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                                            2012/3/4の礼拝説教
わたしは有る

出エジプト3:13〜15
コロサイ2:67
ヨハネ1:1〜5                   皆川尚一牧師
神の召命に従う
  モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名は何というのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。神はモーセに言われた、「わたしは有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました」と』。神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である」(出エジプト3:13〜15)。
  このモーセが神様に言った言葉の口語訳は正確ではありません。
ヘブライ語原文に忠実に訳すとこうなります。  
  「今(ヒネー)わたしはイスラエルの人々のところへ参ります」。
あるいは、  
  「ご覧下さい、わたしはイスラエルの人々のところへ参ります」。  
  ヘブライ語(ヒネー)には、「今」とか、「見よ」とかいう意味があるからです。これによって、「わたしは、いったい何者でしょう」と言って神様に抗弁していたモーセが、今や一転して、神様の召命に従う決心をしたことが分かります。

神の名は何か  
  このように神に従ったモーセは、イスラエル人が「あなたに現れた神の名は何か」と質問したら何と答えましょうかと神様に尋ねました。イスラエル人は、日本語の「神」という普通名詞に相当する言葉として、「エル、エロヘー、エロヒーム(エル、エロヘーの複数形)」を用いていました。しかし、エジプトで400年暮らす間に神様の固有名詞が色々あることを知りました。例えば「アメン、ラア、プタハ、ホルス、セト、トト、アナト、バアル、オシリス」等です。そこでモーセに現れた神の名を知りたいという要求が民衆から出るに違いないと思ったのです。  

  ここで、知っておきたいことは、天地創造の唯一絶対の神様には「名」は無いということです。固有名詞があるということは、唯一絶対てはなく、相対的になってしまいます。また、昔から何処の国でも、名をつけられる人は名をつけた人に従属することになります。ですから、神様はアダムのところに生き物を連れて来て名をつけさせました。そして、アダムはエバの名をつけました。日本でも、天皇や将軍が女性に「あなたの名は何か」と尋ねた場合、「あなたをわたしのものにする」という意味を持っていました。ですから、人間が神様に「あなたの名は何ですか?」と尋ねるのは失礼なことです。しかし、モーセはイスラエル人の質問を予想して、「何と答えたら良いでしょうか」と恐る恐る神様にお伺いしたのです。

彼は有る(ヤーウェ)  
  すると神様は人間の弱さを思いやり、「こう呼びなさい」と教えてくださつたのです。  
  神はモーセに言われた、「わたしは有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました」と』。神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である」(出エジプト3:14〜15)。  
  この「わたしは有って有る者」とはヘブライ語で(エイエー・アシェル・エイエー)と言うのです。文字通りだと、「わたしは、わたしは有るという者である」となります。文法的には、「継続的に有る、永遠に有る」という意味ですから、日本語の文語訳では「われは有りて在る者なり」と訳し、口語訳では「わたしは有って有る者」と訳しました。ですから文法的には固有名詞ではなく、普通名詞です。端的に言えば、神様の名は「エイエー」だと啓示されました。ところが神様は人間が神様を呼ぶときには「ヤーウェ」と呼べと教えたのです。なぜなら、「エイエー」とは「わたしは有る」という意味、「ヤーウェ」とは「彼は有る」という意味だからです。これは人が自分の存立の基は神様であることを認めるためです。人間は自己自身で生きている者ではなく、神様に在って生かされている者です。ですから、行き詰まった時には、「彼は有る(ヤーウェ)!」と叫んで神様を呼ぶならば、ヤーウェは必ず応えると教えて下さったのてす。しかし、イスラエル人は、神様をヤーウェと呼ぶのを畏れて、「アドナイ(主)」と呼ぶようになりました。

山田晴枝の証し  
  この実例として、戦前に満州の赤峰で伝道した山田晴枝伝道師の証しがあります(飯沼二郎編「熱河宣教の記録」未来社刊より)。  
  彼女は日本内地からの送金も途絶え、足の手術を受けて身心共に衰弱して砂漠の祈りの山に這いずりながら登りました。砂に顔を埋めて、讃美する力も祈る力もなく臥していた時、砂漠を渡ってくる風のように、りんりんと響く異様な音を聞きました。それは
    「我はありてある者なり」
    「我はありてある者なり」
    「我はありてある者なり」
と3回、ほんとうにりんりんと響くような声が聞こえて来たのです。彼女は顔を上げて見回したけれども、だれも見えませんでした。その時、ハッと気づいたのは、これは、モーセがミデヤンの荒野で聞いた神の声と同じだということです。そう思った次の瞬間、    
    「モーセと共にありしごとく、我なんじと共にあるべし」
というお言葉が彼女の心に響いて来ました。その声を聞いた時、「ありてある神、初めからあって永遠までいましたもう神が、わたしと共にいますのだ。ああ、神様わかりました。ここで飢え死にしても、それが御心であれば、それもよし。生きるうれし、死ぬるもよし、主にあるわが身の幸は等し」と讃美が湧いて来ました。そして、すっかり元気になって教会に帰って来ました。  
  皆さん、このようにわたしたちを生かし、わたしたちを立て、わたしたちを尊い使命に用いて下さる神様を信じて生きて行こうではありませんか。
                                      アーメン
次回予告 12.3.11 人の好意 (出エジプト3:16〜22)

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