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                                                    2005/05/29の礼拝説教
  神霊の不思議

   ヨハネ3:1〜8
   出エジプト3:1〜6
   エペソ5:15〜21                 皆川尚一牧師
神霊の好む人
 ヨハネによる福音書第3章にはニコデモという人が登場します。
この人物はユダヤ人の宗教指導者なのに霊の事柄については
何も知らなかったようです。

 それは、「新しく生まれる」とか、「神の国を見る」とイエス様から言われると、この世の現象かと思って、とんちんかんな質問しか出来ませんでした。霊の事柄は神の霊に触れられることによって、初めてわかるものだからです。そこでイエス様は言われました、

「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、
神の国にはいることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである」(ヨハネ3:5〜8)。

 この霊とは、「神霊」のことです。神霊といっても聖書をとおしてご自身を啓示された、宇宙の造り主である神様の霊であります。
神霊は、聖書では「聖霊」とか、「神の御霊」と呼ばれていますので、
ここからは聖霊という言葉を使います。

 聖霊は空気のように見えませんがすべてのものを包み込んでいますから、わたしたちは知らず知らずのうちに、その命を呼吸して生かされているのです。

 でも、それがわかる時があります。それは風が吹く時に空気があるとわかるように、聖霊があなたに触れ、あなたに働きかけてくる時にわかるのです。イエス様は「風は思いのままに吹く」と言われましたが、文語訳では「風は己が好むところに吹く」と訳しています。この方が原意に忠実だと思われます。つまり、聖霊はご自分の好む人に働きかけるわけです。
では、どういう人が聖霊の好む人かといえば、低い心の人でしょう。
それは風を見れば分かります。風は高いところから、低いところに向かって吹き下ろします。高気圧から低気圧に向けて風が吹き下ろすように、聖霊は心を空しくして神を求める人に触れて下さるのです。
イエス様が「心が渇いた人はわたしの許に来て命の水を飲め」と言われるのも同じことです。また、神の霊には意志があって、ある人に使命を
授けるために訪れる場合もあります。

ある聖霊体験
 聖心女子大の日本文学の教授であった鈴木秀子シスタ一の体験談はその良い実例でしょう。奈良での国文学会に出席するために、その前夜、奈良の修道院に泊めてもらいました。元宮家の別荘で普通の倍くらいもある天井の家に建て増しされた二階でしたから、その分階段も高く、
急な造りになっていました。あまり寝付かれなかったので、夜中に起きだして真っ暗な廊下をそろそろとつたい歩きして行くと、突然床が無くなっていて、急階段を上から下まで転落し気を失ってしまいました。

 ふと気がつくと、鈴木さんのからだは空中に真っ直ぐ直立して浮かんでいて、もう一人の自分が高いところからそれを見ているのです。空中に
浮かんだからだの足元を蓮の花びらが包んでいましたが、その花びらが一枚ずつ散るごとに自分が一つひとつの苦しみから解放されて自由になって行くのがわかりました。限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。最後の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔して、見ている
自分と見られている自分とが一つになりました。すると、一瞬のうちに
高さの極みに飛翔し、今までに見たことも無い美しい光に包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で自分と交流している生きた光でした。これが至福なのだ、これが自由なのだと感じており、五感も思考も冴え渡っています。この冴え渡った意識の中で彼女ははっきりと理解したのでした。

 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、
理解され、受け入れられ、許され、完全に愛しぬかれている、
これが愛の極致なのだ」と。

 その時、主が「現世に帰りなさい」と言われ、「現世に戻ったとき、一番大切なのは、知ることと愛することだ」と言われました。気がつくと鈴木さんは奈良の修道院のベッドに寝かされていました。傷は肋骨に軽くひびが入った程度で、体中が打ち身で痛みましたが、窓を開けると自然界の美しさに包まれ、大宇宙と一体であるという高揚感が魂の深みにまで
しみとおったそうです。その結果長い間の膠原病がすっかり治ってしまいました。そればかりか、他の人の病気を癒す力が現れはじめました。

燃えるしば
 アメリカの作家、リチャ一ド・モ一リス・バックは「宇宙意識」を、
自分が現実に感じたときの体験をこう語っています。

 「ある夕べ、家路をたどっているときのことだった。
気がつくと、炎のような色をした雲に周囲が包まれていた。
突然何の前ぶれもなく、その現象は起り、一瞬、どこかすぐそばで
大火事でも起きたのかと思ったほどである。つぎの瞬間、その火事は
自分の中で起きているのに気がついた。たちまち、からだの底から
湧きあがってくる喜びの感覚に貫かれた。それと同時に、形容しがたいほど自分が啓蒙され、真実を掴んだことが分かった。

 宇宙は生命のない物質で成り立っているのではなく、逆に一つの命
ある「存在」、一つの生命体だと気がついたのである。うちなる永遠の
生命を意識するようになったわけだ。それは、いずれ永世にいたる
ということではなく、すでに今、永遠の生命を自分のものにしてるという
意識である。人間はみな不死だと気づいたのだ」と。

 旧約聖書に出てくるモ一セはシナイ山の中腹で「燃えるしば」を見ました。いくら燃えても燃え尽きない不思議なしばでした。それは聖霊の火で燃えていたのです。その火を見たときから、彼の中に聖霊の火は燃え上がり、彼はその炎に包まれた人になったのです。彼はその両足から靴を脱いで、自分を神様に明渡しました(出エジプト3:1〜6)。
モ一セも「燃えるしば」になったと言えるでしょう。

 あなたも、わたしも、神霊の火に燃やされて「燃えるしば」になることが出来ます。人間は肉体だけの存在ではなく、その本体は霊魂であります。そして霊魂こそ神様と一つに調和できる性質を持っているのです。
あなたがここに来てこの話を聞いたのは、モ一セが燃えるしばに
近づいたのに似ています。あなたも神の炎で燃える人になるでしょう。
あなたの人生はもっと高い次元へと導かれて行くでしょう。
そして神霊の不思議の素晴らしさをもっともっと知り、神と人とに愛され、愛する人になるでしょう。                       アーメン

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