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                       2007/9/16 日信徒親交霊修会メッセージ
教会の本質と使命

               聖書(エペソ1:23)         皆川尚一牧師
序  言
 キリスト教会を歴史的に観察するならば、西暦紀元第1世紀にユダヤ教の一派として誕生したイエス・メシア派が、メシアの死と復活と聖霊降臨という劇的な出来事を契機として、イエス・キリストの教会となって再
生・発展したという見方がなされて来ました。これが使徒たちによって指導され、地の果てまでを目指して宣教活動を進めた原始キリスト教会です。この教会の役職は使徒・預言者・牧師・教師・監督・長老・執事等でした。これまで見落とされてきた東方キリスト教会の宣教はシリアのアンテオケ、エデッサ、ニシビス等を拠点として第2世紀にはシナや日本まで到達していたと考えられますが、日本でのキリスト教会形成は成し遂げられず、古代日本の神道の形成に貢献したと考えられます。その理由については、別の機会に論じます。  
  その原始キリスト教会はローマ帝国内での300年間にわたる大迫害に耐えて発展し、使徒後教父たちの指導の下に古代キリスト教会を形成しました。教父による指導の時代は第8世紀までとされています。
  この間に、キリスト教会はシリアのアンテオケ、エジプトのアレキサンドリア、小アジアのエペソ、ビザンチン、イタリヤのローマ、北アフリカのカルタゴ、フランスのゴールなどを中心に発展し、大司教、司教、司祭等の役職が作られました。しかし、ローマ帝国の首都が紀元330年にローマからビザンチンに移され、皇帝はこれをコンスタンチノープルと改称したので、これまで教会統合の首位権を主張していたローマ教会の大司教に対し、コンスタンチノープルの大司教が首位権を主張し始め、西暦1054年に至り教会は東方のギリシャ正教会と西方のローマ・カトリック教会とに分裂しました。  
  東方のギリシャ正教会は使徒的正統性と公同性とを主張し、ロシア正教会、日本ハリストス教会へと発展しましたが、いわゆる景教としてもペルシャからシナの西安に伝播し、西安に大秦寺を建てました。この流れは今もアメリカに総本部を持ち、「聖なる使徒的公同のアッシリア東方教会」と称しています。  
  西方のローマ・カトリック教会は使徒ペテロを第1代ローマ教皇とする全キリスト教会の支配権を主張して、「ローマ教会の外に公同教会無し
」、「ローマ教会の外に救い無し」、「ローマ教会に誤謬無し」と宣言し世界的に発展しました。  
  これに対して第16世紀に宗教改革が起こり、ルター、カルヴァン、ツウィングリ、ウイクリフ、ジョン・ノックス等の宗教改革者たちはローマ・カトリック教会の誤謬を批判し改革を求めたために、ローマ・カトリック教会から破門され、ルター派、改革派、再洗礼派、英国国教会派等様々のプロテスタント各派の教会が誕生して、世界的に発展しました。その中で、いわゆるペンテコステ派は19世紀初頭の北アメリカでプロテスタントから派生して、この200年間で南北アメリカ、アフリカ、シナ等に爆発的な宣教活動を続けています。  
  このような歴史の流れの中で、様々な信仰・職制・習慣等、形態の異なった教会が生まれて来たので、「キリスト教会とは何か」が明確にされる必要があります。

1.教会の本質

(1)キリストの体
  「教会」とは、ギリシャ語で「エクレシア」、ヘブライ語で「カーハール」 と言います。しかし、ギリシャ語の「エクレシア」は、古代ギリシャの都市国家ポリスの国政を行うために召集された議員たちを意味しますから、「教会」の訳語としてはふさわしくありません。イエス様が「わたしはこの磐の上にわたしの教会を建てよう」(マタイ16:15〜20)と言われた時、ヘブライ語で語られたはずですから、原語は「カーハール」のはずでありま
す。「カーハール」とは、「神の民」を意味しているのです。言い換えれば、 これは「神によって召され、結集され、指導されている民」であるという
意味です。  
  キリスト公会憲法では、次のように規定されています。
「神は全人類のうちより、救いの計画に従い、御子イエス・キリストの血によって贖い取られた無数の人々を召し、これを神の選民・キリストの体・聖霊の宮として形成される。この集団は、全世界・全時代の聖徒から成り立っている。これを聖なる公同教会と称する」。  
  ここで、教会が「キリストの体(からだ)」と呼ばれていることに注目して下さい。エペソ人への手紙に、「この教会はキリストのからだであって、
すべてのものを、すべてのものに、満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない」(エペソ1:23)とある通りです。それは聖書に「神が御子の血であがないとられた教会」(使徒20:28)とあるように、キリストの十字架の血のあがないによって救われ、召された者たちの霊的共同体であり、キリストがそのからだの頭(かしら)、私たちはその肢体であります。私たちは肉体的にはそれぞれ離れて生活していても、霊的には一体です。私たちはそのような立場から、自分を主に献げて神の栄光を現わすために生き、父・子・聖霊なる三一の神に礼拝をささげ、キリストの救いを宣べ伝える者とされました。

