トップページ >> 説教 >> 出エジプト >> (18)
                                            2012/5/6の礼拝説教
主とは何者か

出エジプト5:1〜9
ローマ3:13〜18
ルカ18:1〜8               皆川尚一牧師
わたしの民を去らせよ
  その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。彼らは言った、「ヘブル人の神がわたしたちに現れました。どうか、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民の働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」。パロはまた言った、「見よ、今や土民の数は多い。しかも、あなたがたは彼らに労役を休ませようとするのか」。その日、パロは民を追い使う者と、民のかしらたちに命じて言った、「あなたがたは、れんがを作るためのわらを、もはや、今までのように、この民に与えてはならない。彼らに自分で行って、わらを集めさせなさい。また前に作っていた、れんがの数どおりに彼らに作らせ、それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。それだから、彼らは叫んで、『行ってわたしたちの神に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。この人々の労役を重くして、働かせ、偽りの言葉に心を寄せさせぬようにしなさい」(出エジプト5:1〜9)。

  「その後」というのは、4章の終りの部分に記されているように、「神と人との絆がしっかりと結ばれた後」という意味です。モーセとアロンはエジプト王パロの強大な権力に対する恐れが消え、天地創造の神ヤーウェの権威と権力とを身に帯び、堂々とエジプトの宮廷に乗り込みました。そして、パロに向かって要求しました、
 「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。
 パロの目には、80歳を越えた2人のヘブル人の年寄りが何を偉そうに振舞っているのかと、滑稽にしか映らなかったでしょう。それに、イスラエルの神ヤーウェ(主)という聞き慣れない神の名を持ち出されて当惑したと思われます。ですから、「ヤーウエとは一体何者か」と尋ねました。

エジプト人の神
 では、エジプト人の神とは一体何者であったか。わたしは前に3月11日の説教でエジプトの神々の名前を少し紹介しましたが、その信仰の中心は太陽崇拝でありました。太陽のことをラアとか、アテンとか呼んでその恩恵を讃えると同時に、王は自分をラアとか、アテンとか呼んで民を支配したのです。ラアはやがて天地万物の創造神として崇められるようになります。あるいはまた、王は自分をホルス(隼)と呼んで、隼のように獲物を襲うことを誇示します。隼、鷲、ライオン、コブラ等も神々とされ、王になぞらえられるのです。そうした自然崇拝の中でパロの栄光と権威が崇められていました。従って、パロはあらゆるものを超えた絶対的権威を持つ者として威張っていたわけです。

主とは何者か
 ですから、「ヤーウエとは一体何者か」という王の言葉には、ただの質問ではなく、軽蔑の感情がこめられていました。これは危険なことです。なぜなら、「ヤーウェ」とは「彼は有る」という意味であり、「エイエー(わたしは有る)」という天地万物の創造主である神様の自己主張でもあるからです。主を認めず、主を軽蔑し、無視する者は必ずその報いを自分の身に受けることになるからです。

 これは、19世紀の唯物論の哲学者フォイエルバッハが、「神とは人間の願望が生んだ空想にすぎない」と主張して、マルクス、エンゲルス、レーニン等から発した共産主義を大いに力づけました。今日まで世界的に発展してきた共産主義運動は世界各国の民衆による革命によって王制を倒し、2017年には世界統一独裁政府を樹立することを目標に働いています。これも、「主とは何者か」と言って天地万物の創造主である神様を無視する者たちです。彼らはその目標を達成できないで滅びるでしょう。
 《ローマ3:13〜18》にはこう記されています。
 「彼らののどは、開いた墓であり、
 彼らはその舌で人を欺き、
 彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
 彼らの口は、のろいと苦い言葉で満ちている。
 彼らの足は血を流すのに速く、
 彼らの道には破壊と悲惨とがある。
 そして、彼らは平和の道を知らない。
 彼らの目の前には神に対する恐れがない」。

 なぜなら、「われは有りて有る者なり」と宣言された神様が、「主とは何者か」を事実をもって啓示する時が来るからです。「神は死んだ」とか、「神はいない」とか、「俺様が絶対の神である」とか主張する人々に対して、神様ご自身が真実を証明されることを信じて、わたしたちは揺るぎなく生きて行こうではありませんか。
                                    アーメン
次回予告 12.5.13 苦難の意義(出エジプト5:10〜23)

トップページ >> 説教 >> 出エジプト >> (18) >> (19)へ進む