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                                            2012/7/29の礼拝説教
敵の滅びを見た

出エジプト14:26〜31
黙示録12:7〜9
ルカ10:17〜20               皆川尚一牧師
壮大な救いのドラマ
  そのとき主はモーセに言われた、「あなたの手を海の上にさし伸べて、水をエジプトびとと、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれにむかって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。しかし、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。
 このように、主はこの日イスラエルをエジプトびとの手から救われた。イスラエルはエジプトびとが海べに死んでいるのを見た。イスラエルはまた、主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた(出エジプト14:26〜31)。

 ここには壮大な救いのドラマが演出されています。隠れたシナリオ・ライターであり、監督であり、演出家である神様の命ずるままに、モーセは海の上に手とつえとを差し伸べて、「海の水、分かれよ!」と大声で叫びます。すると強烈な東風が吹き付け、吹き荒れて、海の水は右と左に分かれます。手前から沖に向かって一歩ずつ進むに従って道が開けて行きます。モーセもイスラエルの民もこのドラマの中で神の奇跡の共演者になるのであります。
 これは極めて重要なことです。神様だけでは救いのドラマをつくりだすことができません。主の命令に従ってモーセもイスラエルの民も行動することにより、救いの奇跡が起こります。

 そこへエジプトのパロとその軍勢とは追撃を開始します。神様に従順であるからではなく、憎しみの感情と征服欲に突き動かされている彼らは、神様によってかたくなにされたのです。「かたくなにされる」とは正しい冷静な判断が出来ないように盲目的になることです。彼らはイスラエル人が安全に渡れるのだから、自分たちも安全に渡れると考えました。それはとんでもない思い違いでした。イスラエル人は信仰によって渡ったのに、エジプト人は信仰なしに渡ろうとしたから失敗したのです。

神の裁き
 イスラエルの民とエジプトの軍勢とは雲の柱と深い闇によって隔てられていました。先に向こう岸に渡っていたモーセが主の命令に従って海の上に手を差し伸べると水はエジプト軍の後ろから流れ返り始めました。夜明けになって、エジプト軍はあわてて引き返し始めましたがもう遅かったのです。パロのほかは海の水に呑まれて全滅してしまいました。しかし、イスラエルの民が渡りきるまで、水は彼らの右と左にかきとなって道を造り、全員無事で向こう岸に上ることが出来ました。朝の光の中でイスラエル人が見たのは、元にもどった紅海の岸辺に浮かんでいる無数のエジプト人の亡き骸でした。彼らは敵の滅びを見たのです。

敵の滅びを見る
 わたしたちは大自然を支配する神の偉大なるみわざを知っています。
日本歴史の中でも、元と高麗の連合軍が二回にわたり北九州に襲来しましたが、二回とも大暴風雨が起こって敗退しました。とくに西暦1281年(弘安4年)夏の第2回襲来の時には、元軍10万、高麗軍2万が船諸共に全滅し、日本人は無数の敵の亡き骸や船の残骸が浜辺漂っているのを見ました。これらはいずれも神風が吹いたお蔭として日本では神社・仏閣において大いに感謝が捧げられました。

 聖書では、イエス様が「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」と言っておられます(ルカ10:18)。また、ヨハネの黙示録では、年を経た龍であるサタンが天から地上に追い落とされて、地上に住む神の子たちを攻撃していることが記されています(黙示録12:7〜9)。これは、イエス様の初臨から再臨までの世の終わりの期間には、まだサタンが働くことを許されていることを示しています。が、やがて、わたしたちは必ずサタンの滅びを見ることを約束されているのです。この世では、色々辛い試練や戦いがあっても、神の子たちは必ず勝利し、敵の滅びを見るのだと信じて、戦って行こうではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.8.5 勝利の歌(出エジプト15:1〜6)

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