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                                        2015/07/12の礼拝説教
  良い執事の条件

   第一テモテ3:8〜13               皆川尚一牧師
  それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったら、執事の職につかすべきである。女たちも同様に謹厳で、他人をそしらず、みずからを制し、すべてのことに忠実でなければならない。執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう。(第一テモテ3:8〜13)

執事の職とは何か
 初代キリスト教会の管理組織の中に執事の職が生まれたいきさつは、《使徒行伝6:1〜6》に記されています。それを手短に言えば、クリスチャン生活共同体であった教会の中で、食糧配給のやりかたに差別があるとの問題が起こりました。そこで食糧を公平に配給する係として7人の執事を立てたのです。その執事の条件は「御霊と知恵とに満ちた人」ということでした。執事たちは食糧配給係でしたが、同時に聖霊に持ち運ばれて福音伝道や奇跡を行いキリストの証し人として働きました。

良い執事の条件
 さてそれから60年ほど経って教会には監督、長老、執事などの組織が造られて運営されるようになりました。ここに良い執事の条件が記されています。執事は教会の事務を担い、会計や礼拝欠席者に聖餐を持っていく仕事、病人や孤児の世話とか色々な実務を担いました。それで、男の執事と女の執事が選ばれたのです。
 ここに書いてある良い執事の条件を見て下さい。
 「執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったら、執事の職につかすべきである。女たちも同様に謹厳で、他人をそしらず、みずからを制し、すべてのことに忠実でなければならない。執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう」。

執事から長老へ
ここに「執事の職をよくつとめた者は良い地位を得る」とありますが、これは「長老の地位」を意味しています。「一般に執事を良く務めた人はきっと良い長老になるであろう」と考えられていますが、実際はそうでない実例が沢山あります。執事の時には謙虚で忠実であった人が選挙で長老になると、何か偉い者になったかのように錯覚して威張り出します。
 一つ実例を話しますと、この相模大野教会も日本キリスト教会という改革長老派に属していたので、1970年の独立教会建設で長老・執事の選挙があり、アイ兄弟は執事になりました。彼は熱心に・忠実に働いてこの新会堂が建設されるまで、謙虚に仕えました。会堂建設の際のゴタゴタで何人かの長老・執事が教会から去り、1975年度の総会で新しい選挙が行われた結果。アイ執事は長老に選挙されました。その後、この二階の集会室兼事務室で長老会が開かれ、日本キリスト教会が神の預言や異言を尊重しない立場だという話が出た時、アイさんは激しくわたしを攻撃して「日本キリスト教会に皆川先生を訴えてやる」と叫びました。その時わたしはニッコリ笑い、立ち上がって、天を見上げて言いました、「良いですよ、あなたがしたいようにしなさい」と静かにいいました。そうすると彼はじっとわたしの顔を見上げていましたが、突然くたくたっと椅子から崩れ落ちて、床にひれ伏し、「ああっ、先生、お赦し下さい。わたしが間違っていました。どうか、お赦し下さい」と叫びました。わたしは、「分かれば良いんです。この教会は主イエス様が聖霊によって直接導いておられますから、主がお裁きになるでしょう」と答えて、長老会を閉会しました。しかし、その後間もなく、婦人会の会長になっていたアイ長老の奥さんが悪霊に憑りつかれて、お姑さんを暴力で家の外に放り出す事件を起こしたために、夫婦ともこの教会にいられなくなって、鎌倉の改革派教会に転会して行きました。

監督制への切り替え
 教会を清め、健全なものにするための神の裁きは確実に行われます。
 わたしたちは主の預言に従って、1980年に日本キリスト教会を離脱し、1998年に長老制度を廃止して、監督制度を取りました。この教会はイエス・キリストの代理である主任牧師を羊飼いとして従うひつじの群です。それでこの群に仕えるためにドゥーロスという役職を定めました。ドゥーロスとは「奴隷」という意味です。奴隷ですから偉い身分だと威張ることは出来ません。牧師もキリストのドゥーロスです。キリストに対する絶対服従の点では、同じです。では他のドゥーロスと同等かと言うと、そうではありません。牧師はドゥーロスの模範としてキリストに従い、かつキリストの代理として教会を指導する尊い責任を与えられた者です。従って、皆さんは主のみ言に反しない限り、牧師に服従するのです。牧師を支配することは出来ません。たとい、宗教法人法で責任役員の資格は同等と規定されていても、それはこの世の規則であって、神の国の教会の監督である牧師の権威は他のドゥーロスに優るものです。
 わたしは最近この教会の中で、ドゥーロスを長老と同じようなものだと取り違える人か゜いるように感じます。どうか皆さん、わたしたちは今日のみ言を心に刻みつけて、ご一緒に主イエス様に従ってゆこうではありませんか。アーメン
次回予告 15.07.19  教会は神の家(第一テモテ3:14〜16)


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