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                                           2006/12/17の礼拝説教
  輝く明星

   ヨブ38:4〜7
   黙示録22:16
   マタイ2:9〜12                  皆川尚一牧師
不思議な星
  「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た
  星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上に
  とどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
  そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、
  ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの
  贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを
  受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った」
  (マタイ2:9〜12)。


  ペルシャの博士たちが東方で西の空に見た不思議な星が何であるかは、色々と論じられて来ました。
  例えば、ドイツの有名な新約学者E..シュタウファーは、西暦紀元前
7年に魚座の中で、木星と土星とが大接近した。木星は世界の支配者の星であり、土星はパレスチナの星であり、魚座は終末時代のしるしであると当時は考えられていたから、この年パレスチナに終末時代の支配者が現れることを告げる星であったと説明しています。
  しかし、聖書全体から見ると、星占いなどは全く用いられていません。そして、この星についても星占いからの説明は全くありません。
  また、木星と土星が大接近して大きな一つの星に見えたとしても、その星が博士たちを幼な子イエス様のおいでになる家まで先導して、その上に留まったと記されていますから、惑星、恒星、彗星、あるいは流れ星といった類の星ではないと考えられます。
  ある人はUFO(未確認飛行物体)ではないかと言い、また別の人は
天使ではないかとも言うのです。
  わたしはこの最後の「天使説」が当っているのではないかと考えています。というのは、アルゼンチンのリバイバルの発端となったのは、ある
聖書学校の生徒が独りで夜空を見上げていると、ひときわ輝く一つの星がありました。彼がその星を見つめていると、星がだんだん近づいて来て、サーッと彼の前に立ったとき、それは輝く天使であったと報告されているからです。天使たちが星に見えることは、他にも色々な本に記されています。ですからあの不思議な星は天使ではないかと思うのです。

輝く明けの明星
  いずれにしても、神様が御子イエス様の許に人を導くのに星を
用いられたのは、決して偶然ではありません。
  というのは、旧約聖書では、イエス様についての預言において、
イエス様は「ひとつの星」と呼ばれています。
  「わたしは彼を見る、しかし今ではない。
  わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。
  ヤコブから一つの星が出、
  イスラエルから一本のつえが起こり、
  モアブのこめかみと、
  セツのすべての子らの脳天を撃つであろう」
  (民数記24:17)。

 また新約聖書では、「輝く明けの明星」とイエス様ご自身が名乗って
おいでになります。
  「わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、
  これらのことをあなたがたにあかしした。
  わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」
  (黙示録22:16)。

 この世は未だ暗く、様々の暴力や罪悪がはびこっています。でも、東の空は白み、明けの明星が輝いているのです。夜はまさしく明け初めようとしています。すなわち、神の国が出現しようとしているのです。神の国の王であり、生命の源であるイエス様は死から甦って、罪と死の解決者として立っておいでになります。 もう直ぐ義の太陽であるイエス様がサタンと罪と死とを永久に滅ぼして、義と愛の住む世界を創り出される時が近づいているのです。
  従って、輝く明星イエス様を見つめるクリスチャンは喜びの人、 讃美の人、希望の人であります。まだ暗いこと、悲しいこと、難しいことは沢山ありますが、必ず出口があり、解決があるのです。 闇の世を見ても、
自分を見ても、解決の糸口が見つからないなら、どうか目を上げて輝く
イエス様を見つめて下さい。「イエス様、わたしの心にお入り下さい」と祈り求めて下さい。そうすれば、あなたは輝く明けの明星に変わるでしょう。
美しい星になる
  それは同じヨハネの黙示録の中に記されている約束なのです。
  「ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを
  堅く保っていなさい。勝利を得る者、わたしのわざを最後まで
  持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
  〜中略〜
  わたしはまた、彼に明けの明星を与える」
  (黙示録2:25〜28)。

  この中で、「自分の持っているもの」とは、イエス様に対する「信仰」
です。また、その人に対して「明けの明星を与える」とは、イエス様の光の御霊がその人の中に宿り、その人が夜空に輝く美しい星となって、人々をキリストの許に導くようになるという意味です。
  美しい星となったクリスチャンは、すでにイエス様の愛と命と力に満ち、全世界をもわがものとして持っているのです。
  「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、
  彼ら(邪悪な人々)の間で星のようにこの世に輝いている」
  (ピリピ2:15)

とも記されています。

  その実例として、わたしは戦争中に南方洋上で戦死した兄良治(よしはる)が、戦地からわたしに寄越したはがきの便りをご紹介したいと思います。その便りには次のようなことが書かれていました。
《自分は今何処にいるのかは、はっきり書けないけれども、南方洋上の島から島へと移動しているところだ。ひとつ短歌を記す。
   南(みんなみ)の島を行くゆく
   同信の人々住めり星のごとくに
南の島々には沢山のクリスチャンが住んでいる。その中には立派な神々しい人たちがいる。その中の長老がお前の写真を見て預言をした。今は書けないが、いつか再会が許されたら話してやるよ》 という内容でした。どういう預言だったのか今は聞くすべもありませんが、南太平洋の島々には星のように輝く立派なクリスチャンたちが沢山いて、悲惨な戦争の
さなかでも決してその光を消すことも、隠すこともせずに、イエス様を証しし続けていることが分かりました。
  また、わたしの兄は同じくクリスチャンとして軍隊に加わっていました
が、その信仰の光を消すことも、隠すことも無く、輝いていたようです。
ある日彼の上司の司令官から母宛に手紙が来ました。司令官はその中で、「あなたのご子息はまことに立派な方で、あたかも清僧のごとく毎日を生きており、われわれは彼を尊敬しております」と述べていました。
多分、日本軍の一員である兄を迎えた南太平洋の島々に住む原住民の人たちも、星のように輝く同信の友を見て、手を取り合って喜んだのではないかと想われます。

  あの戦争中の暗い悲惨な情況の中でさえも、いや、それが暗ければ暗いほど、クリスチャンたちはますます美しい星として光り輝いていたのだと言えるでしょう。それは今のわたしたちにとっても大きな励ましでは
ないでしょうか。このクリスマスにあたり、あなたもわたしもイエス様を心に宿して聖霊の光を受け、美しい星となって人々をイエス様の許に案内しようではありませんか。                       アーメン

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