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                                            2012/10/7の礼拝説教
主の御名を呼ぶ

出エジプ20:7
使徒2:21
マタイ6:9                    皆川尚一牧師
ヤーウェの御名
  「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう(出エジプト20:7)。

 出エジプト記第3章によれば、 神様はモーセを通して人間に「ヤーウェ」という御名を教えました。この「ヤーウェ」とは(彼は有る)と言う意味です。初め神様はモーセに「エイエー」(わたしは有る)という名であると自ら名乗り出られたのですが、人が神様を呼ぶ時には、「ヤーウェ」(彼は有る)と呼ぶように命じました。
 ですから、最初は神様を呼ぶ時に、日本風に言えば、「ヤーウェ様」と呼んでいたのです。これは人がつけた名ではなく、神様ご自身がつけた名であります。天地万物の造り主であり、生みの親であり、支配者であり、イスラエルの救い主である神様の御名は尊敬の念をこめて呼ばれるのが当然であります。

みだりに唱えるな
 しかし、神様は人間が神の名をみだりに唱えることを予測してこの戒めを与えたのです。「みだりに(シャーウ)」とは、「軽々しく、尊敬心なく、空しく、習慣的に、偽って」とか言う意味です。
 例えば、自分が誰かに約束をする時に、「ヤーウェの名にかけて誓う」ということがしばしば行われました。イエス様は「そういう場合はただ、『そうします』、『そうしません』で充分だ。神の御名を引き合いに出すのは悪である」という意味のことを教えています(マタイ5:33〜37)。
 みだりに神の名を使う実例は他にもあります。終戦後、わたしが横須賀の米海軍基地で働いていた時、米兵が「ガッデム」というのをしばしば聞きました。文字通りだと「神よ呪え」ですが、日本語では「畜生」と訳します。また、「ジーザス・クライスト」というのもしばしば聞きました。「ああ、ガッカリだ」と嘆息する言葉です。こうした下品な言葉は真面目なクリスチャンの米兵の口からは聞いたことがありませんでした。

ヤーウェの名を忘れる
 ユダヤ人はヤーウェの御名を口に唱えるのをはばかって、大祭司が1年に1度、大贖罪日に神殿の至聖所に入って、「ヤーウエ♪〜♪〜♪」と厳かに10回唱えるだけになりました。そして、普段は、ヤーウェと発音することを止めて、それを「アドナイ(主)」と発音することにしたのです。そして、長い長い年月の間に、ヤーウェの文字はあっても、正しい発音が分からなくなりました。
 日本式に言えば、天皇のことを「お上」、将軍のことを「上様」と言ったようなものです。近世に至って、ガラティヌスという名の修道士がヤーウェの母音文字の下に、アドナイの子音記号をつけて、「エホバ」と読むことを発明し、英語では「ジェホバ」、日本語文語訳聖書では、「エホバわが牧者なり、われ乏しきことあらじ」という具合に、ヤーウェはエホバになってしまいました。それで、わたしがクリスチャンになった頃は「エホバ」の御名を呼んで祈りましたが、それでも神様は喜んで聞いて下さいました。大切なことは真心からの信仰です。

主の御名を呼ぶ
 そこで最後に、さきほど朗読した《使徒行伝2:21》を見て下さい。
 「そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう」
とあります。真心をもつて、一心に主イエス・キリストの御名を呼ぶ人は、みな救われます。
 ある若い臨死体験者の報告によれば、彼は人生に絶望して服毒自殺したのです。死んだあとで気がついたときは、深い闇の中で宙吊りになっている自分を見出しました。周りにも沢山の自殺者が宙吊りになっていました。だれも口を利く人はいません。たた、絶望的な沈黙の世界でした。
その若者の心に、ふと小さい時に聞いたキリストのことが思い出されて、彼は、ひと言、「イエス様、助けて」と呟いたのです。すると、遠い闇の彼方に、ピカリと一点の光が見え、それがぐんぐん近づいて来て彼を包みました。主イエス様でした。主は彼を優しく抱いて闇の中から救い出し、神と共に生きる新しい人間に生まれ変らせてくれたのです。
 どうか、皆さん、わたしたちもわたしの神様として、主の御名を呼びましょう。そして、主に自分を明け渡し、聖霊で満たされるように祈ろうではありませんか。
                                      アーメン
次回予告 12.10.21 安息日を守る(出エジプト20:8〜11)

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