(2)信仰の一致
  このキリスト教会は、神の子イエス・キリストの来臨によって召され、
イエスを神の子キリスト(メシア)と信ずる信仰によって結集され、指導された12使徒と、72弟子たちを中心にイエス様のご在世中に誕生した群れであることは、《マタイ16:15〜20、ヨハネ10:1〜18、15:1〜17、17章全体、20:19〜23》の聖句によっても明らかです。
  彼らは主のご昇天を見送った後、聖霊の降臨を待ち望みつつ祈る群れであり、使徒たちの指導の下でユダの後任となるべき使徒の補充選挙を行いました。 従って、ペンテコステ以前にイエス・キリストを頭とするキリスト教会が既にエルサレムに形成されていたことは明らかです。ですから、世界各国に建てられた各派のキリスト教会が首位権を主張する事は根拠が薄弱であると言えます。
  (いわゆる「使徒伝承(アポストリック・サクセッション)」の制度はローマ
  ・カトリック教会の主張の上に立てられたものです。それは、初代教皇
  聖ペテロから現在の第265代ベネディクトゥス16世までの教皇が按
  手の連鎖によって使徒の権威を受け継いでいるという主張です。しか
  し、使徒ペテロがローマの教会を司牧したという確証は今に至るまで
  ありません。)
そして、神の子イエス・キリストを信ずる信仰は、父なる神、聖霊を信ずる信仰と一つであって、父、子、聖霊なる唯一の神を信ずるという告白や祝福が共通のものとなりました。それが三位一体の神という表現となりました。  
  従って、私たちは「真の神にして真の人なるイエス・キリストを信ずる」 という一点において結ばれた霊の共同体ですから、この世の思想的、政治的、立場が違っていても良いのです。この世の思想も政治的立場も時代とともに変りますが、イエス・キリストは昨日も今日もとこしえまでも変りたもうことがありません。

(3)聖なる教会
  キリスト信徒は、「聖なる神」に属する者ですから、「聖徒」と呼ばれます。それはイエス・キリストによつて召され、十字架の血によって贖い取られた者、キリストの体を形成する者です。しかし、まだ完成された者ではありません。
  ですから、この地上に生活している間は悪魔の誘惑により、繰り返し罪を犯す可能性があり、悔い改めて罪の赦しを祈ることによって、日に日に清められ、高められ、進歩・向上して行くことを約束され、キリストによって守り、導かれているのです。イエス様はそれゆえに「主の祈り」を
教えて下さいました。(マタイ6:9〜15、ヨハネ17:15〜19、ピリピ3:9〜16)
  但し、懺悔することと、罪を悔い改めることとは違います。懺悔するだけで、改めようとしないならば、罪に留まっているだけです。それは罪の中に居直ることになります。進歩・向上のためには、祈りと努力と聖霊の助けが必要です。

  「それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現われる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。
従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身もあらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい」(Tペテロ1:13〜15)。

