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景教(東方基督教)と日本 2  久保有政
 カタカナはアラム・ヘブル文字によく似ている。
以前、ラビ・M・トケイヤーとお話ししたときに、彼がこう言っていました。
「日本に初めて来て、羽田空港に来たのですが、そこに『コカ・コーラ』とカタカナで書いた看板を見ました。そのとき『あれ、これはヘブル語に
よく似ているな』と思いました」
 実際、『コカ・コーラ』というカタカナは、ヘブル文字に、非常によく似て
います。ヘブル文字として読んでも、『コカ・コーラ』と読めるのです。
 また、かつて日本に来たユダヤ人で、ヨセフ・アイデルバーグという人がいます。彼は京都の護王神社で見習いとなって、神道や日本のことを学んだことのある人です。 彼もまた、日本の「カタカナ」や「ひらがな」を習ったとき、それらがヘブル文字にたいへんよく似ていることに驚いた、と述べています。
 ヘブル文字というのは、アラム文字と同じです。ヘブル語とアラム語は兄弟言語で、同じ文字を使います。 また、景教徒たちはアラム語を話す人々でした(景教徒たちはシリア文字を使いましたが、これはアラム文字を基本としたものです)。
 さて、ヨセフ・アイデルバーグは、日本の「かな」と、アラム・ヘブル文字との類似性を、対照表にして示しています。それによれば、「コ」「カ」「ラ」「ハ」「ク」「ト」「ノ」「フ」「レ」「ワ」「サ」「そ」「ひ」「あ」などはとくに、アラム・ヘブル文字に形も音もよく似ています。
(ヨセフ・アイデルバーグ著『大和民族はユダヤ人だった』たま出版)

景教徒は東方世界各地で文字を創作していた
 「ひらがな」「カタカナ」は、奈良時代〜平安時代頃につくられたものです。しかし誰によって作られたかは、よくわかっていません。しかし不思議なことに、このように日本の「かな」は古代ヘブル文字、あるいはアラム
文字との間に非常な類似性があるのです。
いったいどうして、両者はこのように似ているのでしょうか。
 じつは景教徒たちは、東方世界において各地の言語をよく研究し、
それらの言語にあった文字を作りだして、その人たちに与えていました。  たとえばウイグルでは、景教徒たちはアラム文字を変形してウイグル
文字をつくり、土地の人々に読み書きを教えました。その文字はのちに
モンゴルでも使用されました。さらに史書によれば、モンゴル文字は、
満州文字として満州族の間でも用いられました。
 トルコ族の間でも、景教徒たちによりアラム文字を変形してつくられた文字が用いられました。これらの民族においては、いずれもそれ以前に人々は文盲であり、読み書きができなかったのです。
 景教徒たちはインドでも、インド文字を作りました(カローシュティー文字等)。今なおインドで使われているものもあります。東洋の人々に文字を与え、読み書きを教え、学校をつくったのは景教徒たちだったのです。  一方、今日イスラム世界で用いられているアラビア文字はどうでしょうか。アラビア文字は、イスラム教の発生以前に作られました。
それはアラム文字、シリア文字にならって考案されたのです。 イスラム教発生以前、アラビアには景教が盛んでしたから、アラビア文字考案の
背景にも景教徒たちの功績があったと言われています。
 また、世界で最も科学的な文字と言われる韓国のハングル文字は、
どうでしょうか。これは今から500年ほど前の韓国の王が作ったと、
一般に言われています。しかし、韓国生まれの宣教師ジョン・M・L・ヤングによれば、その原型は今から約1000年ほど前の景教徒によって
最初に作られたといいます。
 このように景教徒たちは、東方世界の各地で文字をつくり、その土地の人々に与えていたのです。彼らがつくったそれらの新しい文字は、土地の人々の言語に合わせたもので、非常にシンプルに、またすばやく書き表せる便利な文字でした。
 文字をつくるなんて、本当にすごいことです。景教徒たちの使命の一つは、誰でもわかる平易な文字に翻訳された聖書を広めることでしたから、彼らは行く先々の言語を徹底的に研究していたのです。
 彼らは中央アジアの都市メルブに、各地の言語を研究する言語研究所を持っていたくらいです。そして彼らは、しばしばそれらの言語に合わせて、文字さえも創作していたのです。 したがって、日本にも景教徒が来たのであれば、彼らが日本人の言語を研究し、その言語に合わせた適切かつ簡易な文字をつくり出し、それを日本人に普及させようとしたのだとしても、決して不思議ではありません。
 その際、彼らは景教徒であり、アラム語を母国語とする人々でしたから、「かな」をつくる際に、アラム文字を若干変形させてつくったのではないかと想像されるわけです。

いろは歌に隠された景教のメッセージ
 さらに、これに関連して思い起こされるのは、「いろは歌」です。
そこにも景教徒の明確な影響が認められるのです。
いろは歌は、音の異なる47文字の「かな」を一字も重複することなく
すべて使用して、しかも深い意味のある一つの歌にしているものです。
そう簡単にはつくれない歌です。  戦前は、いろは歌は習字の手本としても用いられ、日本人なら誰でも暗唱して言えるものでした。
いろは歌は一般に、平安時代に作られたと言われています。
弘法大師・空海の作、との俗説がありますが、現在のほとんどの学者はこれを否定しています。
 一般には作者は不明なのです。いろは歌は古来、
7文字ずつに区切って記されました。

