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                                                  2001年12月2日の礼拝説教
  孤独と不安の救い

   ヨハネ16:29〜33
   列王上19:1〜8
   Tコリント2:1〜5                 皆川尚一牧師
二つの恐怖心
  イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。
  見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、
  わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。
  しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒に
  おられるのである。これらのことをあなたがたに話したのは、
  わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、
  この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。
  わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:31〜33)。

 人間には生まれつき二つの恐怖心が宿っていると言われます。即ち、一つは、高い所から落ちる恐怖。今一つは、捨てられる恐怖です。例えば、子供は夢の中で高い所から落ちて、ビックリして目が覚めることが
あります。また、夜まっくらな部屋でなかなか眠れないのは、父や母から捨てられるのではないかという孤独と恐怖を宿しているためだと心理学者は言うのです。 これが大人になってくると全ての恐怖の根となっていて、ここから色々な恐れが生じて来ます。仕事が失敗に終わるんじゃないか?試験に落ちるんじゃないか?いつかは夫に捨てられるんじゃないか?と恐れることから、恐れていることがその通りになって行くのです。
 こうした不安は、いわれのないものではありません。人間だれしも絶対的に当てになる人はいません。どんなに愛し合っていても魔がさして、
時には裏切ることがあるかも知れない。また、どんなに永く生きていたいと思っても、死は容赦なく訪れます。そして、わたしたちは愛する者と
別れて独りで死のトンネルや谷間の道を通って行かねばなりません。
人間というのは根本的にどんな人間にも頼れない存在なのです。ましてお金や地位や学問や名声もこの世のどんな楽しみも一時の拠りどころでしかありません。聖書の中に有名な一句があります。一日のうちに
全財産を失い、10人の子を失ったヨブの言葉。

 「われ裸にて 母の胎をいでたり
 また裸にて 彼処(かしこ)に帰らん。
 主あたへ 主取りたまふなり
 主の御名は  讃(ほ)むべきかな」
  (ヨブ記2:21)

しかし、<裸でこの世に来て、また裸でこの世を去って行く>この絶対的な孤独を真正面から見つめて不安におののかない人がいるでしょうか?
恐れていない人 それがいるんですね、恐れていない人が。絶対的な
孤独の中で平安と勇気に満ちている人。イエス・キリスト様です。十字架の死の前夜「牢獄にまでも死にまでも、ついて行きます」と誓った舌の根のかわかぬうちに、弟子たちは逮捕されるのを恐れ、イエス様を見捨てて散り散りになって夜の闇の中に逃げ去りました。イエス様は敵の手の中にひとりぼっちで残されました。イエス様はそのことを既に見通して
おられたのです。しかも、平安と勇気とに満ちておられたのは、
なぜでしょうか。イエス様のお言葉でそのわけがわかります。

 「しかし、わたしはひとりでいるのではない。
 父がわたしと一緒におられるのである。
 これらのことを話したのは、
 わたしにあって平安を得るためである。
 あなたがたは、この世ではなやみがある。
 しかし、勇気を出しなさい。
 わたしはすでに世に勝っている」  (32〜33節)

 ここで言う「父」とは、「父なる神様」のことです。イエス様は天界において永遠に父なる神と一つになっている子なる神です。しかもすべての
天の栄光を捨てて、この罪の世に下って来て肉体を持つ人間となっても、イエス様は父の愛のふところに抱かれていると実感しておられました。この目に見えない霊の現実と実感とが、見える現実よりも強い平安と
勇気の源泉だったのです。ある人は反論して言うでしょう。
「それは神の御子イエス様だから出来たことであって、
我々凡人には出来るはずがない」と。
 でも、それは間違いだと思います。なぜならここで、イエスさまが弟子たちにもできると言われたからです。どうしたらできるのかというと、「わたしにあって平安を得る」という、これがキーワードです。「イエス様にある」とは、「イエス様に抱かれて一つになる」ということです。それは霊の関係であります。つまり、父の霊がイエス様をいだき、イエス様の霊がクリスチャンをいだくのです。それは聖霊でつつまれ、聖霊で満たされるということです。イエス様は聖霊でつつまれ、聖霊で満たされていたから、平安と
勇気を持つことができました。ですから、イエス・キリストを信ずるクリスチャンも聖霊で満たされることによってそうなるのです。聖霊はイエス様からあなたに与えられる最高のプレゼントです。
 * 熊本大学の工学部を卒業した島田さんという青年が、米国のニューヨークに行きました。そしてニューヨークの下町に住んでいる年とったアメリカ人の婦人伝道師を訪ねました。彼女は「ちょっと町を巡回してくるから、あなたも一緒に来ませんか」と誘ったので、島田さんがついて行くと、町の裏通りのあちこちに仕事がなくて、ぶらぶらたむろしている黒人や
プエルトリコ人の男たちがいて、恐ろしくて恐ろしくてたまらなかったのです。伝道所に帰ってから島田さんがたずねました。
「あなたはどうして、こわくないんですか?」すると逆におばちゃんの
伝道師が問い返しました。「あなたはなぜ、こわいんですか?」と。

世に勝っている
 イエス様は、「わたしはすでに世に勝っている」と言われましたが、この婦人伝道師も、「イエス様に在って」世に勝っている人だったのです。
ここで、注意深くイエス様のお言葉に目を留めて見ましょう。イエス様は、
「世に勝っている」と言われます。しかし、大抵の人は「この世で勝つ」ことを求めているのではないでしょうか?つまりこの世で成功することが人生の目標なのです。それは飽くことのない努力と他人との競争ということになります。一流の幼稚園→一流の小学校→一流の中学→一流の高校→一流の大学→一流の会社→重役→社長→会長とピラミッド式に目標が積み上げられて行きます。エリートコースに乗った人は成功者と呼ばれ、そのコースに乗れなかった人は、あきらめてウダツの上がらない人生を送り、劣等感をいだきます。世に敗れた人は挫折感からノイローゼや
ウツ病になり、自殺に追い込まれる人もあります。世で勝つことを求めた人の大部分が、この世で敗れる結果になるわけです。

孤独と不安の救い
 だから、皆さん!大切なことは「この世で勝つ」ことではなく、
「この世に勝つ」ことなのです。この世で何かを他人よりも勝ってうまく
やることではありません。この世で自分の欲望を満足させることでもありません。ただ、神の御心に従って生き、働き、死ぬことが人生の目的
なのです。イエス様を見てください。イエス様はこの世では何の大事業も成し遂げませんでした。一時は多くの人々がイエス様のもとに集まって
大層な人気でしたが、権力者の迫害と弾圧が始まると多くの人々が
イエス様を離れました。イエス様を王様に迎えて革命を起こそうとする人は、イエス様にその気がないのを見て逃げ去りました。イエス様は天の父なる神様の御心に従って、十字架の死を迎えることが全人類を救う道であることを悟って、その道を受け入れたのです。だから、迫害をも死をも恐れませんでした。神様に対する絶対の信頼こそ、わたしたちを孤独と不安から救う力です。イエス様に在って世に勝つ人になりましょう。
                                       アーメン

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