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                                            2012/8/19の礼拝説教
神の給食

出エジプト16:13〜31
Tテモテ4:1〜5
ヨハネ6:1〜14               皆川尚一牧師
食物の欠乏
  夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。イラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。主がめいじられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとりに1オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。
 6日目には、彼らは2倍のパン、すなわちひとりに2オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。6日の間はそれを集めなければならない。7日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。ところが民のうちには、7日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。そこで、主はモーセに言われた、「あなたがたは、いつまでわたしの戒めと、律法とを守ることを拒むのか。見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに6日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、7日目にはその所から出てはならない」。こうして民は7日目に休んだ。
 イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった(出エジプト16:13〜31)。

  この第16章は全部朗読したいところですが、長いので13節から31節までを朗読しました。そこで欠けた部分を少し説明します。
 イスラエル人の全会衆はエリムのオアシスを出発して、シンの荒野に到着しました。エジプトを出て45日目です。ここで彼らは食物の欠乏に悩みました。すると、またもや不平不満が爆発し、モーセとアロンに対する攻撃が始まりました。「エジプトの肉鍋とパンが恋しい。お前たちはこんな所に連れて来て、全会衆を餓死させるのか」と。食べ物の欠乏が信仰の欠乏をさらけ出しました。
 すると、神様はモーセとアロンに言われました、「夕暮れには肉を与え、明日の朝には天からパンを降らせよう」と。モーセとアロンは、全会衆に言いました、「神の代弁者として立てられた我々を攻撃するのは、神様を攻撃することになるぞ。あれを見よ。神の栄光が雲の中に現れている」と。つまり、「神様はご覧になっているぞ」ということです。

神の給食
 夕べになると、うずらの大群が飛んできて宿営の空を蔽いました。この渡り鳥は疲れると地上に降りて来るので。人々はそれをつかまえて食べました。みな、飽き足りるほど食べることが出来たのです。
 また、翌朝には宿営の周りに露が降りて、露が乾くと霜に似た白くて薄いうろこのようなものが地面に残っていました。食べてみると蜜を入れた煎餅のようにうっすら甘かった。「これは何ですか(マン フー)」と皆が尋ね合ったので、「マナ」と呼ばれるようになりました。そして、みな飽き足りるほどに食べることが出来ました。このマナはイスラエル人がカナンの地に入るまでの40年間、安息日を除いて、毎朝天から降りました。

安息日の定め
 ここで初めて、安息日の定めが出てきますが、安息日はシナイ山でモーセに与えられた十戒の中で初めて定められたのではなく、シンの荒野で与えられたのが初めであると思われます。古来の伝承では、創世記から申命記までをモーセ五書と呼んで、モーセが書いたとされていますが、モーセが何処で創世記の内容を学んだのかは分かりません。

 大切な神の戒めは、色々な機会に神様から教えられたのでしょう。特にマナを食べることについて、日本人が米の飯を常食としているように、イスラエル人は荒野ではマナを常食としました。一日一オメルは2.3リットルに当ります。

 
得たりと信ぜよ
 それゆえ、わたしたちの祈りが聞かれるのには秘訣があります。神様の方はわたしたちを愛して、良いものを与えたいと思っていて下さるのですから、それを信じることが必要です。《マルコ11:22〜24》を見てください。
 「イエスは答えて言われた『神を信じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこであなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう』」。
 ですから、「◎◎して下さい」で終わらないで、「もう与えられました。有難うございます」と、結果を先取りして宣言し、感謝するのです。
 また、イエス様は五つのパンと二匹の魚を神様に感謝して五千人以上の人々に分け与え、みなを満腹させました(ヨハネ6:1〜14)。その方法は一つのパンを裂いて片方を人に与えると、残りの片方が元の大きさにふくらむのです。インドネシアのティモール島でもそういうことがあったそうです。
 このように日々の生活を守り導いてくださる主に祈りつつ、生きて行こうではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.8.26 神の給水(出エジプト17:1〜7)

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