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                                                  2002年8月11日の礼拝説教
  永遠に生きる

   ヨハネ11:23〜27
   詩篇90:1〜12
   ローマ11:33〜36                皆川尚一牧師
ラザロの甦り
 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。  
 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、
 存じています」。イエスは彼女に言われた、
 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、
 たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、
 いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
 マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世に
 きたるべきキリスト、神の御子であると信じております」(23〜27節)。

 ラザロが死んだ時、妹のマルタはイエス様をお迎えして怨み言を言いました、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」と。これは愚痴の一種です。マルタは直ぐに気をとりなおして言いました、「しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、
神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」と。
まことに健気(けなげ)な信仰の言葉です。イエス様に対する絶対の信頼によって、マルタは絶望を超えたのでしょう。自分の希望を遥かな未来に起こると言われる「世の終わりの甦りの時」につないだのです。
しかし、イエス様が言われたのは、世の終わりではなく、今、現在の生存についてであります。
 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい
死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも
死なない。あなたはこれを信じるか」。
 マルタはこれに対して、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」と答えました。 これはイエスキリストに対する絶対依存、絶対帰依の信仰です。死んで墓に葬られて
4日も経って臭気を発している兄のラザロがどうなるのか、全く分からないけれども、自分のことも兄のことも主イエス様に全托する。イエス様が救って下さると信ずるのです。
 そしたら、イエス様はラザロの墓に行って、横穴式の墓の入り口に立って、「ラザロよ、出て来い!」と叫ばれました。するとラザロはよみがえり、手足や顔を布で巻かれたまま出てきて、墓の入り口に姿を現わしました。 これは何を意味するのでしょうか。ラザロは肉体的には死んだけれども、その霊魂は生きていたということ。人が生きるのも死ぬのも神の
ご意志とみ言によるのだということ。そして、救い主イエス様を信ずる
人は神のみ許で永遠に生きるのだということです。

海は死にますか
 ところで、死の現実に直面すると人はだれでも絶望的になるのが普通ではないでしょうか?
 *わたしはかって「二百三高地」という日露戦争の映画を厚木の映画館で見ました。強烈な印象を与える作品でした。乃木大将の率いる第三軍が旅順のロシア軍が守る鉄壁の要塞に向かって何度も、何度も決死の攻撃をかけて死んでいきます。見渡す限り死人の山となって行きます。胸が痛み、心がつぶれるような光景です。
 途中の休憩時間の前と最後に、さだまさしの「防人の歌」が流されました。字幕にも出ました。それを見て、歌をききながら、涙がとめどなく流れました。その歌詞はこうです。

 「防人の詩」
 おしえて下さい
 この世に生きとし生けるものの
 すべての生命に 限りがあるのならば
 海は死にますか 山は死にますか
 風はどうですか 空もそうですか
 おしえて下さい

 私は時折 苦しみについて考えます
 誰もが等しく 抱いた悲しみについて
 生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
 病の苦しみと 死にゆく悲しみと
 現在の自分と

 答えてください
 この世にありとあらゆるものの
 すべての生命に 約束があるのなら
 春は死にますか 秋は死にますか
 夏が去る様に 冬が来る様に
 みんな逝くのですか

 わずかな生命の
 きらめきを信じていいですか
 言葉で見えない 望みと言ったものを
 去る人があれば 来る人もあって
 かけてゆく月も やがて満ちて来る
 なりわいの中で

 おしえて下さい
 この世に生きとし生けるものの
 すべての生命に 限りがあるのならば
 海は死にますか 山は死にますか
 春は死にますか 秋は死にますか
 愛は死にますか 心は死にますか
 私の大切な故郷もみんな
 逝ってしまいますか

 海は死にますか 山は死にますか
 春は死にますか 秋は死にますか
 愛は死にますか 心は死にますか
 私の大切な故郷もみんな
 逝ってしまいますか

 さだまさしは、「二百三高地」の主題歌を頼まれて、いくつも迷いが
あったのですが、万葉集の防人の詩に出会った時に、その迷いが
吹っ切れたそうです。それは「読み人知らず」の歌でした。

鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする
死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ

 「海は死にますか 山は死にますか そうですよ 死ぬからこそ
海は潮が引いて 山は枯れるではありませんか」の意でしょう。
この作者も愛しい人が戦死した悲しみに打ちのめされながらも、
潮がやがて満ち、山には緑が帰って来ることを信じているのでは
ないかと思われます。

永遠に生きる
 死の現実は悲しい、愛する人との別離はつらい。しかし、彼らは失われてしまったのではありません。彼らは生きているのです。その霊魂には
望みがあるのです。この世でイエス・キリストに出会って信じた人は幸いです。その人は決して死なないで、永遠にキリストと共に生きることを保証されているからです。しかし、この世でキリストに出会わなかった人々も、陰府において出会うチャンスが恵まれるのです。もし私たちが彼らの
ためにこの世でとりなしてキリストに祈るならば、イエス様は手を差し伸べてくださり、自ら訪ねたり、天使を遣わして、キリストの救いを信じるように告げてくださるでしょう。この世でも、あの世でも、人はイエス・キリストに帰依して永遠に生きる者となるからです。              アーメン

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