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                                                    2004/04/11の礼拝説教
  三日目に甦る

   ルカ24:1〜9
   ホセア6:1〜3
   Tペテロ5:6〜10                皆川尚一牧師
週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、
墓に行った。ところが、石が墓からころがしてあるので、
中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。
そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、
彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、
このふたりの者が言った、
「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。
そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。
まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを
思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、
十字架につけられ、そして三日目によみがえる、
と仰せられたではないか」。そこで女たちはその言葉を思い出し、
墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、
その他みんなの人に報告した(1〜9節)。

三日目に甦る
 主イエス様は弟子たちに予告された通り、死後三日目に甦られました。三日という数には、文字通り「三日」という意味と、「非常に短い期間」
という意味とがあります。
「しばらく」とか「間もなく」とか言いかえられるわけです。

 聖書の中から、いくつかの例をあげてみましょう。

(1)≪列王下20:4〜5≫ イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、
『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を
聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。
三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。〜』」。

(2)≪ホセア6:2≫ 主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、
三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。

(3)≪ヨナ1:17≫ 主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。
ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。
(ヨナは四日目に吐き出されました。)

(4)≪ルカ18:32〜33≫ 「人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、また、むち打たれてから、
ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。

 こうした実例の中で、最も目ざましいのは、主イエス様の甦りです。
イエス様は父なる神様の御旨に全面的に従って、全ての人の罪を負い、十字架の上で贖いの死をとげられました。それゆえに神様は御子イエス様を墓の中に捨ておかれず、死後三日目によみがえらせて、イエス様こそ万民の救い主キリストであることを天下にお示しになったのです。

わたしたちも甦る
 主イエス様の肉体は、墓の中で霊の体に変えられて永遠の生命に
よって生きるものとされました。その変化はすでに肉体の中に秘められていましたから、イエス様は生前マルタに対して、こう言われたのです。

「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、
たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、
いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」(ヨハネ11:25〜26)。

 マルタはこれに対して、「主よ信じます。あなたがこの世に来たるべき
キリスト、神の御子であると信じております」と立派に答えました。
この後で、イエス様はマルタの兄のラザロを死から甦らせておいでになるのです。ラザロは、また死ぬ肉体へと生き返ったのですが、
主はわたしたちを永遠の霊体へと甦らせて下さるでしょう。

* ここでわたしは友人のHさんの見た夢をご紹介したいと思います。  Hさんは自分の死後の光景を夢で見ました。「私は大きな宇宙船のようなものに乗っていました。遠くに燦然と輝く都が見えます。そこが目的地でした。しかし、最初に着いた場所は予想外でした。黒々とした果てしない海が広がっていました。そこは光の射さない世界です。死者はロボットのような姿の情け容赦のない鬼によって、鎖につながれて、丸木船にたった一人で乗り込み、夜の海に船出していました。身震いする光景でした。
 そのとき、天から声がしました。「見なさい。逃れる道があります」。
見ると、もうひとつの世界が右に広がっていました。そこは左の世界とは対照的な、海のない白い砂浜です。上空は白い霧でおおわれて、
清い光があちこちから漏れて、世界全体を明るく照らしていました。
 さて、砂浜には死者が裸でうつぶせになって一列に横たわっていました。この人たちは死んでいるように見えましたが、体は腐敗していなくて、
白くきれいでした。それから、イエス・キリストを見ました。主は二人の
付き人とともに向こうにおられて、死者を一人一人抱きかかえ、み口を
もっていのちの息を死者の口から吹き込まれています。人口呼吸のような感じ。すると、死者はよろこびの中で息を吹き返し、まったく新しい命によみがえりました。よみがえった人は、真っ白な衣を着せられて、付き添いの天使とともに、幸せそうに、白い密雲の中に昇っていきました。
 このとき、ひとりの人が死者の列の中に割り込もうとするのをみました。このひとはすでに横たわっている死者とは違い、生きていましたので、
しんだふりをして、うつぶせになっていました。その人の番がきました。
「先生、次はあの人の番です」と弟子。しかし、イエスはその人の背後に来られると、「愚か者よ」とひと声かけて、行ってしまわれました。その人は驚き、「なぜですか」と訴えました。主は言われました、「あなたが私にしなかったことを、どうして私があなたにできますか?」一陣の風が吹いて、聖書のみことば、「そのように、これらの小さき兄弟のひとりにしなかったのは、私にしなかったのです」。小さな兄弟たちとは、主のみ前に
横たわっている死者でした。

この世での準備
 この人の夢を通しても教えられるように、死後の永遠の生命へのよみがえりの準備は、この世において行われるのです。

 先ず、第1に、主イエス・キリスト様を信じ、罪を赦され、
イエス様と一つに結ばれることです。
それにより、絶大な愛と平安に包まれ、満たされることが出来ます。

 第2に、聖霊で満たされ、いつも自分の内側に主が住んでいて
下さることを実感することです。

 第3に、身のまわりの人々を愛し、出会う人に親切にすることです。   

 この三つのことは、祈ることによって実現し、発展します。祈りの中で、
わたしたちは自分がすでに天国にいることを知るのです。いつ死が訪れても、恐れることはありません。苦しみは束の間で、わたしたちは自分を迎えに来てくれた主イエス様や天使たち、さきに死んで天界に迎えられた肉親や親しい聖徒たちに会うでしょう。

 この世にいる間に、イエス様に似た美しい霊魂になるように清められ、高められことを願って、あらゆる機会を利用して努力するならば、その心は死後の霊界において清らかな活ける水の中で自由に泳ぎ、強められ、新しくされ、純化され、栄化されて天の栄光の中へと入ってゆき、主イエス様や聖徒・天使らと共にいつまでも幸せに生きて行くでしょう。 アーメン

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