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                                           2006/12/03の礼拝説教
  夜明けを待つ

   マタイ 4:12〜17
   イザヤ 9:1〜2
   Tヨハネ5:12                   皆川尚一牧師
夜明け前の暗闇
  「さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。
  そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海辺の町
  カペナウムに行って住まわれた。これは預言者イザヤによって
  言われた言が成就するためである。
     『ゼブルンの地、ナフタリの地、
     海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、  
     異邦人のガリラヤ、  
     暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、  
     死の地、死の陰に住んでいる人々に、ひかりがのぼった』。
  この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、
  「悔い改めよ、 天国は近づいた」(マタイ4:12〜17)。


 教会暦では、今日から降臨節(アドベント)に入ります。アドベントは
キリストの降臨を待ち望むことから始まり、四つの待望の主日の後に
25日のクリスマス(降誕祭)が来て、その後に降誕後主日がきます。
そこまでを降誕節と言います。

  さて、キリスト(ヘブライ語ではメシア)の降臨は西暦紀元前6世紀に
出現したユダ王国の預言者イザヤによって預言されていました。
その預言によれば、キリストはガリラヤ地方に出現するというのです
(イザヤ9:1〜2)。そのガリラヤは人類の住むこの世の象徴とも言う
べき暗黒状態におかれていました。

  紀元前第8世紀にはアッシリヤ軍が攻めてくる、第6世紀にはバビロニヤ軍、次はペルシャ軍、次はマケドニヤ軍、次はシリヤ軍、次はローマ軍と連続する攻撃と戦乱の渦に巻き込まれてきました。キリストである
イエス様が出現された時代には、ガリラヤはローマ帝国の辺境で、そこに住む人々はユダヤ人だけでなくあらゆる人種が混在していました。
「異邦人のガリラヤ」と呼ばれたのはそのためです。住民は皆ひどく貧しく、最悪の環境で疫病は蔓延するし、仕事は少ないし、道徳は退廃し、
盗み、強盗、暴行、殺人は日常のことで、たびたび反乱が起こってローマ帝国からの独立を図るといった有様でした。「死の地、死の陰」と呼ばれたのもそのためでした。まさにそこは夜明け前の深い暗闇が支配する
土地でありました。イエス様がそこに行って住まれたのは、暗闇を照らす太陽となるためでした。それはイザヤの預言が成就するためでありました。

光が昇った
  そしてついに「光が昇った」のです。それはイエス様がカペナウムの町の会堂で、「悔い改めよ、天国は近づいた!」と宣言したことから始まりました。「悔い改めよ」とは「自己中心の生き方を180度方向転換して、神様に立ち帰れ」ということです。
  また、「天国は近づいた」とは「天にある神の王国、つまり神様のご支配は近づき、キリストであるわたしの降臨によって始まっているのだ、
だから、わたしに従いなさい」という意味です。
  そして、イエス様は天地創造の神様を「お父さん」と呼んで祈ることを教え、神の愛に信頼し、神と人とを愛する道を教え、人々の病を癒し、
人々に乗り移っている悪霊どもを追い出し、聖霊を受けて神と共に生きることを教えました。つまり、人は罪と死と悪魔から解放されて、神の子
として霊的に生まれ変わることが出来ると教えたのです。
  それは、人間イエス様がキリスト教の教祖として新しい宗教を作り出したのではなく、天国から降臨した神の子キリスト、すなわち、マラキの
預言する「義の太陽」(マラキ4:2)であるキリストなのだということです。しかし、マラキの預言と合致しているのは、「太陽の光線には病を癒す力がある」という点だけであって、「高ぶる者や悪を行う者を焼き尽くして灰のようにする」 という刑罰を行う点は再臨のキリストが行うこととされました。 つまり、今から二千年前に降臨されたキリスト・イエス様の目的は、この世に刑罰をもたらすためではなく、救いをもたらすためであったのです。その意味では、確かに「光が昇った」のです。 このイエス様を義の
太陽として心に迎える人は幸福です。いつもイエス様と一緒ですから、
どんな悪い環境の中でも、心は天国と同じで、明るく元気に生きることが出来ます。

