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                                       2007/12/23 クリスマス礼拝説教
  神様の家族愛

   マラキ4:5〜6
   ヘブル2:14〜18
   ルカ2:1〜7                    皆川尚一牧師
聖家族のクリスマス
 ルカによる福音書第2章を読むと、クリスマスというのは初めから家族的なものだということが分かります。イエス様のお父さんはヨセフ、お母さんはマリヤ。そして、ヨセフはベツレヘムに生まれたダビデ王の子孫であったので、人口調査を受けるために故郷のベツレヘムへと帰って行きました。そして、そのベツレヘム滞在中に、洞穴の家畜小屋の中でマリヤが出産して、生まれた子を「イエス」と名づけたのです。貧しいけれど暖かい家族愛に包まれた家庭がこの家畜小屋の中にありました。神の御子イエス様を迎えたヨセフとマリヤの家族ですから、これを「聖家族」と呼ぶのです。その聖家族の初めのクリスマスには、不思議な星の光が天から照らし、天使たちの大合唱が夜空に響き渡り、羊飼いたちがお祝いに
来る、羊やロバや牛たちが愉しそうに鳴く、東の国の博士たちが贈り物を持って来るなど、神様の大きなドラマが演出されました。それはイエス様のご誕生に特別な意味があったからです。イエス様は天の父なる神様の見える姿ですが、神様に背いて滅びていく人間たちを救うために、人間の姿をとり、肉体に宿ってこの世に入って来られたお方です。それゆえ、イエス様の本当のお父さんは天の父なる神様で、ヨセフはイエス様の養い親だということになります。

アダムは神の子
  そこで、《ルカによる福音書3:23〜38》には、こう記されています。
「イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子、それから、
さかのぼって、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、〜中略〜ゾロバベル、
サラテル、〜中略〜ダビデ、エッサイ、オベデ、ボアズ、〜中略〜ユダ、ヤコブ、イサク、アブラハム、、テラ、〜中略〜セム、ノア、ラメク、メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、エノス、セツ、アダム、神」。
 
  この系図によりますと、ヨセフからさかのぼってアダムまでの人間は
皆、 「神の子だ」ということになります。これは人間の「霊魂の系図」として考えると、神と人との関係が家族的なものだということが分るでしょう。

神様はお父さん?
イエス様がこの世に来て教えて下さったのは、天地創造の神様がわたしたちの「お父さん」だということです。
 「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名が崇められますように
  御国がきますように』」(ルカ11:2)。

  イエス様はご自分が祈るときも「お父さん(アバ)」と言って祈られましたが、わたしたちにも「お父さん」と言って祈りなさいと教えられました。それは神様と人との関係が親と子の関係なのだからです。つまり、わたしたち人間は神様から生まれた神の子なのです。
  では、神様はどうやってわたしたちを産んだのでしょうか。それは《創世記第1章3節》にあるように、「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」というやり方です。神様は心の中で「光」の映像を見ました。そして、「光あれ」と言いました。そしたら神様から「光」が出て来ました。
  今一つ、《ヨハネ福音書第1章1〜3節》を見て下さい。ここには、
  「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた」と書いてあります。ここで分るのは、「神」が「お父さん」で、「言」が「御子」であるということです。お父さんが心に光の映像を見る。すると御子もその映像を心に受け取って「光あれ!」と言う。すると「光」が産まれるのです。これを光ではなく、「尚一」に当てはめてみるとこうなります。天のお父さんが「尚一」を産もうと心に決めてその映像を描く。御子が尚一の映像を受け取る。そして「尚一あれ!」と言う。すると尚一が産まれる。このようにして、わたしの霊魂は神の子として天界で生まれました。そしてこの世の人間の父と母の子として、母の胎内ある赤ちゃんに宿って、この世に生まれて来ました。こうしてわたしには、天の父とこの世の父がいるわけです。  
  この場合、わたしを生まれさせることを決めたお父さんと、その意思と子の映像とを父から受けて、「あれ!」と宣言して産み出してくれた御子は、お母さんの役割を担っていることになります。つまり、ひとりの神様の中に父と母がおられることになります。御子は母ではないけれども、母のようなこまやかな愛情を持っておられます。  
  キリスト教会の指導者の中には、「『父なる神』では良くない、『父と母なる神』というべきだ」という人々がいたり、又、「聖霊が母である」という人々がいたり、「御父・御子・御霊の三位一体では足りない、聖母マリヤ様を崇めることで、女神がほしいと言う人々の欲求に応えられるのだ」という人々がいたりします。  
  しかし、父なる神様は、子なる神様を救い主イエスという名で、神様に背く罪のゆえに滅びていく人間を罪と死と悪魔の手から救い出すために、この世に遣わされましたから、イエス様は父と母の愛情をもってわたしたちに救いの手を伸ばしておられるのだと言えるでしょう。

