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                                        2015/06/28の礼拝説教
  男と女の役割

   第一テモテ2:8〜15               皆川尚一牧師
   男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ静かにしているべきである。なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を生むことによって救われるであろう(第一テモテ2:8〜15)。

男の役割

 パウロはここで神様の絶対的命令を告げているのではなく、神様に従う人間に相応しい振る舞い方を個人的に助言しているのです。そこで先ず男に対してこう言います。
 「男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい」(8節)。
 この「手」という字は複数形ですから、「両手」を意味しています。男は自尊心の高い存在ですから、自尊心を傷つけられるとカッとなって怒ったり、言い争ったりしがちです。ですから、そういう時には、相手の顔を見ないで、天を仰ぎ見、両手を高く挙げて天のお父様にお祈りをすれば良い。どんな場所でも、そうすると心が静まって聖霊で満たされ、讃美の歌が湧いてくるし、感謝の祈りが生まれてきます。男の役割は誰に対しても神様の御霊に満たされて大声で祝福することです。わたしは先週木曜日に教会堂でそうしましたが、家でも日常的に両手を挙げて神様を日本語でほめ讃え、異言でほめ讃えています。
 昔、札幌平岸バプテスト教会に暴力団の幹部が車で乗り付けて来て、会堂の牧師室から出て来た林田金弥先生を脅迫して、教会の明け渡しを要求しました。その時林田牧師先生は天を見上げ、両手を開いて高く挙げ、聖霊による異言を高らかに唱えました。すると、暴力団幹部は恐怖心でいっぱいになって、「キャーッ」と奇声を挙げると車に乗り込み、一目散に走り去り、再び来るとは無くなりました。

女の役割
 次に、第節以下は全部女性の役割と生活上の心得について、記されています。しかしこれには、パウロの私見がかなり混じっていますので、説き明かしが必要です。
(1)女性の身なり
  「また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい」(6〜10節)。
 これは、当時のギリシャ・ローマ文化の中で婦人たちが身を飾るのに、互いに競って豪華な衣装を身につけて、金銀・宝石で身を飾ってい他者かいの中で、クリスチャンの婦人たちに相応しい身の飾り方をアドバイスしているのです。今日の日本社会の中で「適度に身を飾る」のは私たち各自に出されている応用問題ですから、自分で自由に考えれば良いでしょう。
   
(2)女性の役割と生活態度
 「女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ静かにしているべきである。なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した」(11〜14節)。 
 これは伝統的なユダヤ人社会の仕来りで、律法による公的な場所での女性の地位は低かったのです。女・子供・奴隷は同列に置かれました。男は教える立場、女は学んで従う立場、女が教えることは許されていませんでした。家庭や家族の中では、子供たちを会堂に送り届け、夫を会堂で自由に学べるようにしてやり、自分は家事に専念し、夫が帰るまで家を整えておくことが女の役割でした。
 しかし、キリスト教会の中では女の活躍が目立っています。聖母マリアは救い主イエス様を産み、育てました。マグダラのマリアは主イエス様の愛と救いを求め、理解した女でした。天幕製造業者プリスキラとアクラ夫妻のうち妻のプリスキラはアポロという伝道者に福音教えました。伝説ではヘブル人への手紙はブリスキラが書いたとも言われます。また、ピリポの四人の娘たちは女預言者でした。また年老いた女性は人を教える事が出来ると記されています(テトス2:3)。

(3)アダムとエバの関係
 なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した(13〜14節)。
 アダムが先に造られたから、男が主人で、女は仕えるという秩序が造られたのは納得できます。しかし、次の言葉にはパウロの重大な記憶違いがあります。《創世記3:6》を読むと、女が蛇に騙されて禁断の実を取って食べ、そして共ににいる夫にも与えたので男も食べたと書いてあります。エバは悪魔に惑わされ、自分で実を取って食べ、アダムにも実を取ってやって、「ほら、お兄ちゃん、あたし食べても死ななかったわよ。お兄ちゃんも食べてごらん」と誘ったので、アダムは女の愛に惑わされて食べたのです。アダムが「いや、わたしは神様に従って食べない」と断ったら、惑わされなかったと言えるでしょうが、惑わされたのです。

女は子を産むことで救われる
 最後の第15節は難解です。
 「しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を生むことによって救われるであろう(15節)。
 この「救われる」という意味は「霊魂の救い」ではありません。敬虔な信仰と子を産むこととによって「祝福される」という意味だと思われます。創世記3章16節には禁断の実を食べた罪で女の出産の苦しみがひどくなりました。しかし、イエス・キリストを信じる人には出産の苦しみも死の危険をも無事に通過させて下さる父なる神様に感謝を捧げるのです。
 わたしたちは男にせよ、女にせよ、この世に生まれて神の栄光を顕わす生き方をするのには、色々な困難や過ちを犯すかもしれません。「人のふり見て、わがふり直せ」の諺のように、先ず、自分自身が慎み深く、信仰と愛と清さを持ち続けることを大切に追い求めようではありませんか。アーメン

次回予告 15.07.05  良い監督の条件(第一テモテ3:1〜7)


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