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                                            2012/10/28の礼拝説教
父母を敬え

出エジプト20:12
Tテモテ1:8〜10
マタイ1:2〜6               皆川尚一牧師
1枚目の板
  「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである(出エジプト20:12)。

  十戒は2枚の石の板に書かれました。1枚は神についての戒め、他の1枚は人についての戒めです。神についての戒めの5番目が「あなたの父と母とを敬え」であります。
 「えっ、父と母とは人間なのに何で神についての戒めに入るの?」と疑問に思う人たちは、これを2枚目の板に入れようとしますが、それは浅はかな考え方なのです。そこで、そのわけをお話ししたいと思います。
 
父なる神
 聖書の中では、天地創造の神様は「父」と呼ばれています。旧約聖書では、《申命記32:6》
 「主はあなたを生み、あなたを造り、
 あなたを堅く立てられた あなたの父ではないか」

とあります。新約聖書では、《ルカ11:2》でイエス様が祈り方を教え
 「そこで彼らに言われた、祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように』」
と言われました。イエス様は祈るとき、「アバ」(お父さん、パパの意)と呼んで祈られたのです。それは、神様が「お父さん」のような方であるという比喩ではなくて、実際にわたしやあなたを生んでくれた父であるという意味です。
 父が子を生むのは変だと思う人もいるでしょう。「母が子を産むのであって、父が生むわけではない」。これは浅はかな考えです。父の精子が母の胎内で母の卵子と合体して胎児が作られるのが普通ですね。ですから、《マタイ福音書1:2〜6》の文語訳はこう記しています、
 「アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み、ヤコブ、ユダとその兄弟らとを生み、ユダ、タマルによりてバレスとザラとを生み、パレス エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、アラム、アミナダブを生み、アミナダブ、ナアソンを生み、ナアソン、サルモンを生み、サルモン、ラ ハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベ  デ、エサイを生み、エサイ、ダビデ王を生めり」。
 つまり、全部、父が子を生んでいるのです。母は「〜によりて」と書いてありますように、父と協力して子を産むのです。従って、最初の人アダムは、母によらず、父なる神から直接生まれた子ということになります。これは《ルカ福音書3:23〜38》の逆行系図に「ヨセフの父はへり→と系図をさかのぼって行き最後にアダム→神」となっていて、文語訳では「アダムは神の子なり」と記しています。
 父なる神様は人を生み育てるのに、父母が協力して育てる方法を良しとされ、自然界は大体そのようになっていますが、特に人間はそうです。イエス様の場合は、父なる神様が直接マリヤの胎内の卵子に聖霊によって働きかけて胎児を生まれさせたのですが、それを育てるのにダビデの子孫ヨセフをマリヤと婚約させて養父とし、父母によってイエス様を育てるようにされたのです。

父母を敬え
 ですから、父母は神様の代理として子供を育てるわけです。人間の父母は神様のように完全な愛と知恵と力とを持つわけではありませんから、父なる神様に子育ての愛と知恵と力とを与えて下さるように祈り求める必要があります。

 わたしたち夫婦が最初の子を持つたとき、「困ったなあ、親としての充分な準備もなくて子供を与えられてしまった。神様にも、子供にも申し訳ない」とつくづく困惑しました。厳しすぎたり、甘やかしたり、試行錯誤の連続で4人の子を育てたのです。家内の母の協力もありました。

 「父母を敬え」とは父母が子に要求する言葉ではなく、神様が子に要求する言葉なのです。尊敬できない親もいるのは事実ですが、尊敬できなくても尚、親は親であるゆえに尊ばれる地位を持つのです。

 江戸時代の儒教、朱子学では、「親、親たらずとも、子は子たれ」と教えています。また陽明学では、世を捨て、家族を捨てた僧侶が、心の底では捨てた母親を切に慕っているのを王陽明が察して、「父母を思うのは人の天性です。決して断ち切ることは出来ません」と諭します。すると僧侶は大声をあげて泣き出し、「明日家に帰って老母に孝養をつくします」と決意した話があります。

留岡幸助の家庭学校
 留岡幸助は明治の4年前に岡山県高梁市に生まれ、生後まもなく留岡金助の養子となりました。金助は米屋を営んでいましたが、8歳の幸助を漢学塾に通わせました。塾の帰り道で士族の息子が彼をいじめて木刀で打ちましたが、幸助はその子のふところに飛びこんで左手に噛み付きました。その子が泣いて家に帰ったので、父親が怒って金助を呼び出し、出入り禁止を申し渡しました。すると金助は家に帰って幸助を呼びつけ、「武士に刃向かうのは商人のすることではない、根性を叩きなおしてやる」と幸助をなぐり倒しました。それでも言うことを聞かないので、父親は彼を連れて警察署長の所に行き、諭してほしいと願いました。署長は幸助に向かいじゅんじゅんと諭しましたが、身分制度がなくなったのに尚、武士と商人の身分を差別するのに承服出来ませんでした。署長は金助に言いました、「金助、幸助は強情で言う事をきかぬ。だが、子は親のものじゃから、煮て食おうが焼いて食おうが親の勝手じゃ、連れて帰れ」と。幸助が16歳になった時、高梁の町にヤソ教の伝道師が来ました。その話を聞くと宇宙には唯一の神がいまし、士族も商人も神の前には平等だという。幸助がヤソを信じて洗礼を受けたので、父親は怒って彼を鞭で打ち、座敷牢に閉じ込めました。しかし、幸助はやがて、隙を見て脱走し、京都の新島襄の同志社英学校神学科に入り、牧師となりました。そして、50歳の時、罪を犯した子供たちを更正させる「家庭学校」を東京・神奈川・北海道に造り、留岡夫婦がお父さん、お母さんになって彼らの養育と更正に努めました。

 このように、わたしたちも父母を敬い、神様の愛を家庭や社会に広めて行こうではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.11.4 主の祭壇を造る(出エジプト20:24〜25)

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