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                                        2015/08/23の礼拝説教
  女性の立場

   第一テモテ5:3〜16               皆川尚一牧師
   やもめについては、真にたよりのないやもめたちを、よくしてあげなさい。やもめに子か孫がある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。真にたよりのない、ひとり暮らしのやもめは、望みを神において、日夜、たえず願いと祈りとに専心するが、これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。これらのことを命じて、彼女たちを非難のない者としなさい。もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上に悪い。やもめとして登録さるべき者は、60歳以下の者ではなくて、ひとりの夫の妻であった者、また子女をよく養育し、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、種々の善行に努めるなど、そのよいわざでひろく認められている者でなければならない。若いやもめは除外すべきである。彼女たちがキリストにそむいて気ままになると、結婚したがるようになり、初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。その上、彼女たちはなまけていて、家々を遊び歩くことをおぼえ、なまけるばかりか、むだごとをしゃべって、いたずらに動きまわり、口にしてはらないことを言う。そういうわけだから、若いやもめは結婚して子を産み、家をおさめ、そして、反対者にそしられるすきを作らないにしてほしい。彼女たちのうちには、サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある。女の信者が家にやもめを持っている場合には、自分でそのやもめの世話をしてあげなさい。教会のやっかいになってはいけない。教会は、真にたよりのないやもめの世話をしなければならない(第一テモテ5:3〜16)。

女性の立場(やもめの場合)

 初代キリスト教会は困窮している人々に対する援助の制度を持っていました。特に「貧しいひとり暮らしのやもめ」に対しての特別な配慮がありました。日本語では「寡婦」と言いますが、夫の死によって孤独になった妻のことです。このほかに、一夫多妻の夫婦の場合には、夫がクリスチャンになると一夫一婦となる必要があり、ほかの妻はやもめとなりました。いずれにしてもやもめとなった女性が生きていくためには売春婦になるほかないような時代でしたから、生活共同体であった教会はやもめたちに生活費を援助したのです。ただ無差別に援助したのではなく、一定の条件に当てはまる「やもめ」にだけ援助しました。
 その条件というのは、
 (1)真に身寄りのないひとり暮らしのやもめであること。
 (2)60歳以上であること。
 (3)望みを神様において日夜絶えず祈りと願いを捧げること。
 (4)子女を良く養育し、旅人をもてなし、困っている人を助け、色々な善   行によって良い評判を得ている女性であること。、
 こういう人たちが「やもめ」として登録されて教会からの援助を受けました。もし、身寄りのあるやもめは、その子や孫が養ってあげるべきである。ここに大切にことが記されています。
 「もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上に悪い」(8節)。

女性の立場(若いやもめの場合)
 また、若いやもめに対しては、パウロは厳しい口調で勧告します、
 「若いいやもめは除外すべきである。彼女たちがキリストにそむいて気ままになると、結婚したがるようになり、初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。その上、彼女たちはなまけていて、家々を遊び歩くことをおぼえ、なまけるばかりか、むだごとをしゃべって、いたずらに動きまわり、口にしてはらないことを言う。そういうわけだから、若いやもめは結婚して子を産み、家をおさめ、そして、反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。彼女たちのうちには、サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある」(11〜15節)。
 教会はキリストの花嫁にたとえられていますが、歴史的にみると、独身のクリスチャン一人びとりがキリストの花嫁として献身し、キリストと霊的に親密な結びつきを持つことが尊ばれてきました。「やもめ」として登録することはそうした献身の誓いであったと考えられます。しかし、女性の立場でクリスチャンとしてどう生きるかには、色々な道があるでしょう。

女性の立場(矢嶋楫子の場合)
 わたしは明治から大正時代にかけて日本社会の中でクリスチャンとなって活躍した女性「矢嶋楫子(やじまかじこ)」を採り上げて見たいと思います。楫子は1833年熊本の庄屋の家に生まれ、初めは「かつ」と名付けられました。母親から厳しくしつけられ、教養を身に着けることができました。しかし、結婚した夫は立派な武士の出身でしたが、酒を飲むと狂暴になって耐えきれず、赤子を抱いて逃げ出し、キッパリと離婚しました。
 やかて楫子は娘を家族に託して蒸気船で上京します。その船の上で「自分は船の楫のような人間になりたい」という志を立て、「楫子」改名します。東京では教員伝習所に入学し小学校教員となり、次いで築地の新栄女学校教師となりました。そこで明治11年米国宣教師マリア・トゥルー夫人と出会い、明治12年新栄教会でキリストを信じて洗礼を受けました。
それから明治23年に設立された女子学院の院長となりました。彼女は校則を作らず、生徒たちに:言いました。「あなたがたは聖書を持っています。だから、自分で自分を治めなさい」と。
 また、楫子は早くから「禁酒運動」に参加し、米国の禁酒運動家メアリー・レビット夫人の来日を期に、東京キリスト教婦人矯風会を組織して初代会長となりました。それはやがて日本全国に広がる組織となりましたが、彼女の願いは自分の女性としての厳しい経験から、弱い立場にある女性を出来る限り多く助けたい、日本社会の中で弱きがゆえに苦しむ女性を救いたい」という一心から生涯をそのビジョンに捧げたのです。
 どうか、わたしたちもお互いに助け合って、神様のご栄光を顕わす生き方を目指そうではありませんか。アーメン

次回予告 15.08.31 牧師を尊重する(第一テモテ5:17〜25)


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