トップページ >> 説教 >> 出エジプト >> (20)
                                            2012/5/20の礼拝説教
神中心の人生

出エジプト5:1〜9
Tテモテ2:4〜6
ヨハネ3:16〜17               皆川尚一牧師
わたしは主である
  主はモーセに言われた、「今、あなたは、わたしがパロに何をしようとしているかを見るであろう。すなわちパロは強い手にしいられて、彼らを去らせるであろう。否、彼は強い手にしいられて、彼らを国から追い出すであろう」。
 神はモーセに言われた、「わたしは主である。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。わたしはまたカナンの地、すなわち彼らが寄留したその寄留の地を、彼らに与えるという契約を彼らと立てた。わたしはまた、エジプトびとが奴隷としているイスラエルの人々のうめきを聞いて、わたしの契約を思い出した。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を挙げて誓ったその地にあなたがたをはいらせ、それを所有として、与えるであろう。わたしは主である』と」。モーセはこのようにイスラエルの人々に語ったが、彼らは心の痛みと、きびしい奴隷の務のゆえに、モーセに聞き従わなかった(出エジプト5:1〜9)。

 先ず皆さんに注目して頂きたいのは、 第2節に、「神はモーセに言われた、『わたしは主である』」と書いてあります。これが、第6節にも、第8節にも繰り返し3回出て来ます。これはわたしたちの人生において、非常に大切なことであるからです。

 つまり、人間にとって大切なことは、自分が主ではなく、神様が主であるということです。これが逆転して、自分が主であって、何でも自分の思うとおりにしても良いとなりますと、人間は夫婦が一つになって家庭を作ることも、家族が仲良く一緒に暮らすことも、国家社会を作ることも出来なくなります。そうした場合の国というのは、エジプト王のように強大な権力を持つ人が独裁政治を行うか、または、中国や北朝鮮のように、共産党の一党独裁政治を行うしかありません。それは反対勢力を押さえ込み、言論・信仰の自由を奪い、奴隷的に人々を取り締まって、強制労働させることになり、服従しない人々を皆殺しにします。ソビエト・ロシアも中国も、北朝鮮もそうしました。人間が主になるとそういうことになるのです。

神中心の日本人
 戦前の日本国は、人間を神の子孫としてある程度尊重してきました。それは日本神話に基いて、天地万物の産みの親である神からすべてのものが生まれてきたので、森羅万象ことごとく神々である。人間も神々である。その根源は天御中主神であって、その子孫として天皇がつながり、天皇につながってすべての人が家族をつくり、国家社会を造って来たという風に考えられてきました。ですから、教育勅語では、天皇が国民に対し、「あなたがたは、父母に孝行し、兄弟仲良く、夫婦合い和し、友達は信じ合い、恭しく慎ましく自分を保ち、学問に励み、人間性を高め、国家社会のために自己を犠牲として仕える人になれ」と親が子に教えるような教訓を与えています。この精神が東日本大震災に遭ったとき、被災地の人たちは何としても先ず自力で復興することを目指そうとし、日本中から被災地にボランティアが集まって助けようとする自発的な行動となって現れました。これは世界各国から賞賛されています。

基本的人権
 しかし、戦後の日本国憲法は日本古来の伝統を壊し、基本的人権という観念を国民に植え付ける教育をもたらしました。これは神中心ではなく、人間中心の生き方を主張するものです。憲法が施行された当時の文部省が作った「あたらしい憲法のはなし」には、こう記しています、
   「じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆける」
   「国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなり   ません」
 個人の権利ばかりを強調して、家族や国家社会に対する責任と義務を軽んじた教育が行われてきた結果、自分が幸せであれば、ほかのことはどうでも良いという人が沢山出てきました。

神中心の人生
 しかし、人間というのは偶然にアメーバから進化して生まれ出たものではありません。聖書を読めば、天地万物の創造主であり、産みの親である唯一の神様から生まれ出た神の子なのです。ですから、神様に似ていますし、尊い存在なのです。ですから、人間は神様の御心に従って生きるときには、幸せになります。しかし、神様に背いて自己中心になると不幸になります。本来、人間には仕えるべき「主」が必要なのです。

 人類が今のように心の平和を失い、互いに戦って他人のものを盗んだり、奪ったり、人を苦しめたり、殺したりするようになったのは、人類の先祖アダムとエバが神様に背いて自己中心の生き方をしたので、天界からこの地上に追放されたためです。それはこの世で自分の罪の報いを刈り取ると同時に、自分の間違いを認めて神様に心を向けなおすためです。
 神の御子イエス様はすべての人の罪を背負って十字架につき、「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか分からないのです」と祈って下さいました。それを見れば自分の罪の深さが分かるでしょぅ。

 先ほど読んだ《ヨハネ福音書3:16〜17》を見て下さい。
 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者が滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである」。
 神様はわたしたちすべての人間の「お父様」なのです。これは神の御子イエス様がこの世に来て教えて下さったことです。だから、「天のお父様」と呼んで祈れば神様の霊はあなたを暖かく包み、あなたの内側に宿って心を愛で満たしてくれます。あなたは自己中心の人から、神中心の人に生まれ変わります。神様をないがしろにする世界は滅びます。しかし、愛の神様を慕ってその御心に生きる人はこの世を超えて永遠に生きることが出来ます。どうか、これまで神様を無視し、軽んじ、御心に背いてきた罪を悔い改めて、救い主イエス様を信じ、神の家族としての教会に加わって、一緒に仕えようではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.5.27 聖霊の力(出エジプト6:10〜13)

トップページ >> 説教 >> 出エジプト >> (20) >> (21)へ進む