(4)唯一の公同の教会
  「教会は唯一の公同の教会である」としてローマ・カトリック教会はその絶対性を主張しますが、二千年の歴史的な流れの中でカトリックにも多くの誤謬が明らかになって、全キリスト教会がカトリックに帰一することは不可能だと言わねばなりません。それよりも大切なことは、キリストに在る全キリスト教会の一致を信じることだと思います。イエス・キリスト様はご自身の体の中に全てのキリスト者を一つに結集して霊の共同体を形成しておいでになると信じるのです。ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、改革教会、ルター教会、ペンテコステ教会等の各派のキリスト教会から始めて、数々の単立教会や、無教会、救世軍、その他のいずれにも属さないキリスト信徒にいたるまで、ただ神様だけが知っておられ、愛しておられる聖徒たちが各時代に世界中にいるのです。私たちはそれら
全てを含む唯一の公同教会がキリストの教会であると信じます。そこで、キリスト公会憲法の5行目以下をご覧下さい。

  「この聖なる公同教会は、過去・現在・未来に亘り、天上・地上・陰府にまで及ぶ。これに属する者は、神のみが明らかに知っておられる。これを見えない教会と称する。公同教会は、又、見える教会として現存し、国家・民族・人種・階級・男女の差別なくこれに属する。いずれも、父・子・聖霊なる唯一の神を信じ、主イエス・キリストの救いを受け、その信仰を告白し、御霊の導きの下に、主の命令に従い、世界に御国の福音を宣べ伝え、キリストの教会を建て、神の御旨の成就に仕えるものである。公同教会の本旨を実現するために、形態を整え、制度を定めて団体を組織する。これを一団の教会と称する」。

(5)聖徒の交わり
 この一団の教会が、キリスト公会相模大野教会であり、キリスト公会
札幌グレイス教会であります。
  この教会は聖徒たちのグループですから、親しい交わりを持ちます。
しかし、その交わりの目的はイエス・キリストの愛をもつて互いに助け合い、悩みと慰めと平和と喜びとを分かち合い、互いの信仰を進歩・向上させ、共に教会の使命に仕えることにあります。相模大野教会には現在、信徒親交会が設けられていますが、これは過去において教会の人数が増えたために、便宜上教会員全体を三つに区分して、壮年会(シオンの友)、婦人会(サラの会)、青年会(マルトス会)とし、交わりと奉仕がしやすいようにしたわけです。それが、その後だんだん人数が減少したために、三つに区分する必要がなくなって「シオンの友」一つとなり、それが
「信徒親交会」という名称に変りました。ですから「信徒親交会」は教会そのものなのです。ところが、信徒親交会という団体を作っているために教会総会の後に、信徒親交会の総会を開いたり、教会とは別の組織と錯覚するような人も出て来たりしますので、その心配をなくすため、信徒親交会の代わりに、教会職務の一つとして「信徒親交部」を設けて、現在の委員が部員となり、これを運用するようにしたいと思います。今は伝道所時代にもどったような少数の信徒が家族的な教会の交わりを作っている現状ですから、それにふさわしく対応する時であると思います。  
  次に、「交わりについての心得」ですが、愛の交わりと言っても、ピクニック、キャンプ、会員のためのお祝いごと等は良いと思いますが、ただ愉しい社交的な交わり(グルメ旅行、ダンス、碁、将棋等)を教会の中にも持ちこむことは避けたいと思います。また教会の交わりの中で世間話や人のうわさ話や非難・中傷等で盛り上がるようなことは、慎まなければなりません。  
  また、教会の交わりの中で強い自己主張によって人々を従わせたり、教会の中にグループを作って牧師と対立するようなことも好ましくありません。  
  そのためには常に祈ること、牧師・牧師代理のために祈り、悩みと喜びとを分かち合って、お互いにとりなし祈ることが大切です。  

  相模大野教会は、かって長老主義教会に属していたために、そこを離れて無教派・独立の教会となってからも、しばらく長老制度を続けていましたが、長老・執事という役職が、一般信徒より偉い人だという意識を持たせる結果となる弊害を生みました。日本の教会には「長老」と呼ぶに相応しい人はそう多くはなく、執事とか、役員とか呼ぶに相応しい人がほとんどですから、キリスト公会では長老制度をやめて、監督制の長所を生かしたドゥーロス制度をとることになりました。ドゥーロスとはギリシャ語で「奴隷」の意味です。イエス様が「かしらになりたい者は、奴隷になれ」と言われた精神を身につけて、身を粉にしてイエス様のために仕えることを無上の喜びとしたいものです。昔、日本キリスト教会では、「長老は終身職である」としていた時期がありましたが、その制度の弊害に気づい
て、「長老の任期は2年」と制限しました。ですからドゥーロスでありなが
ら、いまだに長老気分でいるようなことは厳に戒めなければなりません。また、教会員はだれでも牧師と何でも直接話し合えることが望ましいの
で、誰かが信徒代表になって牧師に取り次ぐようなことは、望ましくありません。

