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                                        2015/06/21の礼拝説教
  全ての人の救い

   第一テモテ2:1〜3
   
                   皆川尚一牧師
 神はすべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼はすべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。そのために、わたしは立てられて宣教者、使徒となり(わたしは真実を言っている、偽ってはいない)、また異邦人に信仰と真理とを教える教師となったのである(第一テモテ2:4〜7)。

全ての人の救い

 パウロは、ここに神様の広大な愛の御心を証ししています。
 「神はすべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(4節)。
なぜなら、すべての人は宇宙万物の創造主である唯一の神から生まれた神の子供たちであるからです。わたしたちは神の子として生まれたにもかかわらず、自由意志をもって神様に従わないで、悪魔に従い、神に背いたために迷って不幸になりました。ですから、愛の神様は全ての人が救われて真理を悟り、神に従うことを望んでおられるのです。その真理とは何か。
 「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼はすべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない」(5〜6節)。

選ばれた者の救い
 しかしこれは、一見全ての人の救いが条件付きのように見えます。
《マタイ22:1〜14》を見て下さい。
 「イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、「天国はひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれたひとたちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。しかし、かれらは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、またほかの人々は、その僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席はいっぱいになった。王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」(マタイ22:1〜14)。
 これはだれが救われるのかについてイエス様が語られた譬え話です。
王は神様で、王子はイエス様です。初めに招かれていたのはイスラエル民族の人々ですが、神様の遣わした預言者たちの招きに自分の都合を言い立てて応じませんでした。その結果神の裁きがイスラエル民族に下り、アッシリヤ、バビロニヤ、マケドニヤ、ローマ等の諸大国の軍勢によってイスラエルは滅ぼされてしまい、イエス様が天から遣わされた時代には、ローマ帝国の支配下にありました。そこで神様はイスラエル人だけでなく、異邦人も含めて、全ての人を婚宴に招いたのです。つまり、全ての人の救いです。悪人でも、善人でも神の招きに応じる人は全て救われるという真理が語られています。しかし、ここに一つの大切な条件があります。それは神の婚宴に出席するためには、神の用意した礼服をつける必要がありました。それを無視した人は救われなかったのです。その礼服とはイエス・キリストです。イエス様という礼服を着た人だけが救われるのです。そこで、イエス様は「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」と言れたのです。

自由意志を神に献げよう
 「では、すべての人の救いにならないではないか」と疑問を持つ人もいるでしょう。神様は全ての人の救いを望んでいますが、救いとは真心から神様を信じて、御心に従うことによって成り立つのです。自分の都合を優先させる人は自由意志で滅びる方を選ぶ人です。天国とは、みんなが自由意志で神様を愛し、崇め、神様を中心にして、互に愛し合う世界ですから、そこに永遠不滅の調和があります。
 しかし、心でキリストを信じて生きる道は見える形のキリスト教会に連らなるだけではありません。例えば、わたしの先祖はキリシタンでしたが、今から約400年前伊達正宗の支配下にあって、徳川秀忠の大迫害を受け、表面は真言密教の仏教徒で仏像を拝んでいるふりをしていましたが、仏像の背後に黄金の十字架を印していましたし、仏像の右手の指は三位一体の神を表す形になっていました。つまり、隠れキリシタンだったのです。
 また何年か前にわたしを訪ねてきたユダヤ系アメリカ人のガブリエル・ゲフェン・葉奈夫妻は、最も保守的なユダヤ教徒でありながら、心にイエス様を信じていました。そして彼らは世界各国を巡回して、どんな宗教に属していても、心でイエス様を信じる道があることを宣べ伝える使命を神様から与えられたと語っていました。
 どうか、自分の自由意志を神様に献げて幸せになろうではありませんか。また、パウロのように、イエス・キリストによる救いを全ての人に宣べ伝えて神様の愛の望みを満たそうではありませんか。アーメン
次回予告 15.06.28  男と女の役割(第一テモテ2:8〜15)


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