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                                       2008/12/21 クリスマス礼拝説教
  太陽と月と星

   マラキ4:1〜3
   黙示録12:1〜6
   マタイ2:1〜12                  皆川尚一牧師
星としてのキリスト
1 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったと
  き、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。
  わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきまし
  た」。
3 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々も
  みな、同様であった。
4 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリスト
  はどこに生まれるのかと、彼らに問いただした。
5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこう
  しるしています、
6 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も
  小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラ
  エルの牧者となるであろう』(ミカ5:2)」。
7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現われた時につい
  て詳しく聞き、
8 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを
  詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行く
  から」。
9 彼らが王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星
  が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまっ
  た。
10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏
    して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物を
   ささげた。
12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の
   道をとおって自分の国へ帰って行った(マタイ2:1〜12)。


  第1〜2節の東から来た博士たちというのはペルシャの博士たちのことです。彼らは占星術を研究していました。その占星術というのは天体を観測して星や星座の運行を予測し、地球上の人間の運命を知るという学問です。シュタウファーというドイツ人の聖書学者の「イエス」という本によれば、イエス様がお生まれになったころの星座や星の運行については、「シバルの星暦」という古代のくさび形文字で記された粘土板に正確に記載されているそうです。それによると、博士たちの言う「ユダヤ人の王として生まれた方の星」とは、木星のことです。博士たちは魚座の中でパレスチナの星である土星と、世界の支配者の星である木星とが紀元前7年に異常接近するのを見て、世界の救い主キリストとしてユダヤ人の王が生まれるのを確信したらしいのです。
  星としてのキリストの出現についての預言は民数記の中に出ています。「わたしは彼を見る、しかし今ではない。わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。ヤコブから一つの星が出、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、セツのすべての子らの脳天を撃つであろう」(民数記24:17)とあります。

太陽としてのキリスト
  しかし、マラキ書には「太陽としてのキリスト」の預言があります。
「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽くして、根も枝も残さない。しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の下にあって、灰のようになると、万軍の主は言われる」(マラキ4:13)。  
  つまり、太陽としてのキリストの栄光は神に逆らう悪人にとっては裁きであるが、神に従う義人にとっては癒しと命の力となるわけです。  
  けれども、今から約2千年前に人間イエスとしてこの世に受肉されたキリストは強烈な裁き主ではなく、優しい癒し主、救い主として現れました。
  《ヨハネ福音書1:9》にこうあります、「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた」と。この光とは、「太陽」の光です。イエス様はどんな人でも安心して近づくことが出来る柔和な「赤ちゃん」となってお生まれになりました。「イエス」とは「主は救い」という意味です。太陽としてのキリストは信じる人を暖かく照らし、すべての闇の力、悪魔・悪人の力からわたしたちを救い出し、守って下さる愛の神様です。

太陽と月と星
 次に、《ヨハネの黙示録第12章1〜18》を見てください。
  「また、大いなるしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に12の星の冠をかぶっていた。この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現われた。見よ、大きな赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落とした。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたなら、その子を食い尽くそうとかまえていた。女は男の子を産んだが、彼は鉄の杖をもってすべての国民を治めるべき者である。この子は神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。女は荒野へ逃げて行った。そこには彼女が1260日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。〜中略〜龍は女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持って いる者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。そして海の砂の上に立った」。
  この章には、太陽と月と星とが一人の女を支え、守り、そして輝かせています。
  この女とは誰でしょうか? この女には三重の意味があります。聖母マリア、キリスト教会、そしてキリスト者です。女の産む子はイエス・キリスト、そして、キリスト者です。
  また、大きな赤い龍は悪魔・サタンであって、マリアとイエス・キリストとキリスト者を滅ぼそうとして付け狙い、襲いかかる闇の勢力です。
  この世には龍や蛇に象徴される悪魔・サタンの勢力が悪人たちを使って神様のみわざを妨害し、破壊しようとして働いています。
  先ず、イエス様がお生まれになった時、ヘロデ王という権力者を使ってサタンはイエス様を殺そうとしました。しかし、神様は天使を通してヨセフに夢で危険を知らせ、エジプトへ逃げるように命じました。女が荒野に逃げたというのは、その事を指しています。
  また、サタンはヘロデ王や総督ピラトや大祭司等の権力者を使って、イエス様を十字架にかけて滅ぼそうとしましたが、イエス様は死にもサタンにも勝利して復活し、父なる神様によって天の王座に引き上げられました。「その御座のところに引き上げられた」(5節)とはその意味です。
  次にサタンはこの2千年間、キリスト教会を攻撃し続けて来ました。教会は天にいます主イエス・キリスト様を頭とする聖なる神の子たちの霊的共同体ですが、体は地上にあってサタンの妨げや攻撃を受けています。生まれたばかりの信徒が、アッという間に悪人どもやサタンに食べられてしまうことが、しばしばあります。しかし、恐れることはありません。神様はある時は太陽として、またある時は月として、また別の時には星として、わたしたち神の子らを助け、導いて下さいます。同じ神様の愛が、どうしてそのように変化するのでしょうか?
  それは、神様の愛が変るからではなく、神様に対するあなたの愛の変化によるのであります。

あなたを守る神の愛
 ある人はこの三つを信仰の三つの度合い(レベル)を表わすものだと説明しています。すなわち、
  もし、あなたが神様の燃えるような愛に応えて、燃えるような愛を捧げるならば、太陽のように輝く第3天界に生きる人となるでしょう。
  また、もしあなたが人間同士の慈愛と信仰に生きることを喜ぶ人であるなら、月の光のように輝く第2天界に生きる人になるでしょう。
  また、もしあなたが聖書の御言葉の知恵と知識によって生きるのを喜ぶ人であるなら、暗夜にまたたく星の光を頼りに、慰められて第1天界に生きる人になるでしょう。

  しかし、黙示録第12章の「太陽を着て、月を踏み、12の星の冠を戴く女」の幻によるならば、この三つは同時に一人の人を支え、養い、生かす3種類の神様の愛であるということが分かります。神様の太陽のような愛はわたしたちを背後から包み、支え、守ります。また、月のように静かな慰めに満ちた愛は、下からわたしたちを強く支えます。星の愛は常に頭上に輝いて前途の希望を保証してくれます。イエス様は「明けの明星」(Uペテロ1:19)とも呼ばれていますが、漢字で明星とは、日と月と星が組み合わさっているのです。どうか、イエス様を心に宿し、頭上に仰ぎ見て、どんな艱難にもめげない、明るい喜びの人となろうではありません
か。                                   アーメン
次回予告 08.12.28  両手に花(箴言3:15〜17)

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