トップページ >> 説教 >> 第一テモテ >> (4)
                                        2015/05/17の礼拝説教
  律法の効用

   Tテモテ1:1〜2
   
                   皆川尚一牧師
 ある人々はこれらのものからそれて空論に走り、律法の教師たることを志していながら、自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。わたしたちが知っているとおり、律法なるものは、法に従って用いるなら、良いものである。すなわち、律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。これは祝福に満ちた神の栄光の福音が示すところであって、わたしはこの福音をゆだねられているのである(第一テモテ1:6〜11)。

律法の始まり

 使徒パウロはここで、「律法は法に従って用いるなら、良いものだ」と言っています。人間的に見るならば、「ああしてはいけない、こうしてはいけない」と人間を縛る律法は嫌だ。自分の自由意思で何でもしたい」と思うでしょう。しかし、それが人間を不幸にしてしまった原因だったのです。それも律法に書いてあります。創世記第3章のエデンの園に善悪を知る木がありました。神様はアダムとエバに「善悪を知る木の実を食べてはいけない、食べれば必ず死ぬ」と言われました。これが最初の禁令だったのです。しかし、彼らは悪魔に誘われ、自由意志で神様に背いてその実を食べたので栄光の衣を失い、霊的に裸になり、神様と交われなくなったのです。それからエデンから追放されて罪悪と死に悩まされる人間生活に堕落したのです。でも、神様は「エバの子孫から救い主が生まれて悪魔の頭を打ち砕き、人間を救う時が来る」というキリスト預言を与えて、将来の救いを預言されました(創世記3:15)。これは救いの福音であって、律法の中に福音が含まれているのです。

モーセの十戒
 また、出エジプト記には、神様がモーセを立ててイスラエル民族をエジプトの奴隷生活から救い出し、シナイ山で十戒を初めとする律法を与えたことが書いてあります。その十戒では、こう言われました。《出エジブト記20:1〜17》参照。
 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
 あなたはわたしのほかに、なにものをも神とはしない」

 口語訳その他では、「なにものをも神としてはならない」と訳していますが、これはヘブライ語の「断言命法」であって、「してはならないとか、しなければならない」とか訳すのは間違いなのです。神様は愛の神様ですから、「わたしはあなたを救い出した神である。あなたはわたしのほかに何者をも神とはしないね」と優しく言い切っているのです。従ってあとも同じ、「あなたは父と母を敬う。あなたは殺さない。あなたは姦淫をしない。あなたは盗まない」
という具合に読み替えてみると神様の愛が分かるでしょう。禁令ではく、愛の必然です。「当然そうするよね」と念を押しているのです。

律法の効用
 それほど神様が人間を愛して真っ直ぐな道を教えてくれているのに、なぜ人間は誤った道を選び、誤ったことをするのでしょうか。それは神様が人間に自由意志を与えて下さったからです。神様は人間を神のロボット
にしたくなかった。人間が神様の愛に応えて自分の意志で神様を信じて従うことを喜ばれたからです。しかし、人は自分の意志や感情で間違ったことをします。《第一テモテ1:9〜10》に書いてある通りです。
 「律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである」
 このように罪を罪として明らかに示すのが律法の効用です。しかし、ただそれだけでは救いがありません。人は迷って、正しいと思って罪を犯す場合もあります。イスカリオテのユダのように、正しいことだ思ってイエス様を敵の手に売り渡す場合だってあるのです。そして、彼はイエス様が十字架に付けられたのを見て、間違いに気がついて、絶望して自殺しました。キリスト教会一般の考えでは、ユダは決して救われないことになっています。それは本当でしょうか。

栄光の福音
 イエス様は罪を犯す多くの人々の罪を負って十字架の祭壇にのぼり、贖罪の死を遂げられましたから、自分の罪を悟ってイエス様に救いを求める人は皆救われるのです。それはただ罪が赦されるだけでなく、人はみな聖霊で満たされることによって、聖化され、栄化されます。言い換えれば、神の栄光で満たされ、神の栄光の衣を着た神の子に生まれ変わることが出来ます。これが栄光の福音です。最後の11節を見て下さい。
 「これは祝福に満ちた神の栄光の福音が示すところであって、わたしはこの福音をゆだねられているのである(第一テモテ1:11)。
 わたしたちはこの栄光の福音を信じてイエス様に自分を献げ、罪を赦され、聖霊を満たされることを切に、切に求めようではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 15.05.31  人生の逆転劇(第一テモテ1:12〜17)


トップページ >> 説教 >>第一テモテ >> (4) >> (5)へ進む