、強制的に性奴隷制を占領下の日本に実施したことになります。更に、戦場においてではなく、既に戦争の
終わった日本国土において無差別のレイプを取り締まることなく野放しにした責任も重大です。日本女性はGHQの絶対的強圧の下で誰にも守られるすべもなく自分が生きるための性的奴隷生活をパンパンという形で強いられたのです。
 先頃、東京で開催された国際女性戦犯法廷では、1946年の東京裁判で裁かれなかった昭和天皇を断罪するのに、「昭和天皇が女性に対する強姦と性奴隷制からなる人道に対する罪を犯した」と宣言しました。
これはそのまま米国にあてはめることができます。「トルーマン大統領は女性に対する強姦と性奴隷制及び広島・長崎に対する原爆投下と日本の主要都市に対する無差別じゅうたん爆撃のホロコーストに基づく人道に対する罪を犯した」と、オランダ国ハーグの悪名高き国際戦犯法廷で断罪したらどうでしょうか。
 連合国が東京裁判で日本軍の慰安婦やレイプ問題を裁くことができなかったのは当然です。なぜなら彼らも同じようなことをやってきたのですから。そして、これからも同じようなことをやっていくであろうことが自明ですから(それが人間の罪の実相です)、日本だけを裁くことができないのです。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネ8:7) とイエス・キリスト様は言われました。
「では、罪のない女性こそ、罪のある男性を裁く権利があるはずだ」という強い主張をもって、天皇制軍国主義を断罪しようとする女性たちが立ち上がったようです。その正義感は理解できますが、そのような単純思考だけでは根拠のある正しい裁判は到底できないでしょう。

慰安婦強制連行のウソ
 (1) 日本ではじめて「従軍慰安婦」を戦争犯罪として世に広めたのが、千田夏光著「従軍慰安婦」(1973年)および「続・従軍慰安婦」(1974年)です。この本では、千田氏が「挺身隊」として動員された朝鮮人女性20万人のうち、5〜7万人が慰安婦にさせられたと書いています。
しかし「挺身隊」とは軍需工場などへ勤労動員された者のことで「慰安婦」とは全く別のものです。また、挺身隊員で慰安婦になれと強制された例は一つも確認されていません。これは朝鮮の反日運動家が
「挺身隊で連れて行かれる者は慰安婦にさせられる」というデマを流したのを、千田氏がろくに検証もせずに書いてしまったようです。

(2) 次に発行されたインチキ本は「私の戦争犯罪−朝鮮人連行−」
吉田清治著(1983年)です。この本で吉田氏は韓国済州島で慰安婦に
するための女性狩りを度々行ったと告白した上、日本・韓国およびアメリカなどで謝罪講演をして廻りました。
 しかし、千葉大学教授の秦郁彦氏が済州島に行って実際に調査した
ところ、吉田氏が慰安婦にするための女性を1000人近く徴用したとう
事実はないことが判明しました。それに現地の新聞がすでに「吉田証言に該当する事実はない」と報道していたのです。
 韓国政府も国際人権委員会も吉田証言を引用して報告書を書いていますが、それは日本の朝日新聞が吉田証言をとりあげて、これを権威付けたからです。
 しかし、今日では、吉田証言は全くの嘘であることが証明されて、本人もフィクション(作り話)であることを認めています。

(3) 1989年大分市の青柳敦子氏と在日朝鮮人の宋斗会氏という二人の反日運動家が「慰安婦に日本国家が謝罪と補償をする運動」を起こしました。そして原告を100人と被害者を募集しはじめたわけです。

(4) 1990年韓国梨花大学教授尹貞玉氏は吉田証言を事実と信じ込み、挺身隊と慰安婦を同一視しました。そして日本兵29人に対し、慰安婦1人(ニクイチ)のごろ合わせを用いて、慰安婦の数は朝鮮人だけで17万人から20万人いたと換算しています。大学教授であっても反日とか反体制とかいうイデオロギーに捕らわれると巧みなこじつけをするのは、韓国でも日本でも同じです。

(5) 1991年4月にはソウルの日本大使館が尹氏を呼び、
「強制連行の証拠はない」と伝えて韓国挺身隊協議会からの六項目の
要求を拒否しました。その六項目とは下記です。

1.強制連行を認める
2.公式謝罪する
3.蛮行の全てを自ら明らかにする
4.慰霊碑を建てる
5.補償をする
5.歴史教育で語り続ける

(6) 1991年から朝日新聞は従軍慰安婦強制連行に関する一大キャンペーンを開始しました。初めの証言者となった金学順という朝鮮人慰安婦は日本軍に強制連行されたと報ぜられましたが、本人が日本に来て
証言したところによれば、14歳の時、家が貧しかったのでキーセンハウスに売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に日本軍の慰安所につれて行かれたことが分かりました。しかし朝日新聞はこれについての訂正記事を出していません。まだ前出の吉田清治の嘘の証言も真実として報道しました。更に宮澤首相訪韓の時に合わせて「挺身隊の名で連行された慰安婦の数は8万人とも20万人とも言われる」という嘘の解説を載せました。その結果、1992年1月宮澤首相は韓国でこの件について謝罪せざるを得ないようになりました。また、その後も河野官房長官談話でこれを追認した形になりました。この二人の日本高官の行った軽率な謝罪が国連に対するクマラワスワミ女史(スリランカ)の
「日本軍性的奴隷問題に関する報告書」の中で、日本政府がその犯罪を認めたとされることになったのです。

