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                                        2015/07/26の礼拝説教
  明るい人生観

   第一テモテ4:1〜5               皆川尚一牧師
   しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。これは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである、これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし、食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである(第一テモテ4:1〜5)。

聖霊の教と悪霊の教

 初代キリスト教会の中に惑わす霊と悪霊の働きが入りこんできました。それはグノーシス教の禁欲主義です。これは聖霊がある人を通して預言させた予告です。この世は神の聖霊と悪霊とが闘争しており、聖霊は正しい健全な教をもって人々を救いへと導き、悪霊は誤った不健全な教をもって人々を滅びへと導くのです。正しい教は神様の立てた神の人によって与えられ、誤った教は悪魔・悪霊の奴隷となった人、良心に悪魔の所有だという焼き印を押された人によってもたらされます。わたしたちはその人の中に働く霊を聖霊によって見分けるのです。

禁欲主義の誤り
 グノーシス教の禁欲主義とは、霊魂や精神は善であり、肉体や物質は悪であるという思想です。肉体が悪であるから肉欲も悪。つまり食欲や性欲もみな悪である。だから美味しい食物や酒、性的快楽や結婚もまた悪である。キリスト教の聖職者は独身で禁欲主義者でなければならない、結婚や生殖行為は悪魔から出ているというのです。
 しかし、こうした教は聖書の教に反しています。創世記第1章によれば、人は神に似せて造られ、男と女とに造られました。そして、「産めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と天地万物創造の神様が祝福していますから、結婚も生殖も性欲もみな祝福された善い行いです。また、神様は食べ物として多くの植物や動物をも人間に与えています。ですから、聖書の教は禁欲主義ではありません。わたしたちは神の造られた世界を大いに楽しんで良いのです。

亨楽主義の誤り

 また、逆に聖書の教は亨楽主義でもありません。世界人類を一括して奴隷支配することを目指している悪魔礼拝のフリーメイソン・イルミナティーと呼ばれる勢力は、人間を享楽主義の虜にするために、3S政策(スポーツ・セックス・スクリーン)を広めて来ました。スクリーンには映画・テレビ・スマホ等がふくまれます。また、セックスにはフリーセックスやレズやホモも含まれます。この三つに人々が夢中になることによって、それに絡んで酒や麻薬やギャンブルの中毒も広がっています。これらの悪魔的な楽しみは人々を地獄の苦しみへと誘い込みます。わたしたちは悪魔の享楽主義を避けて、主にある享楽を求める必要があります。

明るい人生観
 これに対して、今日の聖書が何と言っているかに目を留めて下さい。
 「しかし、食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきのはない。それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである」(第一テモテ4:3〜5)。
 つまり、大切な真理の判断の基準は神の言葉と信仰と感謝なのです。この三つに適合するならば、わたしたちの人生は神様の祝福で満ちたものになるでしょう。
 わたしが神学校に入った時、クラス担任教授は北森嘉蔵先生でした。その頃「神の痛みの神学」という神学書を出版して、一躍有名になった先生てす。その神学の要点は、《神様は人間を超越したお方でありながら、しかも人間の罪の痛みをその絶大なる愛で包み込んで、ご自身も傷んで、破れて、十字架上に死んで、ご自身の犠牲によって贖い、救って下さるお方である。それは仙台萩などの日本文学に現れた自己犠牲の痛みに共通するものではないか》というのです。で、ある日その教授宅で「恋愛論」をテーマにクラス会が開かれました。みんなそれぞれ自分はどんな人と恋愛したいか、理想的な恋愛は何か、について議論しました。すると、北森先生は「もっとも理想的な恋愛は神を忘れるほどに相手の人を愛することだと思う」と言われたのです。わたしは直ぐに言いました、「それはおかしいと思います。われわれは神様から召されて伝道者になる人間なのに、神を信じない人を恋愛の相手にするなんて考えられません」と。すると先生は「うん、まあ。皆川君はそうだろうね。でも、ぼくは神を忘れるほどに相手を情熱的に愛するのが理想的な恋愛だと思うよ」と言われました。わたしたちは、「もしかして先生はそういう人を愛してしまったから独身なのかもしれないなあ」とあとで語り合いました。しかし、だれもあえて、「先生はなぜ独身なのですか」と質問する人はいませんでした。それはプライバシーの問題ですからね。
 いずれにしても、わたしたちは神の言によって積極的、肯定的、楽観的な明るい人生観を持つことができます。神様を見上げ、この美しい世界の中で「すべては善し」と祝福し、みんなの幸せを祈りながら、明るく生きて行こうではありませんか。アーメン、
次回予告
 15.08.02  自分を訓練せよ(第一テモテ4:6〜10)


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