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                                            2012/3/25の礼拝説教
良い協力者

出エジプト4:10〜17
ピリピ4:1〜3
マタイ10:1〜4               皆川尚一牧師
言葉の人
  モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。主は彼に言われた、「だれが人に口を授けたのか。おし、耳しい、目あき、目しいに、だれがするのか。主なるわたしではないか。それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。そこで、主はモーセに向かって怒りを発して言われた、「あなたの兄弟レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出てきている。彼はあなたを見て心に喜ぶであろう。あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたのなすべきことを教え、彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、またあなたは彼のために、神に代るであろう。あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」(出エジプト4:10〜17)。

  モーセはまたもや、エジプト行きを恐れて神様に抗弁しました。自分は生まれつき言葉の人ではなく、口も重く、舌も重い人間ですと言って拒みました。「言葉の人(イシュ デバリーム」)とは、ヒットラーやオバマ大統領のように雄弁な人を意味します。モーセの場合、口も舌も重いと言いますから、いわゆる「訥弁(とつべん)」か「吃音(どもり)」ではないかと思われます。彼がなぜ訥弁や吃音になったかは、わかりません。モーセは乳離れするまで自分の家族の語るヘブライ語を聞いて育ちましたが、その後はエジプトの王宮で40年間育って、文武両道の達人となり、専らエジプト語をしゃべっていました。彼は奴隷のヘブライ人の語る言葉をしゃべれるようになったのは何時からなのか分かりませんが、自分がヘブライ人だと分かってからだとすれば短い期間でしょう。それから、逃亡者となってミデヤンに40年間寄留してミデヤン語をしゃべっていたのです。彼が割りに早くヘブライ語やミデヤン語になじむことが出来たのは、それらの言語の元であるセム語が中東のバビロンから、カナン、アフリカのエジプト、エチオピヤまで広がっていたお蔭ではないかと思われます。ですから、モーセが尻ごみしたのは、日本で言えば、東北人が東京人にしゃべるのを避けたく思ったのと似ているかも知れません。

神は語らせる
 しかし、神様は負けていません。
 主は彼に言われた、「だれが人に口を授けたのか。おし、耳しい、目あき、目しいに、だれがするのか。主なるわたしではないか。それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。
 
神様は人に口や耳や目を授けたのだから、それらを働かせるのも、働けなくするのも、神様の意のままであると言われます。ちなみに、ヘブライ語では、「おし(イレム)」、「耳しい(ヘレシュ)」、「目あき(フィケアハ)
、「目しい(イウェル)」と言います。そのような不自由は人を不幸にするためでなく、不自由を克服して立派に生きて行く愛の訓練として神様が与えて下さるのです。例えば、口と目と耳の不自由だったヘレン・ケラー女史や、まぱたきの詩人水野源三さん、その他多くの実例があります。また、聖霊によって自分が習ったこともない外国語を語らせられることもあります。

 それゆえモーセだって神様が語らせれば訥弁でも力強い働きをするし、雄弁にもなれるのです。それなのにモーセはなおもしつこく神様の命令を拒んで、「どうか、ほかの適当な人をおつかわし下さい」と願いました

良い協力者
 すると神様は怒りを発して言われました、
「あなたの兄弟レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出てきている。彼はあなたを見て心に喜ぶであろう。あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたのなすべきことを教え、彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、またあなたは彼のために、神に代るであろう。あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」。
 
神様は憐れみ深いお方ですね。これほどまでに辞退するモーセに対して怒りを発せられたにもかかわらず、モーセの兄のアロンを協力者として立てることを許されたのです。アロンはモーセより弁の立つ人でした。同じレビ族であり、肉親の愛の絆も強くあり、理想的な協力者と見えましたから、モーセは喜んだのです。しかし、神様は良くご存知でした。兄のアロンや姉のミリアムが後にモーセの反対者となったり、民の要求に屈して金の子牛の偶像を作ったりすることを予知しておられたのです。そこで、モーセだけが「預言者」であって、神様から直接みことばを聞いて、これをアロンに伝えるのだ。そうすれば神様はモーセの口と共にあり、またアロンの口と共にあってそれを語らせるであろう。これは、アロンが雄弁家であることを誇って、神のみことばでもないことを神のみことばとして勝手にしゃべらないようにブレーキを掛けたわけです。モーセは神の人としての権威の杖をとり、毅然たる態度で神の言葉を語り、アロンがそれを取り次ぐならば、良い協力者になれるでしよう。

 どんなに素晴らしい神様の働きも、独りでは完成出来ません。自分の分をわきまえた良い協力者と共に働いてこそ、目的を達成出来るのだと悟って、共に主に仕えて行こうではありませんか。
                                     アーメン
次回予告 12.3.25 帰国の時(出エジブト4:18〜20)

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