トップページ >> 説教 >> 第一テモテ >> (1)
                                        2015/04/26の礼拝説教
  信仰の父と子

   Tテモテ1:1〜2
   
                   皆川尚一牧師
 わたしたちの救い主なる神と、わたしたちの望みであるキリスト・イエスとの任命によるキリスト・イエスの使徒パウロから、信仰によるわたしの真実な子テモテへ(コロサイ1:1〜2)。
パウロの肩書と任務

 今日からパウロのテモテへの手紙の講解説教に入ります。テモテという愛弟子に対する個人的な手紙なのに、パウロは物々しい肩書きをもって自分を名乗り出ています。それは自分とテモテが同じ尊い地位と任務に神から任命されていることを知ってほしいためだと思われます。
 パウロは自分を神の国の王であるキリストの使徒(アポストロス)と呼びました。使徒とは全権大使を意味します。そもそも大使とは古代世界においても現代においても、王や国家に代わって派遣された者のことで、自国と相手の国とを結ぶ連結環となる任務を帯びて者です。
 また、パウロは勅命によって大使になったと言っています。例えば現代日本でも大使は天皇陛下から直接任命された者です。また、外国からの大使は日本国に来た時に、自国の王や大統領からの親任状を天皇陛下に直接奉呈します。つまり、大使の任務は嫌になったから辞められるような軽々しいものではないのです。
 昔、わたしが33歳の時、5年間の下関伝道で挫折して東京に引き揚げましたが、その時家内が「もう牧師など辞めて、信徒として教会に仕えることにして下さい」と懇願しましたが、わたしは答えました、「あなたは召されていないから簡単にそう言うが、わたしは直接イエス・キリスト様から召命を受けているから、伝道者を辞めるけには行かないのだ」と。この召命は全人類の救い主である父なる神様、及び全人類の救いの望みであるキリスト・イエス様と人々とを結びつける任務であるからです。
 
わが子テモテ
 パウロはこの手紙の受信者テモテに「信仰によるわたしの真実な子テモテへ」と書いています。パウロはテモテの名を呼ぶとき、いつも情愛がこみあげてくるのを抑えられませんでした。日本語ではテモテと訳していますが、ギリシャ語で「ティモセウス(神の誉れ)」と言うのです。父はギリシャ人、母ユニケと祖母ロイスはユダヤ人でクリスチャンとなった人です。テモテは小アジアのルステラで生まれた人で、パウロの第一回伝道旅行の時、まだ子供でしたが、ルステラでバプテスマを受けて弟子となりました。この若者には人を惹きつけずにはおかない魅力と情熱がありましたから彼の評判は非常によかったのです。恐らくパウロは、この若者を自分の後継者として育成することを夢見ていたのではないかと思われます。彼はパウロの第二回伝道旅行に助手として参加し、、第三回伝道旅行にも、最後のエルサレム行きにも従い、ローマの牢獄生活の間もパウロに仕えたのてす。パウロは<b>≪ピリピ2;19〜22≫</b>で次ように書いています。
 「さて、わたしは まもなくテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって願っている。それは、あなたがたの様子を知って、わたしも力づけられたいからである。テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配しているものは、ほかにひとりもない。人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。しかし、テモテの練達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである」。

信仰の父と子
 これが信仰の父と子の関係です。牧師と信徒、牧師とその弟子と言い換えても良いのですが、これはわたしたちの信仰の成長に応じて、変化していくものでもあります。
津田牧師
 わたしの実例を取り上げて見ますと、先ず、横須賀教会の津田牧師先生は温厚な方でした。わたしは復活祭で洗礼を受けることになっていましたが、土曜日に学校の帰りに教会に行って、「洗礼を受けるのを止めます」と言いました。理由は「父がキリストを信じないままで死んで地獄に行っているとしたら、子であるわたしが洗礼を受けて天国に行くのは父に対して相済まない」という考えでした。その時津田先生はニッコリ微笑んで、わたしを牧師室に連れて行き、聖書を開いてキリストは十字架で死なれたが、肉体は死んでも霊は生きて陰府に下り、死後の人間の霊魂を救うために働いて復活・昇天し、すべての人を天国に導き入れるために働き続けておいでなる。だからあなたは先ず自分が洗礼を受けて天国の人となり、お父さんが救われるように祈ったらどうか」と諭して下さいました。わたしも父もこの福音を語って下さった津田先生のお蔭で救われたのです。まさに、「キリストはわたしたちの希望なのです」。
 宮本牧師
 津田先生の辞任されたあとに来られた宮本牧師先生は、戦争中の厳しいキリスト教弾圧のもと、特高刑事が礼拝を見守っている中、毅然とした態度で説教を続け、午後は牧師館でローマ書の聖書研究を指導されました。わたしたちに深く印象づけられたのは「パウロがキリストの全権大使であったように、皆さんもキリストの全権大使なのですよ」と解き明かされたことでした。わたしは終戦の翌年21歳で神様から召命を受けましたが、その時宮本先生は言われました、「で、皆川君、あなたはこのまま直ぐに伝道者となって活動を開始しますか、それとも神学校に行きますか」と。わたしはびっくりして問い返しました、「先生、わたしは神学校で学んでもいないのに、このまま伝道を始めて良いのですか」。「良いですとも。わたしはこの3年間わたしの持っているものを全部あなたに伝授しました。だからこのまま伝道を始めても差し支えありません」。わたしはしばらく考えてから言いました、「先生、わたしは救霊のためには直ぐにでも働きたいのですが、悪魔の巣窟である神学校に行って十分な試練を受けてからの方が良いと思います」と。
 戦後の横須賀教会は礼拝出席100人、日曜学校400人と盛んになりました。しかし、宮本先生は婦人会の会長と意見があわなくなって辞任されアメリカのプリンストン大学神学部に行かれました。
 山谷牧師
 わたしはその後、東京・信濃町教会に移って山谷牧師先生の指導を受けました。山谷先生は東京神学大学の新約学の教授として一番人気のある授業を担当しておられ、わたしに教会の事務と求道者会を担当させて下さいました。わたしは山谷先生を尊敬し、どこまでもついて行きたい
と思ったのですが、丁度そのころ宮本先生がアメリカから帰国して、東京・日本橋教会の牧師に就任されました。そして、山谷先生から、「宮本先生は教団改革派、ほわたしは教団育成派だ。どちらにつくか選びなさい」と言われ、やむなく、宮本先生について行くことにしました。

聖霊降臨
 しかし、その後わたしは牧師に任職されて12年目の1966年に、わたしの上に聖霊が降り、わたしは聖霊に満たされてカリスマ伝道を開始しましたので、宮本先生とも異なる働きに献身して来ました。今はただ聖霊の導くままに天のお父様の実子として愛し愛される身となりました。
 どうか、皆さんも天のお父様の王子・王女とし、また福音による救いの証し人として、喜んで主にお仕えして行こうではありませんか。アーメン
次回予告 15.05.03  恵み、憐み、平安(Tテモテ1:2)


トップページ >> 説教 >>第一テモテ >> (1) >> (2)へ進む