  カトリック教会では使徒信条の「聖徒の交わり」を「諸聖人の通功(つうこう)」としています。諸聖人の通功とは、イエス・キリストを頭に戴いて一致している人々が功(善行)を通じて助け合うことを言います。その功というのは、例えば、「めでたし、聖寵(せいちょう)充ち満てるマリア、主御身と共にまします。 〜中略〜 天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え」という天使祝詞を朝夕3回ずつ唱える善行(功)によって、自分の霊魂が救われ、また煉獄にある霊魂が救われるというのです。つまり、天国の聖人、地上の信徒、そして陰府の煉獄の信徒が善行や苦行による功績を通じ合わせて助け合うことが出来るとしています。  

  カトリック教会とは違って、わたしたちには「通功」の観念はありませんが、天使や天国にいる聖徒たち、陰府にいる聖徒たちとも、聖霊によって交流し、有形・無形の様々な助け合いが出来ることを信じています。
  また、日本のためのとりなしの祈りを通じて、この地上の祖国や他の国々の上に神様の御旨が成るように祈ることによって、政治・経済・教
育・社会等のあらゆる問題のためにとりなし祈ることができます。こうした働きも天使や天界の聖徒たちの助けが必要です。主イエス様は天界の勢力を総動員して地上の聖徒たちの祈りの実現のために働いて下さっているのです。

2.教会の使命

 教会の使命は礼拝と宣教にあります。その使命を達成するために教会は四つのわざを行います。主日礼拝、祈祷会、献金、伝道の四つです。

(1)主日礼拝
  主日礼拝はキリスト者の安息日となった「主の日」を聖別して神様に礼拝を献げるものです。「安息日を覚えて、これを聖とせよ」(出エジプト20:8)とあります。初めのキリスト者はユダヤ人が多かったので、土曜日の安息日と、日曜日の早天礼拝を守りました。なぜならば、日曜日は神様の天地創造の日であり、イエス様の復活の日であり、また聖霊降臨の日であったからです。それで日曜日を「主の日」と呼んで特別な礼拝日としました。そして、キリスト教会が異邦世界に発展するにつれて、土曜日の安息日は守られなくなり、主の日だけを安息日として守るようになりました。ただし、初めのキリスト者は主の日に早天礼拝をささげてから働きに出かけて行ったのです。

  礼拝は説教を聴くためだけではなく、神様に自分の霊と心と体とを献げるために行うものです。それは旧約聖書のはん祭(全焼のいけにえ)と同じく、自分を神様に献げ尽すという意味があります。そして、その献身のしるしとして献金を行います。(献金については後述します)。

  礼拝に出られない場合には、予め理由を付して主任牧師(相模大野教会)・牧師代理(札幌グレイス教会)に届け出るようにして下さい。礼拝に出席する人は礼拝が始まる前に来て奉仕し、着席して、黙祷しながら礼拝の心備えをします。そして、ケイタイ電話の電源を切るか、マナー・
モードにして、コールが礼拝を妨げないように配慮します。礼拝前、礼拝中の挨拶や雑談は避けて、礼拝の後に廻し、必要な会話は低い声で手短かに話します。
  牧師に話したいことがある人は、直ぐに牧師を捕まえないで、先ず帰って行く人々に牧師が挨拶をする方を優先させ、後からゆっくり話すように配慮して下さい。しかし、緊急の場合には直ぐに話して下さるようお願い致します。

(2)祈祷会
 祈祷会は、礼拝に次いで大切な集まりです。祈りの課題を出し合って祈ることは、教会の使命を実現するための第一歩となります。すべての宣教活動は祈りから始まります。また、兄弟姉妹のために祈ることによって、誰が、どんな問題で悩んでいるか、喜んでいるかが分りますし、聖徒の交わりが深くなります。礼拝に出るだけでは、自分のことで精一杯で、他人のことが具体的に分りませんから、横の関係が希薄になります。
どうか、愛の祈りに燃える教会となりましょう。(札幌グレイス教会では、礼拝中に祈祷会を持っています)。

