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                                        2015/05/10の礼拝説教
  愛を生む信仰

   Tテモテ1:1〜2
   
                   皆川尚一牧師
 ある人々はこれらのものからそれて空論に走り、律法の教師たることを志していながら、自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。わたしたちが知っているとおり、律法なるものは、法に従って用いるなら、良いものである。すなわち、律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。これは祝福に満ちた神の栄光の福音が示すところであって、わたしはこの福音をゆだねられているのである(第一テモテ1:6〜11)。

この手紙の書かれた時期

 使徒パウロは西暦紀元62年の春頃、ローマ皇帝の裁判を受けて無罪放免となり、先ず小アジアに旅をしてエペソに行きました。そしてエペソの教会を牧会させるためにテモテをそこに残して、再びマケドニヤに渡って行き、また小アジアに戻ってきて62年6月頃ラオデキアからテモテへの第一の手紙を書いたと思われます。この頃にはキリスト教会は執事・長老・監督などの組織・制度を整えていたようです。パウロはテモテに監督として教会を治める上での心得を教えています。

作り話や系図に捕われるな
 パウロはテモテにギリシャ人の作り話や系図にとらわれるなと教えています。当時流行っていたグノーシスの教では、最高の理想世界はイデアという純粋な天界があって、そこから流れ出た霊が幾層もの霊界を生み出して下に行くほど、低級な霊の世界となる。そこにはデミウルゴスという悪い神がいてこの人間の住む物質世界を造った。だから物質は悪であり、肉体も悪である。従って霊的に清められるためには禁欲主義や、断食が必要だと言う指導者もいれば、逆に貪欲に溺れても霊魂は関係なく清く生きられると説く指導者もいました。そして、自分が神々の子孫として由緒ある系図を持っていることを誇ったりしました。しかし、パウロはそんなことはキリスト教の信仰と全く関係のない無益なことだから、クリスチャンはイエス・キリストの救いにのみ心を向けるべきだと説いています。
愛を生む信仰
そこで、第5節を見て下さい。
 「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている」
 パウロはここで「愛を生む信仰を目標とせよ」と命じているのです。しかし、一体愛を生まない信仰というものがるあるのでしょうか? それがあるのです。例えば《マタイ15:1〜6》でイエス様はパリサイ人や律法学者の教をとりあげています。それは、神の戒めの中に「あなたの父と母を敬え」と命じられていても、父や母に対して「あなたに差し上げるはずのこのもの(お金や食べ物)は供え物(コルバン)です」と言えば、父や母に上げなくてもよいと」教えている。これは自分たちの言い伝えによって神の言を無にするものだと言われました。神様への信仰が優先で、父母は後回しというのは愛のない信仰です。
 また、バリサイ人たちは信仰熱心な選ばれた者と自認して、取税人・罪人たちを神に見捨てられた連中だと見下していました。これも愛のない信仰です。イエス様は取税人・罪人の友となって彼らを救いに導かれました。これが愛を生む信仰です。
 また、イエス様が律法では触れてはいけないとされているライ病人に手を触れて、「清くなれ」と言われと、ライ病人は癒されました。
 上田結核療養所で
 わたしの実例をお話ししますと、昭和52年ごろ、わたしは神学生でしたが長野県上田市の上田教会に夏期伝道に派遣されました。その時郊外の結核療養所で午後3時の安静時間に聖書の話(福音)を語りました。メッセージが終わった時、患者の女性がお茶をいれてくれました。瞬間わたしの心に神の言葉がささやかれました、「毒をのんでも害をうけない」と。それでわたしが美味しそうにお茶を飲みますと、患者さんたちは、「ああ、皆川先生がお茶を飲んでくれた」と喜びました。その後一か月間毎日午後3時のメッセージを語りましたが、最後に二人の女性がイエス様を信じて洗礼を志願しました。あの頃はまだストレプトマイシンのような特効薬もなく、結核はガンと同じく「死の病」だったのです。でも、神様の愛の御言葉を信じて愛を生むことができました。、
 人間は皆、神の牧場から迷い出た羊のようなものだとイエス様は教えられました。わたしたちも迷える羊であったのに神様の愛と憐みによって救われたのですから、どんなに不信仰な愛のない人に対しても、神様に立ち帰って救われるようにと願う清い心、正しい良心、偽りのない信仰と愛とをもって隣人を愛して行こうではありませんか。アーメン
次回予告 15.05.17  律法の効用(第一テモテ1:6〜11)


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