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                                            2012/4/22の礼拝説教
血の効力

出エジプト4:24〜26
ヘブル9:22
マタイ26:26〜29               皆川尚一牧師
モーセの罪は何か
  さてモーセが途中で宿っている時、主は彼に会って彼を殺そうとされた。その時チッポラは火打ち石の小刀を取って、その男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけて言った、「あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です」。そこで、主はモーセをゆるされた。この時「血の花婿です」とチッポラが言ったのは割礼のゆえである(出エジプト4:24〜26)。

  モーセは妻のチッポラと2人の男の子を連れてミデヤンを出発しエジプトへ向かいました。その途中、まだシナイ山まで到着しないうちに日が暮れたので、野宿をしました。
 すると突然、主が現れて眠っているモーセを殺そうとされたのです。なぜ、何の罪で殺そうとされたのか書いてありません。しかし、その時チッポラが火打ち石の小刀を取って、長男のゲルショムに割礼を施したところを見ると、まだ割礼を施していなかったことが原因かも知れないのです。

割礼の問題
 割礼というのは、神様が先祖アブラハムに与えた契約のしるしで、アブラハムとその子孫の男子はみな割礼を受ける定めでありました。割礼という儀式は男子の陰茎の包皮の先端の皮を切り取るものです。この儀式は西暦紀元前2300年頃のエジプト第6王朝の壁画に、エジプト人成人男子の割礼の画がありますから、アブラハムよりも前の時代に異民族の中で行われていたもののようです。しかし、モーセはエジプト人として王宮で育ったので、まだ割礼を受けていなかったと思われます。モーセは自分がイスラエル人だと分かった後も割礼を受けず、また自分の息子にも割礼を施していなかったのでしょう。もしかしたら、神様から命じられていたのに、従わなかったのかも知れません。それにはチッポラの反対があったのかも知れません。そう考えられる理由がここに記されています。
 モーセが突然苦しみ始めたとき、チッポラはとっさに、火打ち石の鋭利な小刀を取って長男ゲルショムに割礼を施し、流れ出た血潮を自分の指につけてモーセの陰茎の包皮に塗りつけました。それは、神様にモーセの割礼のしるしとして見て頂きたかったからだと思われます。神様はそれを見てモーセを殺すことをやめて下さいました。これは、後にイスラエル人がエジプトを逃れ出る時に行った、小羊の血を家の入口のかもいと両の柱に塗ることによって、長男が神様によって殺されるのを免れたことを予表するものとも考えられます。血には命があり、不思議な霊的パワーがあると信じられていました。

血の花婿
 チッポラがモーセに「あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です」と言ったのは、なぜでしょうか。
 アラビヤ人の間では、結婚の前に花嫁の父親が花婿に割礼を施す習慣があったといわれます。しかし、モーセの場合は、チッポラの父親である祭司エテロがモーセに割礼を行ったとは記されていません。むしろ、この場合は主なる神様が父親として割礼を求めたとも言えるでしょう。割礼の血は罪を清める効力があったのだと考えられます。

血の効力
 血の効力については、注解書などには魔術的な考え方とか、呪術的な考え方として否定的に扱われがちですが、それは間違いです。血には命があり、神の霊が宿って不思議な効力を現されるのです。だから、イエス・キリストの血はすべての罪からわたしたちを清めることが出来ます。

 これは水についても言えます。洗礼の水には神の霊が宿って人の罪を清めるのです。特に、流れる血、流れる水が効力を持ちます。
 こうした霊的真理をわきまえ知らない人々は洗礼など受ける必要はないなどと考えます。これは神様に対する不従順であります。現代人は自分の理屈に合わないことは平気で無視しますが、それは傲慢であって、神様に喜ばれない態度です。たとい理解できなくても、神様のお言葉には従うべきです。

 モーセやチッポラは割礼を受けよという神のお言葉に不従順であったから、殺されそうになったのかも知れません。そのような態度を悔い改めて、たとい理解できなくても、神様のお言葉に素直に従ってこそ、エジプトで神の奇跡を現すことができるのであります。
 どうか、わたしたちも神様に従順に従って行こうではありませんか。
                                      アーメン
次回予告 12.4.29 神と人との絆(出エジプト4:27〜31)

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