拉致被害者の母の叫び
 最近出版された「めぐみへ、横田早紀江、母の言葉」という本があります。30年前北朝鮮に拉致されためぐみさんへの母の叫びです。
  「私は、北朝鮮に拉致された、横田めぐみの母でございます」
  「何で私だけ、帰れないんだろう。何で私だけ助けてくれないの」と
  今日もお月さまを見ながら、泣くにちがいありません。
  「助けてください」と。
  「どんなにめぐみがぼろぼろになっていても、
  必ず命を与えたまま返してくださいと、わたしは薮中さんにお願いして
  どうかあちらの人にそう言って下さいと、お願いしてきましたけれども、
  出てきたものは、めぐみのものとされる遺骨でありました」。
  「命は同じです。見えるところにあっても、見えないところにあっても、
  救いを求めている大切な命が、今も、わめいて、叫んで、
  助けを求めているのです。
  私たちは本当に心身、疲れ果てておりますけれど、
  子どもたちが助けを求めているあいだは、
  どんなことがあっても、倒れることはできません」。

  皆さん、神様に背いてこの罪の世に閉じ込められている私たち人類
は、悪魔に拉致された人間たちだと言えましょう。ここから抜け出ようと
しても、自力では出られないで、悶え苦しむのです。しかし、イエス様が
横田さんに優るとも劣らない切実な愛をもってこの世に来て、殺されても復活して天に帰り、聖霊を送って私たちを慰め、強め、天国に連れ帰る約束をして下さいました。だから、私たちはイエス様を信じるのです。

ホームレス中学生の希望
  「ホームレス中学生」という本を出した田村 裕(ひろし)君は、中学二年生の一学期が終った日、家に帰ると家具に全部「差し押さえ」の紙が貼ってあり、父親が学校から帰ってきた三人の子を前にして言いました、「ご覧のとおりです。これからは各々頑張って生きてください。解散!」
と。それっきり父親は足早にどこかに立ち去りました。あとに残された大学一年の兄と、高校3年の姉と、中学二年の裕君はホームレスになりました。裕君は兄と姉の重荷になるまいと決心して、公園の滑り台のドカンの中に寝ることにしました。お腹が空いて、空いて、雑草も食べたし、段ボールも食べたが、やりきれなくなり、兄が働くコンビニの中に忍び込んでパンを盗もうとしたけれども、その時、ガンで亡くなったお母さんの顔が心に浮かんだので、危うく思い留まりました。お母さんが止めてくれた。
お母さんが守ってくれた。  
  「本当に死ぬかもしれない。神様は何をしているんだ。中学生がこんなに飢えているのに」と人生の無情さを恨みながら公園に帰りました。しかし、神様はちゃんと僕を見てくれていた。奇跡が起きた。  
  その時、公園でパンの耳を餌として鳩にあげているおじさんがいました。 「すいません。その餌、少しでいいのでわけてもらえませんか」
おじさんが快くわけてくれたので、「いただきます!」と言って自分の口にパンを放り込んだら、おじさんがびっくりして、残った何本かの耳を全部くれてどこかに去って行きました。
  それからひと月、落ちているお金を捜して歩いていた時、クラスメイトの川井よしや君に出会い、川井家の家族同様にしてもらいます。それから、それと、神様の助けは現れて高校にも進学し、卒業後「吉本芸能学院」というお笑いタレント養成所に入りました。彼は目的通りお笑い芸人になると同時に、この「ホームレス中学生」という本を出したら、百万部以上も売れて印税が入り、行方不明であったお父さんも見つかって、皆で一緒に住もうという希望も出てきたそうです。

神様の家族愛
  皆さん、わたしたちはみな父なる神様の子どもたちなのです。あなたを見守る天のお父様も、長兄である救い主イエス様も、天国の兄弟姉妹、天使たち、地上に住む人々も神様の家族です。私たちは永遠の大きな、大きな愛に包まれていることを信じ、イエス様の救いを信じて生きてゆこうではありませんか。                          アーメン

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