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                                            2012/9/9の礼拝説教
裁判の知恵

出エジプト18:13〜27
Tペテロ6:1〜3
マタイ16:15〜19               皆川尚一牧師
祭司エテロのはん祭
  あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝ら晩まで、モーセのまわりに立っていた。モーセのしゅうとは、彼がすべての民にしていることを見て、言った、「あなてが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まであなたのまわりにたっているのはなぜですか」。モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。彼らに事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。あなたは彼らに定めと判決とを教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にしあなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。あなたがもしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができるでしょう」。
 モーセはしゅうとの言葉に従い、すべて言われたようにした。すなわち、モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、民の上に長として立て、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした。平素は彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセに持ってきたが、小さい事件は彼らみずからさばいた。こうしてモーセはしゅうとを送り返したので、その国に帰って行った(出エジプト19:1〜6)。

  モーセとイスラエルの民とがアマレク人との戦いに勝利した後、レピデムにモーセのしゅうとエテロがモーセの妻チッポラと二人の息子を連れて訪ねてきました。エテロはミデアン人(イシマエル人)でしたが、このシナイ山に臨在される天地創造の神ヤーウェの祭司であったのです。彼はイスラエル人をエジプトから救い出したヤーウェの偉大な奇跡の話をモーセから聞いて、大いに主を讃美しました。そして、ヤーウェ・ニシ(主はわが旗)と名づけられた祭壇の上にはん祭を捧げて、モーセやイスラエルの長老たちと共に感謝と献身の礼拝を捧げました。

エテロの助言
 そのあくる日、モーセはさばきの座についてた身からの訴えを聞いて裁判を行いました。ところが訴える人が多くて、朝から晩まで働いても裁きは終わらず、モーセも周りに立っていた人たちも、くたくたに疲れました。
 その様子を見てエテロはモーセに助言しました。「モーセひとりで裁きを行わず、有能で神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人の中から千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を選び、平素、簡単な訴えは十人の長が裁き、難しい度合いに応じて上級の裁判にかけ、大事件だけをモーセが扱うようにするが良い」と。流石に、「亀の甲より年の功」という諺どおりの良い助言でしたので、モーセはこれに従いました。
 
裁判の知恵
 これについて、疑問を持つ人がいるかも知れません。「モーセだけが直接神の声を聞くことが出来たのに、紙の声を直接聞くことが出来ない他の人々がモーセに代ることが出来るのだろうか?」ということです。
 それには一理ありますが、エテロはモーセがイスラエルの全会衆を代表して神様に祈る「とりなしの祈り」を担うことと、民の守るべき定めと判決を教え、彼らの歩むべき道となすべき事とを民に教えることが必要だと言っています。
 しかし、これはすでにシュルの荒野で神様かモーセに命じて、他の守るべき「定めとおきて」とを立てられていますので、多くの人々はそれを心得ているはずです(出エジプト15:25)。
 また、神様は人の心に律法の要求を記録しておられるので、文字で書いた律法がなくても、善悪の判断は人の良心によって行われます(ローマ2:12〜15)。
 従って、エテロの言う通り、「神を恐れ、誠実で、不義の利を憎む」人であるならば、モーセの代理として、ある程度、裁判を担うことが出来るでしょう。難しい事件はモーセが担当するというのは最高裁判所のようなものです。
 現代日本の「裁判員制度」で選ばれる人はこうした基準がなく、無作為に選ぶそうですから、全く信用出来ない制度であります。
 ところで、エテロが助言した、十人の長、五十人の長、百人の長、千人の長というのは、十二部族の各部族ごとに立てられた組織であって、後代の軍隊組織で採用されています。日本軍では、分隊長、小隊長、中隊長、大隊長に当ります。つまり、裁判制度としてだけでなく、軍隊組織としても役立つ適切な助言でありました。

神の声を聞く
 しかし、善悪を判断する良心の働きは、常に聖霊によって照らされ、導かれる必要があります。イスラエル人たちはおきてや定めを知っていたのに、繰り返し罪を犯し、トラブルを起こしました。エゴと高慢と貪欲が強くて、「分かっちゃいるけど、やめられない」からです。そのままでは罪の荒野で滅ぼされて、約束の国に入ることが出来ません。
 ですから、聖霊によって神の声を聞き、健全な霊性を働かせて良心の声に従うことが出来るように、指導者の助言を尊重し、キリストの光に照らされ、常に祈りつつ生きようではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.9.16 聖なる民(出エジプト19:1〜6)

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