   「
いろはにほへと
    ちりぬるをわか
    よたれそつねな
    らむうゐのおく
    やまけふこえて
    あさきゆめみし
    ゑひもせす」

 ここで、一番下の文字を続けて読むと、「とがなくてしす」(歌の中で清音と濁音は一つになっている)となることがわかります。「咎なくて死す」と
読めます。罪がなくて死んだ、の意味です。  こういうふうに、歌の中にもう一つのメッセージを組み込むことを、「折り句」(おりく)といいます。
平安時代には、歌人の間でよく流行しました。
 各行の一番下にそれを組み込むことを「沓」(くつ)といい、頭に組み
込むことを「冠」(かむり)といいます。また両方に組み込むことを、
「沓冠」といいました。
 いろは歌に組み込まれたメッセージは、「咎なくて死す」だけではありません。右上、左上、左下の文字を続けて読むと、「イエス」となります。
 さらに、各行の頭を読むと「いちよらやあえ(ゑ)」となります。
これは私には、アラム・ヘブル語で「神ヤハウェの人」を意味する
「イーシ・エル・ヤハウェ」が、若干なまったもののように思えます。
するとこれは、「罪咎なき、神ヤハウェの人イエスは、十字架上の死を
遂げた」というメッセージを折り込んだ歌だということがわかります。私は、いろは歌は景教徒がつくったものに違いない、と思っているのです。
 平安時代には、景教徒たちはすでに日本にたくさん入っていました。
そして彼らは日本人となり、日本の文化・伝統の形成に深い深い影響を与えていました。
 「かな」の発明は、日本文化にとって画期的な出来事でした。
山本七平氏は「かなの発明」について、その著『日本人とは何か』(PHP研究所)の中でこう述べています。
 「『かな』が日本文化をつくった。……平安前期までの日本は、ほとんど中国文化の取り入れに明け暮れた。その中で本当に創造的な仕事と
言えるのは、かなの発明である」  そして、景教徒は「かな」を発明した
だけでなく、世界的にも優れた「いろは歌」というものを残しました。
その「いろは歌」は、一字も重複せずに作った歌だというだけでなく、
「折り句」として、キリスト教のメッセージがそこに折り込まれているのです。  このことの中に私は、景教徒たちの宣教への強い熱意と、日本への深い祈りを感じます。

いろは歌は仏教思想ではない
 「いろは歌」は、その本文も、非常に聖書的なものです。 いろは歌は
しばしば、仏教的思想――とくに『涅槃経』の内容をうたったものと言われます。しかし、国文学者の宮嶋弘氏や岡田希雄氏らは、それは涅槃経とは関係がないとしています。
  「色は匂えど散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  有為(憂ゐ)の奥山今日越えて
  浅き夢見じ酔ひもせず」
という「いろは歌」の内容は、むしろ次の聖書の言葉を思い起こさせる
ものです。 「すべての人は草、その栄光はみな野の花のようだ」(イザヤ書四〇・六) 「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かして下さい」(詩篇一一九・三七)
 こうした思想や思いを歌ったのが、いろは歌ではないでしょうか。
 「あなたの道に私を生かして下さい」  その「あなた」とは、「咎なくて死」んだ主イエスであったのです。 景教徒たちは、じつに味わいのある歌をつくったものですね。 これは、景教徒たちが昔の日本に与えた巨大な
影響の、ほんの一例にすぎません。ほかにも数多くあります。私たちが知らないだけなのです。私たちは彼らから、どれほど多くの恩恵を受けていることでしょうか。
 かつてキリシタン迫害時代に、日本の過去のキリスト教的影響は、
すべて闇に葬られました。過去のキリスト教的影響は、わからないように隠されてしまったり、あるいは、仏教の影響であったかのようにすり替えられてしまいました。
 しかし注意深く見てみるなら、そこに古代の日本にやって来た景教徒たちの深い影響を読みとることができるのです。

日本人のためのキリスト教
 私たちは、西洋のキリスト教の中で育ってきましたので、西洋という
フィルターを通してキリスト教をみるクセが、しみついてしまいました。
 しかし、もう一つのキリスト教があったのです。それは景教をはじめと
する東方基督教です。とくに景教徒たちは、はやくからアジアに来て、
また日本にもやって来ていました。 彼らのキリスト教は、西洋的キリスト教とは少し違います。じつは彼らの伝道の中に私たちが学ぶべきことは、非常に多くあります。
 私は、日本人には、西洋的キリスト教よりも、むしろ景教徒たちや秦氏の信奉していたキリスト教のほうが、より肌に合うと思っています。
 西洋のキリスト教は、ローマ的、ゲルマン的なキリスト教です。
しかし景教などの東方基督教は、むしろ非常にユダヤ的なキリスト教
でした。キリスト教というのは、本来ユダヤ的なものなのです。
そして、それのほうが日本人には、よりしっくり来ます。冒頭に述べた
ラビ・M・トケイヤーは、ユダヤ教徒であってキリスト教徒ではありませんが、その著書の中にこんな言葉を残しています。
「日本は本当の、正統的なキリスト教を信じなければならない。
日本は最上の、ねじ曲げられない正当なキリスト教の考えを受け入れ
なければならない」(「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部刊)

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