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                                            2012/11/4の礼拝説教
主の祭壇を造る

出エジプト20:24〜25
ヘブル13:10〜15
マタイ5:23〜24               皆川尚一牧師
祭壇の目的
  「あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたのはん祭、酬恩祭、羊、牛をささげなければならない、わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。あなたがもしわたしに石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それをけがすからである」(出エジプト20:24〜25)。

  ここで言う祭壇は主(ヤーウェ)なる神様に礼拝を献げるための祭壇です。礼拝では、その祭壇の上に神様への供え物を捧げます。決して自分のための祭壇ではありません。神様を崇めるための祭壇です。

祭壇の種類
 次に祭壇の種類としては、「土の祭壇」を造れと言われます。土の祭壇はもろくて、強い雨や風に耐えられませんので、石の祭壇を造るようになったと思われます。但し、その場合は切り石で築いてはならないと禁じられています。切り石は刃物を使って石を削ったり、磨いたりして造り、特に大理石などはピカピカに光ります。しかし、それは神様が造られた物を汚すことになると戒められています。土や自然のままの石を積んで築きます。一体人はいつごろから祭壇を築くようになったのでしようか?

 創世記によれば、エデンの園には祭壇があったという記録がありませんが、わたしはあったのではないかと推測します。なぜなら、イザヤ書によれば、預言者イザヤが見た天国の神殿には祭壇があって、その祭壇の上で燃える炭火を天使が火箸で挟んで持ってきて、イザヤのくちびるの悪を清めたと書いてあります(イザヤ6:6〜7)。

 また、エデンから追放されたアダムとエバの息子たち、カインとアベルは神様の所に供え物を持ってきたと書いてありますが、祭壇を造ったとは書いてありません。しかし、きっと祭壇を造って献げ物をしたのだと思います。「天地創造」という映画に中にカインとアベルが祭壇を造って献げ物をした光景が描かれていますが、自然石を積んで築き、1番上に平らな石を載せた祭壇が見られます。神様は人工的なピカピカの祭壇よりも、自然のままの素朴な祭壇を好まれるようです。

供え物の精神
 では、どんな供え物を献げたのでしょうか。カインは惜しみ、惜しみ農産物を献げたのですが、アベルは丸々と肥えた羊と自分自身とを献げました。それで神様はカインとその献げ物を受け入れず、アベルとその献げ物とを受け入れて下ったのです。
 出エジプト記20章24節には、祭壇の上に、はん祭、酬恩祭、羊、牛を献げよと言われます。「はん祭」というのは「全焼のいけにえ」とも言って、羊や牛を祭壇に載せて焼き尽くすのです。それはわたしたちが自分を神に献げ尽くす事を表すものです。酬恩祭というのは、羊や牛を焼いた一部分を神に献げ、残りの大部分は人間に下げ渡されて、神と人との会食に用いられるのです。これは、祭壇が罪の赦しと神と人とが一体となって生かされる場であることを意味します。これは聖餐に似ていますね。

心に祭壇を造る
 そこで、イエス様はこういわれました《マタイ5:23〜24》、
 「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したな、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい」。
 なぜなら、わたしたちは礼拝の時に自分の罪の赦しを神様に祈るからです。イエス様は主の祈りの中でも、「わたしたちに罪のある者を赦しますから、わたしたちの罪をもお赦し下さい」と祈るよう、教えられました。しかし、皆さん、わたしたちは教会の祭壇の前に行くまでもなく、自分の心の中に祭壇をもっているのではありませんか。イエス様は私たちの体が神の宮であり、心が神の祭壇であると教えられました。自分の罪を赦して下さいと祈る前に、先ず、他の人への怨みを解いて人を赦し、その上で自分の罪の赦しを祈る、その素朴な祭壇を各々自分の中に造ろうではありませんか。
                                   アーメン
次回予告 12.11.11  七年目の自由(出エジプト21:2)

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