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                                            2007/4/24の礼拝説教
  私は主を見た

   ヨブ19:25〜27
   Tペテロ1:3〜9
   ヨハネ20:11〜18                皆川尚一牧師
マグダラのマリヤは主を見た
 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。イエスは彼女に、「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。マグタラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した(ヨハネ20:11〜18)。


  マグダラのマリヤはイエス様のお墓の外で泣いていました。それは、お墓の蓋になっていた大きな重い石が取り除けられていて、中にはイエス様の亡き骸をくるんだ麻布だけが残っていたからです。だれかがイエス様を持って行ってしまったと思うと悲しくてたまりませんでした。
 すると、背後で優しい声がしました、「女よ、なぜ泣いているのか」。マリヤは園の番人だと思って泣き続けていると、「ミリアム」とイエス様が呼びかけました。彼女はハッと気がついて「ラボニ」と叫んでイエス様にしがみつこうとしました。しかし、イエス様はそれを止めて言われました、「わたしにしがみついてはいけない。私はまだ天に昇って行く途中なのだ。ほかの人たちにわたしを見た事を伝えなさい」と。

わたしは主を見た
  そこで、マリヤは弟子たちの隠れ家の走っていって、「わたしは主を見たわよ」と知らせました。マリヤの心は悲しみのドン底から浮かび上がって、天に昇る喜びに踊っていました。甦られたイエス様はただの幻影ではなく、幽霊でもなく、昇る太陽のように輝かしく命に満ちていました。
 その日の午後にエマオの村に行くイエス様の叔父のクレオパとその子シメオンにもイエス様が現われました。それから、シモン・ペテロにも現われ、ほかの使徒たちにも現われました。こうして、500人以上の弟子たちが「わたしは主を見た」と言って喜びました。一人、二人が言うのでしたら、「それは気のせいだよ」と言って否定することが出来るでしようが、500人以上の人が「わたしは主を見た」と証言しているのですから、だれも否定することは出来ないでしょう。そして、イエス様を見た人は皆良いほうに変わります。

キリストの内住
  なぜでしょうか。それは昇天されたキリストは天の王座におられると同時に、信じる者の内側に住んで下さいます。これをキリストの内住と言うのです。イエスの御霊がわたしたちの霊魂と一つになって、共に生きて下さるのです。そして、必要に応じて色々な姿で現われたり、語りかけてくれたりします。例えば、罪に悩む人には十字架にかかったままのお姿を見せたり、あるクリスチャンの中に宿るイエス様を感じさせたり、白い衣を着てニコニコ笑っているお顔を見せたり、姿は見えないけれど確かに話しかけてくれたりします。とにかく自由自在なのです。

 皆さん、わたしたちも復活の主イエス様を心に受けいれて、「わたしは主を見た」と告白して人々に永遠不滅の命と喜びを証しして行こうではありませんか。   アーメン

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