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                                                 2001年12月16日の礼拝説教
  老・病・死の解決

   ヨハネ11:17〜27
   ピリピ1:21〜26
   詩篇103:1〜5                  皆川尚一牧師
二つの生き方
  さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに4日間も墓の中に
  置かれていた。ベタニヤはエルサレムに近く、25丁ばかり離れたところ
  にあった。大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、
  マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
  マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、
  マリヤは家ですわっていた。マルタはイエスに言った、
  「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は
  死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても
  神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
  イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
  マルタは言った、「終わりの日のよみがえりの時よみがえることは、
  存じています。」。イエスは彼女に言われた、
  「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、
  たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、
  いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
  マルタはイエスに言った、
 「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、
  神の御子であると信じております」(17〜27節)。

 この人生には、二つの生き方があります。一つは永遠の死に向かって進む生き方、今一つは永遠の命に向かって進む生き方です。
 これを今、列車にたとえますと、並行して走る二組のレールの上を、
二本の急行列車が互いに逆方向に走るのに似ています。下りは永遠の死に向かう列車で地獄行きですが、上りは永遠の命に向かう列車で天国行きです。そして、私たちはこのどちらかの列車の乗客となっているのです。今少し正確に言えば、私たち全ての人間はみな生まれながらにして死に向かう下り急行列車に乗っているのであって、途中どこかの駅で
上りの天国行きに乗り換えない限り、どんどん地獄に向かって時々刻々近づいていくことになります。これについて聖書はこう言っています。

「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが、
人間に定まっている」(へブル9:27)。

 この人生の特色は、だれもが老・病・死という三つの重荷を背負っていることであり、この人生の三大問題は全部「死」につながっているので
一括して扱うことができるでしょう。  幼少年時代には、「小さい」と言われると早く大きくなりたいと願います。青年時代には、「若い」と言われるとしゃくにさわりますが、50歳を過ぎると「若い」と言われるのがうれしく
なってきます。それは自分がだんだん老いて行くことが感じられるから
です。しかし、「老い」は容赦なくやってきます。そして「死」の影が目の前に近づいて来ます。これと同じく「病気」も死のしるしです。
「この病気で死ぬんじゃないか?」という恐れが繰り返しやってきます。
このように、時々刻々、一歩一歩、確実に死に向かって進んでいるのが私たちの人生の特色だと言えましょう。

神の在る証拠
 「もし神があるならば、そんなに恐ろしい無意味な人生を与えるはずがない」と言う人もいるでしょう。しかし、これは神が在る証拠なのです。  創世記第3章によれば、人類の祖先のアダムとエバは、神様と共に住むエデンの園という楽園にいたのですが、神様に背いてエゴを主張し、
快楽を求めたために楽園を追われました。永遠の命の根源である神様を離れて地獄行きの急行列車に乗ったわけです。そのとき、神様はアダムとエバに対して言われました。
 「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る。あなたは土から
取られたのだから、あなたは、ちりだから、ちりに帰る」と。
 それは、ただ土からとられた肉体が土に返るというだけでなく、神様から生まれた高貴な霊魂である人間の本体もまた、光と命の根源である
神様から離れて暗闇と死の世界にさまよう者となった
ことを意味するのです。だから、現在の人間の運命は、神のない証拠ではなくて、神の在る証拠なのです。従って、これまでの神に背いた罪を
悔いて、神に立ち帰ることによってのみ、私たちは救われます。言い換えれば、神様こそ、自分の生みの親であり、創造主であられるのだと認めて、天国行き列車に乗り換えれば、老・病・死の悩みは大きく解決されて行きます。

キリストの到来
 今、私たちはクリスマスを目の前にして、キリストのご降誕の意味を深くかみしめていますが、神の見える姿である神の御子キリストは、肉体を取る一人の人間イエスとなってこの罪と死と滅びの世に入ってこられました。それは、私たちを天界に連れ戻す天国行きの列車となるためです。それは先ほど朗読したヨハネ福音書第11章のラザロの物語に記されています。
 イエス様は病気のために死んで墓に埋葬されていたラザロを甦らせるためにベタニヤ村に来られました。ラザロはマルタ、マリヤという姉妹の兄でイエス様に愛された人ですが、死後4日目になっていました。マルタがイエス様を迎えて、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄は死ななかったでしょう」と言った時、イエス様は答えて言われました。「わたしは甦りであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか」。「主よ信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じています」。  この問答のあと、イエス様はラザロを葬った洞窟式の墓のふたを開けさせ、大声で「ラザロよ出て来なさい!!」と呼ばれました。すると深い地下に葬られたラザロが甦って、洞窟の入り口まで登って来て、皆の前に生きた姿を現わしたのです。これは、イエス・キリストを信じる者は、肉体は死んでも霊魂は生きていることの証明でした。また、死んだ肉体にイエス様の命令で霊魂が呼び
戻されて、再び健康な肉体を持って生き返ることもできることの証明で
した。そして、さらに肉体の死を迎えたあとの人の霊魂は、永遠に生きるキリストと一つに結ばれて天界に帰って行くことの証明でもあるのです。

老・病・死の解決
 先ほど朗読した、詩篇第103篇1〜5節をご覧下さい。

  「わがたましいよ、主をほめよ。
  そのすべてのめぐみを心にとめよ。
  主はあなたのすべての不義をゆるし、
  あなたのすべての病をいやし、
  あなたのいのちを墓からあがないいだし、
         〜中 略〜
  こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる」。

 これはプラス思考の人生観です。イエス・キリスト様の救いを信じて
自分の人生を神様のものとして見直せば、全ては神の恵みだということがわかってきます。不義・病気・老衰という人生のマイナス面を、キリストは全てプラスに変えてくださるからです。不義は許され、病はいやされ、人は繰り返し若返って生きていけるのです。それは神の愛が永遠の命の流れとなってあなたの内側に流れ込み、霊魂を生かし続け、肉体にも
満たされるからです。キリストに在って生き通しましょう。     アーメン

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