明治維新前夜
  ところで、この世界を照らす光は西洋文明であると考える人々がおります。例えば江戸時代までの日本は野蛮未開の時代であったが、明治維新によって西洋文明を受け入れたのが日本の夜明けとなったというのです。果たしてそうでしょうか?
  例えば、幕末の先覚者のひとりで伊豆韮山の代官江川太郎左衛門は西洋の兵学を学び、反射炉を構築して大砲を作り、千人の弟子を養って教練を施すなど広い視野で日本の海防に努めました。 この人の句に、
「里はまだ夜深し富士の朝日影」 というのがあります。その意味は、
「一般国民は新時代の夜明けが近いのに気づかず未だ眠っているが、独り富士山の山頂が水平線の彼方から昇る朝日の光を受けて紅に燃えているように、自分は新時代の夜明けに目覚めて心を燃やしているのだ」ということです。

  今一つの例として、島崎藤村の歴史小説に「夜明け前」というのがあります。それは藤村の父親をモデルにしたものです。主人公の名は青山
半蔵と言い、木曽路の馬籠(まごめ)宿の本陣・問屋・庄屋を兼ねた人でした。時は幕末で日本が諸外国から開国を迫られ、世の中が目まぐるしく変わっていく中で半蔵の身の上にも攘夷か開国かをめぐって色々な
変化が起こります。
  しかし、半蔵には一つの信念がありました。それは「日本社会が堕落して暗黒状態になったのは、儒教や仏教を取り入れたせいである。それ以前の神武天皇建国の昔にまでもどさなければ、神の心に従う国を再興することは出来ない」という信念です。それは彼が賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、 平田篤胤(あつたね)等の有名な国学者たちに学び、天照大御神 の御心に従って国の政策を改めることを目指したからです。
  ところが薩長藩閥政府による政治は、国学者たちを排除し、ひたすら日本の近代化に向かって西洋文化を手本として驀進して行くことでした。半蔵は神仏分離すら全うできなかった「御一新(ごいっしん)」に反発して馬籠の寺に火をつけて焼きました。そのため捕えられて座敷牢に閉じ込められて明治19年、そこで死を迎えます。彼の最期の言葉は「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」でした。この象徴的な言葉の通り、日本はまだ夜明け前であったのです。  
  話はそこでは終わりません。半蔵こと島崎正樹の末子島崎藤村は、
明治21年16歳のとき東京・明治学院に在学中、高輪台町教会でキリストを信じて洗礼を受けました。しかし、その後の彼は教会を離れ、詩人・作家として多くの優れた作品を生み出しましたが、昭和10年に前述の
「夜明け前」を出版。翌11年に随筆集「桃の雫」を世に送りました。その中に特筆すべき文章があります。それは、「わたしは朝ごとに心に太陽の昇るのを見る」という言葉です。父は夜明け前の暗闇の中で失意の
うちに死にましたが、その子藤村は64歳にして「朝ごとに心に太陽の昇るのを見る」というクリスチャンの心境に達したわけです。父の願いは
このようにしてその子に受け継がれたのではないでしょうか。

夜明けを待つ
 今でもまだ夜明け前だとわたしは思います。明治、大正、昭和、平成
と時代は移り変わりましたが、日本を改革しようとする様々の努力は、
ある種の功績はあるものの、やはり金持ちや権力者の都合の良いように変えられて行くように見えます。
  人間にとって便利なようにするという動機から生まれる人工的な産物は、ますます人間を不幸にするように見えます。 これは世界を改革しようとする様々の努力にも同じように言えると思います。それでも人間はその努力をし続けるでしょう。
  イエス様の譬話の中に、「ある人が畑に良い麦の種を蒔いたが、芽が出てみると毒麦が混じっていた。それは知らない間に悪魔が来て蒔いたものであった。毒麦を直ぐに抜こうとすると間違ってよい麦を抜くかも知れない。だから直ぐ抜こうとしないで収穫の時まで待ちなさい」とあります(マタイ13:36〜43)。
  わたしたちは神様の御言葉を大切に心の中に守って、世の終わりに
イエス・キリスト様が再臨して世界を裁き、根本的に改革して下さるまで、
忍耐強く夜明けを待ちたいと思います。              アーメン

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