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                                            2012/9/16の礼拝説教
聖なる民

出エジプト19:1〜6
Tペテロ2:9〜1135
マタイ28:16〜20               皆川尚一牧師
神のお告げ
  イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。すなわち彼らはレピデムを出立してシナイの荒野に入り、荒野に宿営した。さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、『あなたがたは、わたしがエジプト人にした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」(出エジプト19:1〜6)。

 モーセとイスラエルの民とは、エジフトを出てから丁度三月目にシナイの荒野に入りました。それはシナイ山の真向かいに広がる平野です。モーセが、自分を召し出した神様にお会いするために登っていくと、神様の方から彼を呼んで、「モーセ、モーセ、このようにイスラエルの民に語りなさい」と言われました。その内容には、三つのポイントがあります。
 神の愛を知って、聞き従い、契約を守るならぱ
 1.宝の民
 2.祭司の国
 3.聖なる民
となるということです。

神の愛を知る
 それは第1に神の愛を知ることです。神様がエジプト人を滅ぼしてイスラエル人を荒野に連れ出し、「鷲の翼に載せて」シナイ山まで来させたことです。この母鷲のイメージは《申命記32:10〜12》に良く描かれています。「主は荒野で彼を見出し、これを巡り囲んでいたわり、ご自分のひとみのように守られた。鷲がその巣のひなを呼び起こし、その子の上に舞いかけり、その羽を広げて彼らを載せ、その翼の上にこれを負うように、主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった」とあります。イスラエルは神様の目から見ると鷲のひな鳥のようなもので、まだ一人前ではありません。荒野の苦難はひなの成長を促す訓練に役立ちます。それと同時に神様はいつでも飛んできて災いから守ってくれる愛の神様です。このような神の愛を信じて、聞き従い、神との契約を守るならば、イスラエルの民は神様から特別な三つの名で呼ばれることになります。

宝の民
 先ず第一に、神様はイスラエルを「宝(セグラー)の民となる」と言われます。また、《イザヤ43:4》「あなたはわたしの目に尊い」と言われます。
 日本では、日本書紀第11巻の仁徳天皇の章に、天皇は「百姓」のことを「おおみたから」と呼んで尊んでいます。そして「天皇はおおみたからを富ますためにある。彼らが貧乏な間は租税を免除する」として、3年間免除し、ご自分は3年間あり合わせの物で貧しさをしのいだ。民は天皇の慈愛に感激して三年後には自発的に天皇を支え、御殿を造営したと書いてあります。
 あるいは、万葉集巻五の山上憶良(やまのうえのおくら)の「子等を偲ぶ歌」にこうあります、
 銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに 
     まされる宝 子にしかめやも 
*意味「銀や金や宝石なんか何であろうか、 
      子供に優る宝はほかにありはしないよ」。
 天の神様も、真心から従い、契約を守る人を「わたしの宝」と呼んで慈しんで下さるのです。

祭司の国
 第二に、神様に聞き従い、契約を守るならば、イスラエルの民は「祭司の国」となると言われました。祭司は神様と人との間を結ぶ役割です。つまり、神と人との間に立って祭壇に犠牲をささげて、人々の罪の赦しを祈り、赦されたことを宣言して、神からの祝福を与えるのです。つまり「とりなしの祈り」をする役割です。モーセ、アロン、エテロなどはそうでしたが、イスラエル民族そのものが祭司の国となって、世界の諸国民のためにとりなしと祝福の祈りをするのだと神様は言われました。

聖なる民
 第三に、神に聞き従い、契約を守るならば、イスラエルは「聖なる民」となると言われました。それは「聖人の集団」という意味ではありません。この「聖」とは「神様専用の器として聖別されたもの」という意味です。一言で言えば「神の人の集団」です。その意味で「聖なる民」となるのです。
 これは、「神に選ばれた新しいイスラエル」であるキリスト教会にも当てはめられています。下記をごらん下さい。
 《Tペテロ2:9》「あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である」。
 つまり、わたしたちも神の御言に聞き従うならば、日本国民のため、又、世界の諸国民のためにとりなしの祈りを捧げ、祭司の役割を担う「聖なる民」となれるのであります。
 主は御心に従う忠実な民を求めておいでになります。どうか、身も心も主にささげて仕える聖なる民として生きようではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.9.16 あなたの神(出エジプト20:1〜3)。

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