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                                                    2005/12/25の礼拝説教
  やさしい羊飼

   ヨハネ10:11〜15
   詩篇23:1〜6
   ヘブル13:20〜                  皆川尚一牧師
わたしはよい羊飼である。よい羊飼は羊のために命を捨てる。
羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを
見ると、羊を捨てて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い
散らす。彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、
わたしを知っている。それはちょうど、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために
命を捨てるのである (ヨハネ10:11〜15)。

よい羊飼イエス
 ルカによる福音書第2章には、イエス様のご誕生の知らせが、だれよりも先に天使によって野の羊飼にもたらされたと記されています。それには深い意味があるのです。なぜならば、イエス様の先祖アブラハムも、
ダビデも羊飼であり、イエス様も人類の「よい羊飼」としてお生まれに
なったからです。では、よい羊飼の特色とは何でしょうか ?

命がけの愛
 それは第一に、命がけの愛を持っていることです。ここでイエス様は、
「よい羊飼は、羊のために命を捨てる」と二回強調しておられます。羊飼は優しい心と強い力とを持っていなければなりません。おおかみがおそって来たらおおかみと命がけで格闘して、羊たちを助けなければなりません。その証拠に、アブラハムは甥のロトとその家族と彼らの財産とが北の王たちの連合軍の手に拉致されて捕虜となったとき、家の子・郎党
318人の戦士たちを率いて遥か北方のダマスコまで追いかけて行き、
夜襲をかけて敵の連合軍を打ち破ってロトとその家族と財産とを取り返しました。たった318人でも命がけの愛をもってすれば何万の大軍にも
勝てることを、彼は証明したのです(創世記14:1〜16)。

 ダビデもそうでした。彼は野で羊の群れを飼っていたとき、襲ってきた熊と格闘して、その口から小羊を取り返し、飛び掛ってきたライオンの
ひげをつかんで撃ち殺しました( サムエル上17:34〜37)。それと同様に彼はペリシテ人の巨人を撃ち殺して、イスラエル民族を救いました。

 そして、彼らの子孫としてこの世に生まれた神の御子イエス様はわたしたちすべての人間を罪と死と悪魔の手から取り戻して神の牧場に置くために、この世に下って来られました。神の牧場とは神様の保護下にある神の国のことです。このためにイエス様は生涯かけて悪魔・悪霊と戦い、十字架にかかって死なれ、三日目に墓から甦り、罪と死と悪魔の力に
勝利して、天の王座に帰られました。これはあなたと関係のないお伽話ではありません。

羊飼は羊を知る
 《ヨハネ10:14〜15》を見てください。「わたしはよい羊飼であって、
わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っている
のと同じである」とあります。

 * わたしは以前テレビで「アリババと四十匹の羊」というドキュメンタリ一番組を見ました。アリババはトルコの羊飼で四十匹の羊を飼っています。彼は麓の家を離れて山の洞穴の中に羊たちと一緒に何ヶ月も暮らします。そして羊の名前をみな覚えていて、声をかけ、草地や流れのほとりに連れて行くのです。イエス様も「羊飼は自分の羊の名を呼んで連れ出す」と言われました(10:3)。

 * また、こんな話もあります。あるときシリヤを旅していた人が三人の羊飼たちと出会いました。彼らは羊たちに水を飲ませていました。羊の
群れはみな混み合っていたので、「どうやって自分の羊を見分けるのかな」と思って旅人が見ていると、やがて一人の羊飼がアラビア語で
「メナ一」と叫びました。「ついておいで」という意味です。するとたちまち
三十匹あまりの羊が水飲み場から離れて集まって来ました。次に、もう一人の羊飼が「メナ一」と叫ぶと、これまた四十匹ほどの羊がその羊飼の許に集まってきました。残りの羊たちはゆうゆうとして水を飲んでいました。そこで旅人は羊飼いの着物と被り物と杖を借りて、試しに「メナ一」と叫んで見ましたが羊たちは見向きもしなかったそうです。

 * イエスさまも言われました、「羊はその声を知っているので、彼
(羊飼)について行くのである。ほかの人には、ついて行かないで逃げ
去る。その人の声を知らないからである」(10:4〜5)と。人間はみな
元々神の子であり、天国からこの世に来た者ですから、潜在意識の中に神の声の記憶があるはずです。表層意識では「神はいない」という無神論者であっても、神の声に反応するときがないわけではありません。  

* 例えば、赤坂教会の元牧師井上哲雄先生は、若かりしころ共産党員でした。戦前の話ですが、彼の住んでいた福山に天皇陛下が行幸されることになり、危険人物はみな留置場にぶちこまれました。井上青年は
無神論者でキリスト教には見向きもしなかったのです。だが、ある夜彼が目を覚ますと独房の中に輝く光に包まれて白衣の人が立っていました。
「お前はいったい誰だ ? ! 」彼が叫ぶと、「わたしはあなたが否定しているイエスだよ。わたしはあなたを愛している」という答が返って来ました。
その声を聞いたとき彼はイエス・キリスト様が自分の救い主であり、神であることを悟ったのです。それから彼は、ただイエス様だけについていく決心をして、生涯をその道に献げました。

 * また、インドの聖者サンダ一シングはヒンズ一教の一派シ一ク教の熱心な信者でしたが、真理を求めてイスラム教、バラモン教、キリスト教を遍歴したけれども満足できず、またシ一ク教にもどって一心にシ一ク教の神に出会うことを祈りました。午前3時ごろ水をかぶって祈っていたとき、煌々たる光の中に姿を現したのはイエス様だったのです。イエス様はいわれました、「なぜあなたはわたしを迫害するのか。わたしがあなたのため、また全世界のために十字架の上で死んだことを知りなさい。
わたしはあなたを救うために来たのだ」と。それはサンダ一シングの
16歳の時のことです。彼もまたその生涯の全てをイスエ様に献げて
従いました。

やさしい羊飼
 イエス様は優しく強い万人のための羊飼です。聖書では、「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエス」(ヘブル13:20)と記されています。イエス様は人種的にはユダヤ人としてお生まれになりましたが、人種や皮膚の色と関係なく全ての人の救い主であられます。天地創造の神様の見える姿です。人はみな宇宙よりも偉大なイエス様を通して父なる神様につながるのです。あなたが知らなくても、イエス様はあなたを知っておられます。あなたが天国を出発して、この世に来たときから
ずうっと、決してあなたを見失うことなく見守っていてくださるのです。
なんとすばらしい愛ではありませんか。
このお方にこそあなたを救う力があります。

 * わたしは先日、東京中野のサンプラザで開催された竹内文書勉強会というのに参加しました。今回は神田外語大助教授の久米晶文氏の
「霊感を与える文書としての竹内文書」という講演がありました。久米氏は竹内文書をただの歴史書として読むのではなく、神によって啓示された歴史として見るために霊感が必要だということを強調したのです。
しかし、竹内文書には聖書の中から語りかけてくる神のように人間の
生活と歴史の中に入ってきて様々の面で愛情と教訓と救いと裁きを
示す神様がいないのです。

 * その点聖書はただの歴史ではなく、神が人と出会い、救いと命とをもたらして永遠の祝福の中にわたしたちを導きいれるまで一緒に生きて下さることを約束しています。神は肉体を持つ人となり、羊飼が羊にするようにすべての世話をし、養い、育て、各人のこの世における使命を全うさせて、天の故郷まで連れ帰ってくださいます。このイエス様に従う人は幸いです。                                アーメン

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