トップページ >> 説教 >> あなたも神の子
                                                    2003/12/21の礼拝説教
  あなたも神の子

   Tヨハネ3:1〜3
   創世記1:26〜28
   ヨハネ14:18〜24                皆川尚一牧師
わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を
父から賜わったことか、よく考えてみなさい。
わたしたちは、すでに神の子なのである。
世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。
しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。
彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものと
なることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。
彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする(1-3節)。

神の子と呼ばれる
 「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を
父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、
すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、
父を知らなかったからである」(1節)。

 今日はクリスマス礼拝を神様にささげる日です。クリスマスは神の独り子が肉体を取って、人間イエス・キリストとなって、この地球上に生まれて下さったことをお祝いする祭りです。神の御子がこの世に降って来られた目的は、神様に背いて罪人となった人々を救って「神の子」と呼ばれる人にするためです。

 この「呼ばれる」というのは意味深長な言葉であります。それまでは
「罪人(つみびと)」と呼ばれていたあなたが、「神の子」と呼ばれるようになったというわけですから、実に深刻な意味がこめられているのです。
そう呼ばれるようになった背後には、宇宙よりも偉大な天の父なる神様の大きな大きな愛がある。その偉大なお父様のあなたに対する量り
知れない御愛を考えて見たい。深く深く考えて見たいと思います。

罪人の道
 聖書の開巻第1ページには創世記という書があって、ヘブライ語で
「ベレシート」と呼ばれていますが、これは「初めに」という意味です。
その中で大変重要なことは、天地創造の初めに、神様はご自身のかたちに似せて人を造られたということです。これは人を神の子として産んだという意味です。なぜなら、創世記第5章でも同じく、「神は人を神にかたどって造った」と記したあとに、「アダムは130歳になって自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた」(5:3)とあるからです。神様は父・子・聖霊なる三位一体のお方ですから、御父が御子を通して、あるいは御子にあって、御子のためにすべてをお造りになったとコロサイ人への手紙1章15〜17節に記されています。そして
「よい子が生まれた!」と言って人を見て祝福して下さったのです。

 ところが、その「よい子」であったアダムとエバがある日エデンの楽園で蛇(サタン)にだまされて禁断の木の実を食べてしまいました。そして、
神に背いた罪を悔い改めなかったので、エデンの園から追い出され、
神に背く罪の心や衝動がアダムとエバから子々孫々の末に至るまで
DNAを通して遺伝して来ました。それで、わたしたちもそういう罪悪や
汚れを受け継いでいるのです。これが罪人の道です。だから、だれでも生まれながらの人は、無条件で「わたしは神の子ですということが
できません。人は本当は生まれながら神の子」であるはずなのに、
「神の子です」と言い切れない。「罪の子です」と言う方が正直だと、
わたしは小学校6年生の時、身にしみてそう思っていました。
17歳の頃には、世の中のために死んだ方がよいと思いました。

* クリスチャン詩人の八木重吉の詩にこういうのがあります。
 こころに 憎しみのないひとこそ
 とうとくも おごそかだ
 わたしには それが できない
 あのひとの このひとの
 みにくさを にくまずには いられない
 わたくしみずからの みにくさを
 のろう
 ただ − にくみながら のろいながら
 しらんふりして わらっているのだ
 これが わたしの ベストなのだから
          *
 わたしのあさはかさ
 わたしのふがいなさ
 わたしのちからよわさ
 だが これらをわたしが
 もっているとしたら
 これらをもってうまれた必然性が
 ないだろうか
 これらすべてがいつの日か
 かけがえのない機縁となって
 わたしを あの空へ
 つれていってはくれないだろうか

救いの道
 そうです。このふがいない、みにくいわたしを、あの空へ連れて行くために、永遠の御子がみ空の彼方から降って来てくれたのです。イエス様は言われました、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて
悔い改めさせるためである」と(ルカ5:31〜32)。

 救われるのは難しくありません。ふがいなく、みにくく、のろわしい、
ありのままの自分をイエス様の愛の御腕の中に委ねれば良いのです。
このキリストの愛にとびこむ、かけがえのない機縁が、あなたの罪と
汚れとのろわしさでもあるのです。

* 女優の黒柳徹子さんの書いた、「窓際のトットちゃん」という本があります。「トットちゃん」こと徹子さんは公立の小学校で持て余された
「変な子」でした。机のふたが珍しくて、ひんばんに開けたり、閉めたり、窓際に立っていてチンドン屋さんを校庭に呼びこんだり、軒下の巣の
つばめに大声で話しかけたり。それが授業中のことなので、授業が成り立たないと、退学させられてしまいました。お母さんは困って、私立の
トモエ学園に入れました。全校生徒50人の学校で一年生は9人でした。
その学校の校長先生は、面接のときにお母さんに帰ってもらって、
「さあ、何でも話してごらん、話したいこと全部」と言ってくれたので、
午前8時から正午まで4時間もおしゃべりしました。入学してから、
校長先生は、トットちゃんを見かけると、いつも言いました。
「君は、本当は、いい子なんだよ!」トットちゃんは相変わらず、よいこともしたし、人に迷惑をかけることもしました。苦情も沢山、校長先生の
ところにとどいていたのです。だから、校長先生は機会のあるごとに、
「君は、本当は、いい子なんだよ」と言ってくれたのです。トットちゃんにはまだ、「本当は」の大きな意味がわからなかったのですが、この言葉は
トットちゃんの一生を決定したかも知れない大切な言葉でした。

あなたも神の子
 天の父なる神様は、トモエ学園の校長先生のような救い主
イエス様をこの世に送って下さいました。イエス様はわたしたちに
「あなたも、本当は、神の子なんだよ!」と語りかけてくれます。
イエス様の大きな愛に包みこまれて、聖霊の愛と喜びで心を満たされるとき、自分への呪いが消えて、自分を祝福してやりたい気持ちが
湧いて来ます。

* 八木重吉の詩にこういうのがあります。
  「おおぞらのこころ」
  わたしよ わたしよ
  白鳥となり
  らんらんと透きとおって
  おおぞらを かけり
  おおぞらの うるわしい心に 流れよう

 イエス様の愛に包まれ、聖霊の力にもちはこばれてゆくうちに、白鳥のように美しくらんらんと透きとおった霊魂となって、あの空へとかけって
行けるようになるでしょう。そして、知らない間にイエス様に似た、
輝く魂となっていて、イエス様にお会いする日が来るでしょう。  アーメン

トップページ >> 説教 >> あなたも神の子