トップページ >> トピック >> 人は何で生きるか

                         2008/9/23 秋の教会霊修会メッセージ
人は何で生きるか

                                 皆川尚一牧師
Tヨハネ4:16
  「神は愛である。愛のうちにいる者は神におり、神も彼にいます」。

第1メッセージ
天使ミハイルが学んだこと

 トルストイの民話「人は何で生きるか」には、神様の命令に背いて地上に落とされた天使ミハイルが、三つのことを学んだことが書いてあります。
(1)人のうちにあるものは何か
(2)人に与えられていないものは何か
(3)人は何で生きるか
この三つです。これを順番に考えて見たいと思います。
ちなみに「ミハイル」はロシア語で、普通は「ミカエル」と呼ばれています。

(1)人のうちにあるものは何か   
  天使ミハイルが村の礼拝堂の壁にもたれたまま、素っ裸ですわっていると、そこに靴屋のセミョーンが通りかかりました。セミョーンは貸金の取立てがうまく行かず、外套に掛ける羊の毛皮も買えず不機嫌でしたが、わずかな修理代を貰ったので、ウォーッカを飲んで愚痴をこぼしながら歩いて来ました。
  ミハイルが彼の顔を見ると、彼は死人のように見えました。セミョーンは係わり合いになることを恐れて通り過ぎましたが、「おい、セミョーン、良くねえだぞ?」と言う良心の声に咎められて戻ってきました。その顔は生き生きして神様のようでした。セミョーンは自分の着ていた長上着を脱いでミハイルに着せ、フェルトの長靴を履かせて、自分の家に連れて行ってくれました。
  家で待っていた女房のマトリョーナは、夫よりもっと恐ろしい死相を現わし、死の息吹きを吐いて、ミハイルを追い出そうとしました。しかし、夫に「お前の心にゃ、神様はいなさらねえのかい?!」と言われると、ハッと気がついて優しい心になりました。彼女の顔から死相が消え、生き生きしてきて、ミハイルはその女の中にも神様を見ました。
  その時、ミハイルは神様が言われた「人間の中にあるもの」とは「愛」であることを悟ったのです。それで彼はニッコリ笑いました。
  今日、初めに読んだ聖書のお言葉は「神は愛である。愛のうちにいる者は神におり、神も彼にいます」(Tヨハネ4:16)でありますが、「愛」とは天地創造の神様の属性、あるいは徳目の一つではなく、本質なのです。 「神は愛である」とは、「愛は神である」と言い換えても良いのです。従って、「神のいますところに愛があり、愛のあるところに神がいます」と言っても良いでしょう。  
  しかし、この世の人間の経験では「愛」にも色々な種類があるように考えられますので、これは、「第2メッセージ」で取り上げたいと思います。

(2)人に与えられていないものは何か
  それから一年後、ミハイルは腕利きの靴職人としてこの界隈では知らぬものがない者になりました。 ある冬の日に、立派な金持の旦那がそりに乗って靴屋を訪れました。彼は体格が良く、首も牡牛のように太く、顔も赤くつやつやして、身体全体が鋼鉄のようでした。つまり、ちっとやそっとのことでは死にそうもない様子だったのです。そして威張りかえって上等の皮を出し、1年ぐらい履いても形の崩れない長靴を作れと注文しました。その時ミハイルは旦那の方を見ないで、旦那の後ろに死の天使が立っているのを見ていました。そして、ニッコリ笑いました。ミハイルは旦那に怒鳴りつけられても平気で、靴の注文を受けました。しかし、ミハイルが作り上げたのは、死人に履かせるスリッパでした。セミョーンがそれを見てびっくりした時、旦那の下男が戻ってきて、「家に帰りついたら旦那が死んでいたので、長靴ではなく、死人の履くスリッパを作ってくれ」と言いました。ミハイルは出来上がったスリッパを下男に手渡しました。  
  そこでミハイルが学んだのは、「人間には、自分の肉体のためになくてならぬものを知ることが、与えられていない」ということです。  
  《ルカ12:13〜21》でイエス様は遺産相続の争いの空しいことを教え、ある金持の譬を語られました。その金持は豊作で稔った収穫物を倉に納めて、「長年分の食糧を蓄えたからもう安心だ、飲め、食え、楽しめ」と言っていますが、実は今夜死ぬことを知らなかったのです。  
  戦後の日本では、サラリーマンは自分の一生の収入を予測して、子供の養育費と教育費を計算して、子供を何人作るかを決めるというやり方をする人が多かったと思います。でも、善悪ともに予測できないことが人生には起ります。明日を神様に委ねて一日を大切に生きることが大切なのではないでしょうか。

(3)人は何で生きるか
  ミハイルが靴屋に来てから6年目に、双子の女の子が、ひとりの女性に連れられて靴屋を訪れました。ミハイルはひと目見てその女の子たちが誰かが分かりました。6年前、子供たちの父親は自分の伐った木の下敷きになって死にました。そして、母親はその週のうちに双子を産みました。その時ミハイルは神様に命じられてその母親の霊魂を天国に連れ帰るように命じられたのです。ミハイルの姿を見ると母親は「わたしを連れ去らないで下さい。わたしがいなくては子供たちは育てられません」と嘆願しました。ミハイルは可哀想に思って母親の願いを聞き、神様の命令に背いて天に帰ってこのことを報告しました。しかし、神様は言われました、「行け、そしてその母親から魂を取れ、そしたら三つの言葉が分かるだろう----人間の中にあるものは何か、人間に与えられていないものは何か、人間は何で生きるか、この三つのことが分かるだろう。そしてそれがわかったら、天へ戻って来るがいい」と。ミハイルは再び地上に舞い戻り、子供を産んだばかりの母親の魂を取って神様のところに持っていこうとしました。そのとき急に風が起って天使の翼がもぎ取られ、ミハイルは地上に落ち、母親の魂は天に昇りました。  
  母親をなくした二人の女の子は、隣の家のマリヤという女性に引き取られて立派に育ったのです。マリヤさんが心から女の子たちを愛しているのを見て、ミハイルは悟りました。「人は何で生きるかがわかった。人は自分の力で生きるのではなく、人の愛によって生きるのだ」と。p.52〜p.53を読んでみましょう。「神様は人に命を与えて、彼らが生きていくことを望んでおられる。また、神様は人々が離れ離れに生きていくのでなく、みんなが心を合わせて一つになって生きていくことを望んでおられる。つまり、愛の力だけで生きているのだ、そして愛によって生きているものは、神様の中に生きている。つまり神様はその人の中においでになる。なぜなら、神様は愛なのだから」。こうして天使は讃美の歌をうたいながら、天に立ち昇る火柱の中を天へと昇っていきました。
「神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます」というみ言葉は真実です、愛とは神の本質、神様そのものであるからです。
                                       アーメン

トップページ >> トピック >> 人は何で生きるか >> 第2メッセージへ