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                                                   2003年6月1日の礼拝説教
  出会いの神秘

   ヨハネ14:9〜10
   ヨブ42:1〜6
   Tヨハネ1:1〜4                 皆川尚一牧師
出会いの神秘
  イエスは彼に言われた、
  「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、
  わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、
  父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、
  言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを
  あなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、
  自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、
  みわざをなさっているのである(9〜10節)。

 ことわざに、「犬も歩けば棒にあたる」というのがあります。「犬もうかうか外を歩いていると棒でなぐられることがある」ということから、「人間だって外に出かけると思いがけない災難に出会う」という意味です。ところがのちになるとだんだん意味が変って、この反対に「意外な幸福に出会う」という意味になって来ました。例えばこんな話があります。
昔、四国の高知教会に松田先生という牧師様がおられて、犬を飼っていました。ある日、いつものように犬に綱をつけて散歩につれて行きました。すると近所の家の門柱のかげに猫の姿が見えたので、犬が猛烈な
勢いで猫におそいかかって行き、余りの強い力に負けて手を離したものですから、逃げる猫を追いかけた犬が庭の盆栽をひっくりかえして、
メチャメチャにしてしまいました。松田先生はそこの家のご主人に平身
低頭してあやまって、その後も菓子折りをもってお詫びに行きましたが、
この出会いが縁となって、その家のご主人もご家族も教会に来てイエス様に出会い、皆救われたそうです。大体ドーナッツ現象といって教会の周囲の人々はなぜか敬遠して集会に出て来ないのが常です。それがこうした犬猫さわぎが縁となってイエス様に出会うというのですから、神様もずいぶん味なお方だ、ユーモアたっぷりのお方だと分かるでしょう。

出会いのかげに神あり
 又、本と出会うことによって神様と出会い、その人の人生が変わるということもあります。わたしは今から11年前にエドガー・ケーシーの
「キリストの秘密」という本に出会って人生が変わりました。
キリストの神秘に深く参入するようになったのです。それで、
一寸この人の話をしたいと思います。
 エドガー・ケーシーは1877年にケンタッキー州のホプキンズビルの農家に生まれ、1945年1月に死んだ人です。7歳の時に近所に住んでいた
黒人の木こりと出会って、この人から聖書の人物の物語を面白おかしく話してもらいました。これはすばらしい出会いの始まりでした。エドガーがあまり聖書の話を夢中になって家族にするので、お父さんは彼の9歳の時に聖書を買って来て与えました。するとエドガーは毎朝早く起きて、近くの雑木林の中で熱心に聖書を読むようになり、13歳までの4年間に旧約から新約の終わりまで13回も通読したそうです。それで彼はイエス様が大好きになり熱烈なクリスチャンになりました。その13歳の時、次の出会いの体験がありました。いつもの雑木林の中で聖書を読み終わって帰ろうとした時、ふと自分の名を呼ぶ不思議な声を聞いたのです。
「エドガー、エドガー・・・・」「こんな所で誰だろう、お母さんかなぁ」そう思いながら声のする方を振り返りますと、そこにはまばゆい光に包まれたひとりの女性が立っていました。その女性は、呆然としているケーシーに、
「あなたの願いを言ってごらんなさい」とやさしく語りかけました。ケーシーは日頃自分が考えていたこと、――イエスさまのように病人や悩める
人々を助ける人になりたい――と答えました。すると、その女性は微笑んで「あなたの願いは聞きとどけられました。その気持ちをいつまでも持ち続けていなさい」というと彼の目の前から姿を消したのです。 その後、
ケーシーは物覚えが悪いことで父親にひどく叱られた時、あの女性の
「教科書の上に頭をのせてしばらく眠ってごらんなさい」と語りかける声が頭の中に聞えたので、そのようにしてみました。やがて眠りから覚めたとき、教科書の中身が全部頭脳の中に記憶されているのを知りました。
父親がテストしてみると何でもスラスラと答えが出てくるのです。
 彼の15歳のとき、野球の中でケーシーの尾てい骨にボールがあたり、彼は昏倒し、まもなく立ち上がったのですが、異常な行動をとるようになりました。父親がベッドに彼を寝かせると昏睡したケーシーの口から威厳のある声が出て来て、「この人を救うためには、特別なパップを作って、後頭部に貼ってやりなさい」といわれ、いくつかの薬草をぶつぎりのタマネギに混ぜてパップを作るように指示されたのです。そのようにしてみると、翌朝には全くいやされていました。この経験がやがて他の人々の
いやしへとつながって行くのです。
 ケーシーは20歳のとき3歳年下のガートルード・エバンスという少女と
婚約しました。ケーシーが晩年に語ったところによると、彼らは前世から深い縁で結ばれており、ひとりでいるよりもふたり揃うことによって人生の目的を達成する運命にあったということです。で、もしふたりが結婚しなければ、ガートルードは26歳のとき結核で死ぬことになっており、また
ケーシーは37歳で胃腸の病気が原因で死ぬ運命にあったそうです。
人の一生はこの世に生まれる前、すでに天界で定められているといわれますが、何もかも決定されているのではなくて、大切な出会いを生かして良い選択をすれば良い運命が開けてくるのだと思われます。
人の出会いのかげには神様がおられるからです。

イエス様を見る
 今日、さきほど読んだヨハネ福音書の14章9節にピリポというお弟子さんが出て来ます。この人は3年前にユダの荒野でイエス様と出会いました。そして、イエス様から「わたしについて来なさい」と呼ばれた時、
「この方はメシア(即ちキリスト)だ」と信じて、ついて行き、正式に弟子
入りをしました。イエス様と寝食を共にして3年も過ごしたのに、「わたしたちに神様を見せて下さい。そうしたら満足します」なんて言っている。
イエス様はさぞガッカリされたことでしょう。何のためにキリストの弟子になったのか、神様と出会うためです。3年たっても未だ「神様を見せてくれたら信じる」なんて言っています。何が原因でしょうか?その当時のユダヤ人は律法(トーラー)を学び、実行することに目が行っていたのです。
だから神様に出会えなかったのです。ピリポはただイエス様をじっと見つめることが必要だったのに、目が学問と実践の方に外れていたのです。そこでイエス様は彼に言われました。
「わたしを見た者は、父を見たのだ」と。
 なぜなら、イエス様は天の父なる神様の見える姿だったからです。
ピリポはそのとき、すぐにはその意味がわからなかったかも知れません。しかし、まもなく悟るときが来ました。
 イエス様の十字架の死を見ました。イエス様の復活されたお姿を見ました。40日間も毎日、いろいろな場所で輝くキリストに触れました。そして
イエス様がオリブ山から天に昇って行くのを見ました。それから10日の後に、イエス様から注がれた聖霊で全身が満たされて、イエス様と天の
父様が一つだと悟ったのです。
 ピリポはイエス様と自分とが聖霊によって一体となったことを体験し、
確信しました。そして、ギリシャからスキタイ人の所に行きイエス・キリストの救いをのべつたえて87歳ではりつけにかけられて殉教の死を
とげました。
 最後にクリスチャンの詩人八木重吉の詩にこういうのがあります。

信ずること
キリストの名を呼ぶこと
人をゆるし 出来るかぎり愛すること
それを私の一番よい仕事としたい

 どうか、あなたもイエス・キリスト様との出会いの神秘を
大切にして下さい。                           アーメン

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