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                                            2012/8/26の礼拝説教
神の給水

出エジプト17:1〜7
黙示録7:15〜17
ヨハネ4:4〜14               皆川尚一牧師
飲み水の欠乏
  イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水を下さい」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。このときモーセは主に叫んで言った、「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」。主はモーセに言われた、「あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、杖を手に取って行きなさい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである(出エジプト17:1〜7)。

  イスラエルの全会衆は主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねてレピデムに宿営しました。ところがそこでも、飲み水がないという問題が発生しました。シンの荒野では食べ物がなくなった。そしたら主がうずらの肉とマナとを降らせて下さいました。レピデムに来たら飲み水がなくなった。なぜですか? 主が導いているならこうたびたびトラブルが起るはずがない、というような疑問を持つ人々がモーセに食って掛かったのです。
 これはわたしたちの人生の旅路でも同じではないでしょうか。目的地に着くまでには、色々なトラブルが起る。それが当然なのです。そのつどとんでもないことが起ったとか、神様が共にいて下さらないからだなどと騒ぐ必要はありません。この不信仰な人々はモーセに向かって二つのことを提起しました。
 第一は、子供たちや、家畜たちと一緒にわれわれを死なせようとするのかと、激しく抗議して、モーセを石で打ち殺そうとしました。これが「メリバ」(争い)です。
 第二は、神様が本当にわれわれのうちにおられるのか、証拠を示せという要求です。これが「マッサ」(試み)です。

神の給水
 これに対して神様は事実をもって証明されました。主はモーセに「民の長老たちを連れてホレブ山の岩の前に立て、そしてその岩を神の杖で打て」と命じました。モーセがつえで打つと、大量の水が奔流となって流れ出し、幾筋もの大川となって人々の渇きを充分に癒しました。ホレブ山とか、シナイ山とか呼ばれるのは幾つもの山々が集まっている大山塊であって、その中に大量の水が蓄えられていたのでしょう。神様だけがそれをご存知でした。しかし、神様のお指図があっても、「そんなバカな話があるか」と笑って信じなければ、水は出て来ません。モーセが信じて岩を打ったことによって奇跡は起こったのです。

石油も隠れた資源
 石油は2040年頃には枯渇するといわれています。それで原子力に目が向けられたのですが、実は石油はそう簡単に枯渇しないらしいです。液体となっている石油が枯渇しても、岩石や砂に含まれている石油を取り出せば液体の原油の数倍になるといわれます。大体、石油は生物の化石が元になって出来た燃料だとする有機起源説が常識になっていますが、米コーネル大学のトーマス・ゴールド教授は無機起源説を唱えています。地球が生まれる過程で膨大な量のメタンが地球の成分としてとりこまれた。それが地表に湧き出してきたのがメタンガスであり、石油である。だから、地下7千メートル、8千メートル、1万メートルの海底から石油を採掘する技術を開発すべきだと唱えています。

イエスの与える水
 さて、話を水にもどしましょう。イエス様は言われました、
 「この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(4:13〜14)。
 この水とは、聖霊のことです。聖霊充満のイエス様から、わたしたちは無尽蔵に聖霊を飲み、聖霊で満たされることができます。それゆえ使徒パウロは、この出エジプトの出来事を引用して、キリストが霊の水を湧き出させた霊の岩であると言っています(Tコリント10:1〜5)。
 ですから、皆さん、わたしたちも「ない、ない」と言って否定的にならないで、イエス・キリストの中に隠されている無尽蔵の恵みを信じて祈ろうではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.9.2 勝利の手(出エジプト17:8〜16)

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