(7) 1992年1月14日、韓国ではマスコミが一斉に「小学生までが慰安婦にさせられた!」というショッキングなニューズを流しました。ところがこれがまた大言誤報で、真相は女子児童が挺身隊として勤労動員されたというだけの話だったのです。つまり挺身隊=慰安婦というデマを信じたマスコミの判断であったのです。

(8) 1992年11月中央大学教授吉見義明編「従軍慰安婦資料集」が刊行されましたが、その中に「強制連行」を示す資料は一つもありませんでした。その本の解説の中で吉見教授は「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と述べています。この人はこれまで「強制連行はあった」と論じてきたのに、色々調べていった末、それを裏付ける資料がないことが分かると論点をすり換えて「広義の強制連行」を考えるべきだなどと言い始めました。また「政府が資料を隠しているのかもしれないから、それが出てきたら事情が変わってくる」と暗示しているのも学者らしい狡さを見せつけられます。

(9) 1997年1月3日の「朝まで生テレビ」に出演した吉見義明教授は、
「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」ことと、および
「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めました。これは日本政府の5年前に調査した公式発表と一致するものです。  従って、従軍慰安婦強制連行問題は、議論が出つくして、調査もしつくして決着していると言わねばなりません。

結論
 本来、主権国家同士の間で決着した事柄をむし返して、グローバリズムの波に乗った国際戦犯法廷などを開くこと自体が国家の主権を否定するものです。「慰安婦の人権を守れ」と言って賠償を求めることによって慰安婦の人権を踏みにじる事になるのがなぜ分からないのでしょうか。裏付けのない一方的な個人証言をいくら集めても裁判にはなじみません。むしろ、それらの証言を一つにまとめて神の祭壇のたきぎの上に積み上げ、炎と共に天の法廷に昇らせた方がましでしょう。
「事の帰する所はすべて言われた。すなわち、神を畏れ、その命令を
守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびに
すべての隠れた事を善悪ともにさばられるからでる」
                       (伝道の書12:13〜14)。 アーメン

参考資料
1)「文明は厳かに裁く」「アサビグラフ」(東京裁判特集)1946年6月25日 朝日新聞社刊
(2)「東京裁判 日本の弁明」(「却下未提出弁護側資料」抜粋)
小堀桂一郎編 講談社学術文庫 講談社刊
(3)日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」東京 2000年
(4)12月8〜12日 国際実行委員会編集発行 付属資料「認定の概要」
世界 2001年3月号 P.232-240 岩波書店刊
(5)「従軍慰安婦」吉見義明著 岩波新書 岩波書店刊
(6)「慰安婦たちの太平洋戦争」山田盟子著 光人社NF文庫 光人社
(7)授業「従軍慰安婦」川田文子編著 教育資料出版会刊
(8)「時効無き戦争責任」アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆 
法廷準備会編 緑風出版刊
(9)「天皇の戦争責任」加藤典洋、橋爪大三郎、竹田青嗣共著 
径書房刊
(10)「日本人に謝りたい」(あるユダヤ人の懺悔)モルデカイ・モーゼ著 久保田政男訳 日新報道刊
(11)「女性国債戦犯法廷の愚かしさ」桑原聡 「正論」 平成13年2月号 P.120-127 産経新聞社刊
(12)「国際戦犯模擬法廷−聴きたい者のみ聴く裁判」 千野境子 
産経新聞 平成13年12月20日朝刊
(13)「従軍慰安婦強制連行のウソを認めない朝日新聞の偽善報道」
週刊新潮 1997年4月17日号 P.36-40
(14)従軍慰安婦問題「歪められた私の論旨」−誤認と誤断に満ちた
国連の報告書に異議あり−秦郁彦(千葉大学教授) 文藝春秋 
1996年5月号 P.188-198
(15)「現代史の争点」秦郁彦著 文藝春秋刊
(16)「汚辱の近現代史」藤岡信勝著 徳間書店
(17)従軍慰安婦と「女性基金」問題 「韓国マスコミは伝えたか」綛谷智雄(かせたに ともお)「論座」1998年11月号 P.34-41 朝日新聞社刊
(18)「『慰安婦と731部隊』合体の仕掛人」秦郁彦 「償い金を受けた韓国元慰安婦の本音」黒田勝弘 「諸君」1997年3月号 P.44-53、P.94-101
文藝春秋社刊
(19)「『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」秦郁彦 「諸君」1999年2月号P.178-191 文藝春秋社刊
(20)「戦争責任と戦後補償」四者討論 坂本多加雄 秦郁彦 半藤一利 保阪正康 「諸君」2000年2月号 P.144-122 文藝春秋社刊
(21)「女性の権利・人権」「現代用語の基礎知識1998」 P.869-871 
自由国民社刊
(22)「女性に対する暴力」「現代用語の基礎知識2001」P.1006-1007 
自由国民社刊
(23)「新ゴーマニズム宣言 3」小林よしのり著 小学館刊
(24)「新ゴーマニズム宣言 4」小林よしのり著 小学館刊
(25)「続・従軍慰安婦」千田夏光著 双葉社刊
(26)「GHQ日本占領史 序説」
<解説>竹前栄治 <訳>竹前栄治/今泉真理 日本図書センター刊
(27)「日本占領 vol.1」小島襄著 文藝春秋社刊
(28)「日本の貞操」−外国兵たちに犯された女性たちの手記− 
永野浩編 蒼樹社刊
(29)「おんなの戦後史」もろさわようこ著 未来社刊

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