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                                                   2007年5月27日の礼拝説教
  聖霊の愛

   イザヤ57:14〜19
   Tヨハネ4:13〜18
   ヨハネ14:25〜27                皆川尚一牧師
使徒とわたしたち
  「これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことで
ある。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいた
ことを、ことごとく思い起こさせるであろう。わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、また
おじけるな」(ヨハネ14:25〜27)。


 今日は今から約二千年前に、初代キリスト教会のクリスチャンたちの上に聖霊が降ったことを記念するペンテコステの日です。
  しかし、過去にどんな素晴らしいことが起こったとしても、今わたしたちがそれを経験できないならば大した価値はありません。そして今、わたしたちも聖霊を経験することが出来ると、イエス様はここで約束しておいでになります。
  イエス様の言う「あなたがた」とは、11人の使徒たちのことですが、
彼らに続くイエス様のすべての弟子たちもふくまれているのです。
ですから、これはわたしたちへのお約束でもあります。

聖霊は助け主イエス
 次にイエス様は、聖霊が「助け主(パラクレートス)」だと言われました。ギリシャ語の「パラクレートス」には「助け主、慰め主、カウンセラー、弁護士」等の意味がふくまれています。これは地上に肉体を持って生活されたイエス様の役目でした。その助け主イエス様が天に帰られると、代わりに「別の(アロス)助け主」が来ると言っておられます。
  「わたしは父にお願いしよう。そうすれば父は別に助け主を送って、
いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である」(ヨハネ14:16〜17)
と。
  「別の(アロス)」というギリシャ語は、「性質の異なる(ヘテロス)」に対して、「性質の同じ別の形の」という意味です。しかもイエス様は「父がわたしの名によって(名において、または、名で)遣わされる聖霊」と言っておられますから、聖霊は「イエス」という名で、肉眼では見えない形でおいでになるわけです。肉体を持つイエス様の代わりに、霊なるイエス様として一緒にいて下さるのが聖霊であります。

 * 昨日NHKのテレビ番組で「百歳万歳」というのがあって、松平定房
   という古武士のような気品のある人物が紹介されました。松平さん
   は漢詩を作ることに生きる楽しみを見出している人です。70年間
   よく自分に尽くしてくれた愛妻を天に送って作った詩に、「今は天に
   おいてまたたく星となった」と謳いました。「もう死んでしまったから、
   肉体と霊が別々になった。ずうっと遠くに離れてしまった」と淋しげ
   に話していました。

  その時、ふと、わたしは思ったのです。「イエス様は復活、昇天して天の彼方に離れてしまうのか」と嘆き悲しむ弟子たちに、『そうではないんだよ。わたしは天の王座に帰ったならば、聖霊としてあなた方と一緒にいて、あらゆる助けと慰めを与え、教えさとし、支え導くであろう』と言われたのだ」と。そうであるならば、イエス様は肉体の中に制限された33年半のご生涯よりも、もっと自由自在になられたわけです。
  「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなた方のところに帰って来る」(ヨハネ14:18)と言われたのは、聖霊としての再来だったのです。ですから「わたしは聖霊だよ」と言わないで、「わたしはイエスだ」と言って語りかけて来ます。また、イエス様が語られると、わたしたちは
「あぁ、イエス様だ」と直ぐに分かります。

内住のキリスト
 わたしが聖霊で満たされることを熱望して40年前に祈り求めた時、
イエス様がわたしの前に臨在して、幾たびもわたしを宙に吊り上げて聖霊で満たして下さいました。その時わたしは罪深いわたしを包み込んで愛して下さる神様の愛を実感しました。それからの日々は、赦し、清め、生かし、高め、教え、導いて下さるイエス様との共同生活でした。イエス様は天の王座においでになると同時にわたしの中に内住して下さったのです。これは聖書に記されている通り、イエス様が約束されたことです。
  「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。
そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」(ヨハネ14:23)。


  *わたしが聖霊で満たされたことを友人の杉本慶次牧師に打ち明けたとき、彼が大きな声で言いました、「皆川君、君ねえ、聖霊の内住を
得たとか、イエス様の内住を得たとか、絶対に言っちゃーいけないよ」と。彼はかってホーリネス派に属していて、その派の牧師たちが聖霊で満たされた体験を誇り、「おれは聖霊の内住を得たが、お前は未だか、熱心が足りんからだ」などと、相手を見下すのをしばしば経験していたからです。それは聖霊体験した人には大切な「自分を誇ってはならない」という戒めであると思います。わたしはイエス様の燃えるような愛に抱かれながら、自分の罪を実感し、神の愛が全ての罪や汚れを赦し、清めて下さることを知りましたから、自分を誇ったり、人を見下したり出来ないことを感じているのだと、杉本牧師に語りました。彼は十数年前に天国に帰りましたから、イエス様と一緒にわたしを見守ってくれていると思います。

聖霊の愛
 次に、聖霊としてのイエス様はわたしたちに内住してどのように愛して下さるのかというと、《26〜27節》では三つのことを言っておられます。
 (1) すべてのことを教える。
 (2) イエス様の教えを思い出させる。
 (3) イエス様の平安を与える。
この三つです。

 (1) すべてのことを教える
  これは、信仰的、霊的な真理を毎日採れ立ての果物のように、汲み立ての真清水のように、心に語りかけて下さるのです。今、心に直接ひらめく真理です。それは人間的な思いつきや、悪魔的な穢れたささやきとは、全く異なるもので、言葉、夢、幻、イメージと様々な方法で語られます。
またある人を通しての預言、知恵、知識の言葉という方法もあります。
信仰のことだけでなく、生活上の知恵、知識全てを教えて下さるのです。
 (2) イエス様の教えを思い出させる   
  これは聖書に記されている御言葉を思い出させるという形です。そのためには聖書を真剣に読むことが必要です。また、読んだ聖句に赤線を引いたりして心に味わい、刻み付けることが必要です。そうしておけば、たとい忘れてしまっていても、必要に応じて天使が記憶から引き出して
教えてくれます。
 (3) イエス様の平安を与える
 聖霊の愛は、わたしたちに燃えるような喜びをもたらします。イエス様を愛したいと思う人は、まずイエス様から愛されていることが分かるように祈ってご覧なさい。そして、次の聖句を読んで見て下さい。  
  「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(Tヨハネ4:10)。
  この聖句を読む人は父なる神様がイエス様を通して自分を愛して下さっていることを知るでしょう。わたしたちはこの御愛に打たれ、感動し、そして信じたのです。わたしはあなたにお勧めします。先ず、徹底的に受身になってこの聖句を味わって見て下さい。自分の罪がわからないならば、神の聖なる御子が十字架について贖いの供え物にならなければならないほど自分の罪は大きいのだと、考えて見ることです。神様の前に謙虚になれば、聖霊によって神の愛があなたの心に注がれるでしよう。そし
て、イエス様に具現された大いなる愛の中に投身するのです。聖霊の愛はいつも激しく燃えてはいませんが、深い深い信頼感を与えてくれるのです。それがイエス様の与える「平安」です。力に満ちた平安です。その中にあらゆる命と発展の可能性を宿した平安です。そして、それが必要に応じて強力な権威と力とを発揮して、人々を助け、癒し、神の業を推進します。どうか、皆さんがこの聖霊の愛を宿す人となるように祈ります。
                                      アーメン

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