(3)献 金
  献金には、いくつかの種類がありますが、、旧約聖書の律法の精神に基いており、教会員には献金の義務がありますので、金額は自由です
が、必ず献げなくてはなりません。献金は便宜上次のように分けられています。
 (1) 礼拝献金
  「から手で主の前に出てはならない」(申命記16:16,出エ23:15)と
  ありますように、礼拝に出るときには前もって家で献金の用意をして出
  てくること、礼拝の場で財布の中身を調べて有り金の中から献げるの
  は不心得です。しかし、不用意に出席したからといって献げないのは
  良くありません。
  (2) 月定献金
  月定献金は教会の維持のために献げるもので、以下の聖書に基きま
  す。
  * 全収入の十分の一を献げる(申命記14:22〜29,出エ23:15)。
  * 初穂を献げる(レビ23:9〜10,申命記26:1〜2)。
  ですから、例えば月給をもらったならば、先ず最初に十分の一を神様
  のものとして取り分けて月定献金袋に入れておき、礼拝に出席した時
  に献げるのです。もし、何らかの理由で礼拝に出られない時には、現
  金書留で牧師または牧師代理に郵送して下さい。二ヶ月、半年、一年
  と溜めて献げるのは、月定献金の趣旨に反し、教会に迷惑をかける
  ことになります。
  また、何らかの事情があって、以上の原則に従えない場合には、自分
  で一定の金額を決めて月定献金として献げて下さい。
  (3) 感謝献金
  感謝献金は、受洗の時、入会の時、誕生日、病気平癒、健康、入学、
  就職、旅行から無事帰宅、故人の記念、クリスマス、イースター、その
  他色々なことで感謝の気持ちを献金に託して神様に献げるものです。
  金額は自由です。
  (4) 指定献金  
  指定献金は、ある目的を指定して献げるものです。
  例えば、牧師出張費、教会調度品等。
  (5) 特別献金  
  特別献金は、会堂建築、修理、特別伝道等のために献げるものです。

ある時期に多額の献金をしたから、それ以後は一切の献金をする必要がないと考えるのは、上記の献金の精神に反します。

(4)伝 道
  伝道は、主イエス・キリスト様から委託された教会の使命であります。主は命じられました、
「わたしは天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:18〜20)。  
  これは牧師、牧師代理のような聖職者だけでなく、すべての信徒に命じられた使命ですから、人々の霊魂の救いのために、先ずとりなしの祈りをささげ、様々のチャンスを捉えて、自分がイエス様を信じて救われたことを証しするなど、心を配って行きたいと思います。  
  当教会では、インターネット伝道に力を入れており、昨年の10月1日より今年の9月15日まで新しい教会ホームページにアクセスして来た全リクエスト数は、417,391に達しています。月平均で、34,782です。
  また、大型立看板を市内6カ所に立てて、説教題を筆で大書した紙を毎週掲示しています。これは開拓伝道の初めから行って来たもので、多い時は12か所にものぼりましたが、立看板の設置に相応しい場所が次第に減少して、今は6か所です。
  また、当教会は、開拓伝道の初めから約40年にわたって戸別訪問の足の伝道を実施して来ましたが、12年ほど前から足の伝道は社会のニーズに合わなくなり、他の方法に切り替えました。駅前や公園、学校付近でのビラ配りや、路傍説教などもたびたび行って来ました。キリスト教映画会、紙芝居、或いは、ゾマホン特別集会、駅前クリスマス・ゴスペル・
コンサート等、色々な趣向を凝らして伝道に励んで来ました。これからも相応しい方法が見つかったらチャレンジして見たいと思います。

結  語
  私たちは、キリスト教会の本質と使命を深く心に留めて教会生活を営みます。教会生活とは、イエス・キリストの体である教会の肢体としての自覚をもって、忠実に礼拝を献げ、家庭生活、社会生活の中にあっても、常に主イエス様と教会とを中心として祈りをささげ、教会の牧師、牧師代理や兄弟姉妹との祈りの交わりに支えられて、日常の生活のすべてを営んで行くことです。この趣旨に従って教会生活を共にする皆様の
上に、神様の祝福が豊かでありますように!           アーメン

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