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                                           2010/12/19の礼拝説教
  この人を見よ

   イザヤ42:1〜4
    I テモテ2:4〜6
   マタイ1:18〜25               皆川尚一牧師
常識外れの出来事
  イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公になることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、  
  「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。  
  その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。  
  ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた(マタイ1:18〜25)。


  今日はクリスマス礼拝の日なので、神の子イエス・キリスト様のご降誕の意味についてお話ししたいと思います。  
  ルカによる福音書によれば、天使ガブリエルが処女マリヤの許を訪れて告げました、
「あなたは聖霊によって身ごもって男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい」と。これは「受胎告知」として知られています。そして、マタイによる福音書によれば、天使がマリヤの婚約者ヨセフの許を訪れて、「彼女の胎内に宿るものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい」と告げています。  
  これは、マリヤにとっても、ヨセフにとっても、彼らの結婚の前に起った常識外れの出来事でした。彼らは天使のお告げがなければ信じられなかったでしょう。キリスト教会ではこれを「処女降誕の奇跡」と呼んで信じています。

神の子の誕生  
  なぜ、神様はヨセフとマリヤとの結婚によって子が生まれるようになさらなかったのでしょうか。それはイエス様が、天の御座から下りて来て、直接、神の御霊によって生まれる必要があったからです。イエス様は天の御父の代理であり、見えない神の現われであって、肉体をもってこの罪の世に入り、わたしたち人類の仲間になられたのです。それは私たちをもろもの罪から救い出すためでした。

イエスの御名  
  「イエス」という名は、ギリシャ語読みで、ヘブライ語では「エシュア」と言います。その名の意味は「主は救い」です。天使は、「おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」と解説しています。マタイは更にその意味を深めて《イザヤ第7章14節》を引用しました。   
  「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。   
  その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
 
  イエス様が「インマヌエル」の名で呼ばれたことはありませんが、「インマヌエル」とは「神われらと共にいます」という意味ですから、正にそれはイエス様のご降誕によって実現した出来事であります。

神われらと共に  
  イエス様を見た人は、「神様だ」と感じたのです。それは、シメオンやアンナのように、赤ちゃんのイエス様を見た人でもそう感じましたし、成人されたイエス様を見て、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と信仰を告白したペテロのような人もいます。  
  しかし、弟子たちの中にも、そうでない人々がいました。例えば、ピリポはイエス様に言いました、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。するとイエス様は言われました、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである」と。彼らは復活されたイエス様を見て神様と信じたのです。

この人を見よ  
  日本キリスト教団東中野教会の牧師であった由木 康(ゆうき こう)先生は先ほど歌った讃美歌121番「馬槽の中に産声あげ」の作者です。彼は、キリストの神性と人性について思い悩んだ末、神性が人性のうちに包まれ、それを通して輝き出ていることをイエス様に示されてこの讃美歌を作りました。これは由木 康先生がイエス様に対する熱い信仰を精一杯告白した歌であると思います。
では、もう一度、讃美歌121番をご覧下さい。

  馬槽の中に うぶごえあげ
  大工の家に ひととなりて
  貧しきうれい 生くる悩み
  つぶさになめし この人を見よ

  食するひまも うち忘れて
  しいたげられし ひとをたずね
  友なきものの 友となりて
  こころくだきし この人を見よ

  すべてのものを 与えしすえ
  死のほかなにも 与えられで
  十字架のうえに あげられつつ
  敵をゆるしし この人を見よ     

  この人を見よ この人にぞ     
  こよなき愛は 現われたる     
  この人を見よ この人こそ     
  人となりたる 生ける神なれ  

  わたしたちは、いまイエス様を肉眼では見ていませんが、霊の眼で見ることが出来ます。聖書を読むときに見ることが出来る。イエス様に祈るときに見ることが出来る。讃美歌を歌うとき、キャンドルの火を見た時にイエス様を見た人もいます。この世はイエス様と出会う場であります。
どうか神様がわたしたちの心眼を開いて、救い主イエス様を神様として
信じる人にして下さるようにお祈り致しましょう。          アーメン

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