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                                            2012/2/19の礼拝説教
燃える柴を見る

出エジプト3:1〜6
使徒7:30〜34
ヨハネ1:18                    皆川尚一牧師
神の山ホレブ
  モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。時に主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った、「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した」(出エジプト3:1〜6)。

  ここにモーセは妻の父、「ミデヤンの祭司エテロ」とありますが、第2章では「リウエル」という名になっています。これはこの祭司がリウエルとエテロという二つの名を持っていたからだと言われます。  
  また、「神の山ホレブ」とは「シナイ山」とか「モーセの山(アラビア語でジェベル・ムーサ)」とか呼ばれます。それはモーセがこの山で神の出現に接し、神から十戒を授けられたと信じられているからです。この山はシナイ半島南部にあるシナイ連山の一つで、海抜2285メートルもある火山です。そのふもとは広い荒野であって、羊たちは八合目位の高いところまで登って行くようです。

燃える柴を見る  
  モーセは羊の群れの世話をしながら山に登ることもたびたびあったでしょう。その日も何気なく羊たちを見守っていた時、不思議な現象を見ました。それは柴が盛んに燃え上がっているのに、燃え尽きない光景です。テレビでやっている番組に「何これ、珍百景」というのがありますが、モーセが見たのはそれに似ていました。彼は好奇心を掻き立てられて真相を突き止めようと燃えている柴に近づきました。  
  すると、神様が柴の炎の中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われました。するとモーセは答えました、「ここにいます(ヒネーニ)」と。このヘブライ語「ヒネーニ」は、主人から呼ばれた僕が応答する言葉で、単に、「はい」と訳しても良いのです。「はい、ここにいます、何か御用でしょうか、なんでも致します」という意味をこめた「はい」なのです。

神の出現  
  モーセは神様を見ました。ここでは神様について色々違った表現がなされます。まず、「ヤーウェの使」が柴の炎のうちに彼に現れた(2節)。
「ヤーウェは彼がきて見定めようとするのを見」、「神(エロヒィーム)は柴の中から彼を呼んで」、「わたしはあなたの父(先祖)の神(エロヘー)、アフラハムの神(エロヘー)、イサクの神(エロヘー)、ヤコブの神(エロヘー)である」。つまり、神様は色々な名で呼ばれていたことが分かります。ヘブライ語で「ヤーウェ、エロヒィーム、エロヘー、そして、エル」です。またヒンズー教徒の神名「アラー」はアラビヤ語であって、マホメットが現れるよりずーっと昔のこの時代からアラビヤ半島で用いられていた名です。  
  今ひとつ大切なことは、「エロヒーム」は「神々」とも訳されて、「天使」もその中にふくまれていたことです。だから、天使を見たことは、神を見たことなのです。言い換えれば、神は天使の形でご自身を現わすことがあるのです。また、最も重要なことは、父なる神様は人間イエスの形でご自身を現わされたことです。《ヨハネ福音書1:18》を見て下さい。
  「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」。  
  ですからイエス様は、「わたしを見た者は父を見たのである」と言われました(ヨハネ14:9)。

くつを脱ぐ  
  次に重要なことは、「くつを脱ぐ」ことです。これには、二つの意味があります。  
  第一は、神様に対する敬意を表すこと。この場所は聖なる地だからであると、言われました。シナイ山が神の山だからではなく、今、ここに現れた神様に対する敬意を表すことです。  
  第二は、自分の権利を神様に譲渡するしるしです。相続権や土地の売買に際して、相手に自分の権利を譲渡するしるしとして自分の靴や下駄を脱いで、差し出す風習がありました(ルツ記4:7)。日本でも「下駄を預ける」と言いました。モーセは神様に絶対服従を求められたのです。

神の臨在を見る  
  モーセは燃える柴の中に神様を見ました。これと似た現象は、1962年インド東部のナガランドに聖霊が降ったとき、夜空に聖霊の火炎が現われて、空中を飛んで行ってある村を炎で包みました。すると、そこの住民たちは罪を悔い改めてイエス・キリストを信じました。また、1965年インドネシアのチモール島の教会に聖霊が降ったとき、教会堂が炎で包まれて火事と間違えられたことがありました。その時教会堂では祈祷会の最中でした。200人ほどの信徒が聖霊で満たされて、自分を主に献げました。  
  わたしたちも不思議な霊経験によって神様と出会い、神様の召命を受けます。その経験を大切にして生きて行こうではありませんか。
                                       アーメン
次回予告 12.2.26 頼もしい同伴者(出エジプト3:7〜12)

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